田宮二郎の早すぎる切ない最期に涙腺崩壊…『白い巨塔』の最終回を待たずして亡くなった俳優の山本陽子との不倫の真相や息子・田宮五郎に残した遺書に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
知的なルックス、個性の強い役柄
そして、突然の猟銃自殺が今も鮮烈な印象を残す田宮二郎さん。
今回は、田宮二郎さんの不倫と
妻、藤由紀子さんとの馴れ初めや、死因。
2人の息子について、まとめました。
それではまず、田宮二郎さんのプロフィールを見ていきましょう。
本名:柴田光太郎
生年月日:1966年1月13日
没年月日:1978年12月28日
身長:180cm
血液型:B型
出身地:東京都
こちらが、田宮二郎さんのプロフィールです。
田宮二郎さんが、生前最後に演じたのは
『白い巨塔』の主人公、財前五郎です。
役づくりにのめり込み、迫真の演技で野心家の外科医を演じきったあと
最終回のオンエアを待たずに、自ら43年の人生に幕を下ろしました。
田宮二郎さんの自殺の真相は今も闇の中ですが
共演をきっかけに深い関係になったと言われている
女優の山本陽子さんとの不倫関係が
自殺の遠因にあったのではないか、といわれています。
しかし、山本陽子さんに似た質問をした時には
不倫関係を否定されたそうです。
ただ、田宮二郎さん名義の高級マンションに
山本陽子さんが住んでいたため、少なくとも
不倫関係の否定には、説得力がないと言われています。
山本陽子さんと共演したのはTBSの『白い影』
『白い滑走路』といった白いシリーズであり
『白い巨塔』では共演していません。
ちなみに、田宮二郎さんが万俵鉄平役を射止められなかった
映画版『華麗なる一族』にも
山本陽子さんは、鉄平の妻役で出演していました。
1973年版『白い影』は、田宮さん主演の白いシリーズの第1弾。
優秀な外科医・直江庸介と
山本陽子さんが演じる看護師
志村倫子が惹かれあっていくストーリーです。
田宮二郎さんは、映画『白い巨塔』につぐ二度目の外科医役。
ニヒルで魅力的な外科医を演じています。
2001年版の、中居正広さんと見比べてみるのもおもしろいですね。
続く第2弾『白い滑走路』では、航空機の操縦士役に挑みました。
大規模な海外ロケが行われたドラマで
同作を見て航空会社のパイロットを志望した人も多いそう。
このドラマでは、二人は結ばれて結婚する役どころを演じていました。
白いシリーズへの熱が強かった、田宮二郎さん。
役と気持ちがリンクしてしまい
そのまま、山本陽子さんとの不倫に走ってしまったのでしょうか。
『白い巨塔』クランクアップ後は、気が抜けたようになり
今後どんな役を演じたらいいのかわからない
と漏らしていた田宮二郎さん。
元女優で妻の幸子さんは、このドラマに出演していなければ
自殺という形で逝くことはなかっただろう、と振り返っています。
田宮二郎さんの『白い巨塔』というと
1978年版のドラマが有名ですが、その12年前に映画にも出演しています。
映画版は、キネマ旬報1位ほか
国内外で、多くの賞に輝いたモノクロの名作。
しかし当時、本編・続編からなる原作は完結しておらず
映画では、財前五郎の死までは描かれませんでした。
1977年、フジテレビから企画を求められた田宮二郎さんは
完全版『白い巨塔』のドラマ化を熱望。
12年前と違い、財前五郎との年齢差もわずか1歳になっていました。
これ以上のタイミングは考えられず、山崎豊子さんの快諾も得て
このドラマに全身全霊で打ち込むことになります。
しかし、2話の放送を残した12月28日に
田宮二郎さんは帰らぬ人に。
作中の「財前五郎の死」とシンクロする演者の死は
年末の日本列島を揺るがせました。
自殺の報道渦中の放送となった残りの2話は
皮肉にも注目を集め、最終回は31.4%の高視聴率を記録。
結果として、多くの人々の記憶に残るドラマになりました。
ちなみに、藤由紀子さんと田宮二郎さんの馴れ初めは
山本陽子さんとの「白いシリーズ」とは別の
「黒の暴走」「黒の超特急」など
いわゆる「黒シリーズ」での共演がきっかけとのこと。
自分の意思を貫くために、会社とぶつかった過去を持つ二人。
互いに、相手に自分と似たものを感じて、惹かれていったのかも知れませんね。
田宮二郎さんと結婚後、藤由紀子さんは芸能界を引退。
