みなさん、こんにちは。 乃木坂46のメンバーとして活動し その突出した美貌でアイドルファンからの人気を集めた橋本奈々未さん。 女優や、雑誌「CanCam」の専属モデルとしても活躍しました。 一人での活動も充実していただけに 突然の芸能界引退宣言は多くの乃木坂ファンに衝撃を与えました。 そんな彼女ですが、乃木坂46を卒業し芸能界から姿を消して以来 「父親の正体が謎」と密かに話題になっています。 今回は、そんな橋本奈々未さんの 芸能界引退理由や父親について迫っていきます。 まずは、橋本奈々未さんのプロフィールをご紹介します。 名前:橋本奈々未 愛称:ななみん 生年月日:1993年2月20日 出身地:北海道 活動期間:2011年〜2017年 1993年2月20日、北海道旭川市で生まれた橋本