その後は妻としてだけでなく
後に設立される「田宮企画」の代表として
公私に渡って田宮二郎さんを支え続けました。
俳優として映画、テレビに欠かせない存在だった田宮二郎さん。
俳優業での成功の後押しを受けて
次第に、ビジネスにも興味を持っていったそうです。
財政界とも関わりを持ち、ゴルフ場やマンションの経営も行うように。
そして、1977年には日英合作映画
「イエロー・ドッグ」に出演すると共に、出資も行います。
ところが、いずれも失敗に終わり、残ったのは多額の借金だけ。
事業の失敗と、俳優として多忙な生活により
田宮二郎さんは躁鬱病を発症。
ですが、田宮二郎さんは自身の躁鬱病を認めず
薬を飲む事も拒んだそうです。
その後、田宮二郎さんは自宅で散弾銃で心臓を打ち抜いて自殺。
43歳という、あまりにも早すぎる死と
壮絶な死因により、日本中が騒然となりました。
クレー射撃が趣味で、銃を所有していた田宮二郎さん。
生前、妻の藤由紀子さんに対して
「こうすれば死ねる」と、銃の引き金に足の指をかけて
見せた事があったそうです。
まさかそれが実際に行われるなんて
藤由紀子さんは思いもよらなかったはず。
それだけ、田宮二郎さんが窮地に追い込まれていた、という事なのでしょう。
43歳という若さでこの世を去った田宮二郎さん。
鬱状態が原因の自殺衝動の末に自殺したと思いきや
どうやら、亡くなる前に遺書を8通も残していると言われているんです。
遺書の宛先は、妻の藤由紀子さんと、2人の息子、弁護士など。
公私に渡って支えてくれた妻には、感謝の言葉と
生きる事の苦しさと死の恐怖。
俳優を志していた次男には、アドバイス等が書かれていたそうです。
田宮二郎さんは、不倫をしていたとはいえ
家族の事が最後まで気がかりだったのでしょう。
それでも死を選んでしまうなんて
心身ともにギリギリの状態だった事が分かります。
上記した中に、俳優を目指している次男へ、遺書を送っている田宮二郎さん。
その後、夢は叶ったのでしょうか。
どうやら、田宮二郎さんの次男、田宮五郎さんは
2006年7月1日にNHKドラマ
「人生はフルコース」で、俳優デビューしています。
同年の大河ドラマ「功名が辻」では、黒田長政役で出演しています。
田宮五郎さんの芸名の「五郎」ですが
父、田宮二郎さんが演じた財前五郎とは関係なく
父の本名が「五郎」だったことに由来しているそうです。
田宮五郎さんですが、俳優デビューが39歳と遅咲きです。
デビュー前は、大学在学中から、日本語教師・新聞配達・料理人など
60種類もの職種を経験しているそうです。
これは田宮二郎さんの
「俳優になるなら人間を知ってから」
という遺言を守ったからだ、と言われています。
田宮五郎さんの現在ですが
実は、2012年にくも膜下出血で倒れ
以降は療養生活を余儀なくされています。
その後、2014年に再びくも膜下出血で倒れ入院しますが
11月6日に亡くなっています。
享年47歳だったそうです。
どうやら、以前から兄弟間で確執があったと言われる田宮さんご兄弟。
この確執が埋まらないまま
田宮五郎さんが亡くなってしまったと考えると
やりきれない面もありますね。
そんな確執のあったという、田宮五郎さんのお兄さんですが
どうやら、お兄さんも俳優として活動していた時期があるそうです。
田宮二郎さんの長男、柴田光太郎さんは
俳優で司会者やリポーターとして活動していましたが
現在は高校で英語の教師を務めています。
1991年に英語教諭となり
学習院中等科・高等科で勤務しますが
その後フランス留学を経験しています。
1995年にNHKで俳優デビューを果たし
2002年には、10歳年下の福祉関係の仕事をしている女性と結婚し
1男2女を設けています。
2007年に広尾学園高校を自ら立ち上げて
8年間英語教師(非常勤)を務め
現在は青陵高校で英語教師を務めています。
芸能活動は完全に引退したわけではなく
教職に支障のない範囲で続けているそうです。
いかがでしたでしょうか。
今回は、田宮二郎さんについてまとめてみました。
最後までご視聴いただき、ありがとうございました。
コメントを残してくれると、嬉しいです。
チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。
それでは、また。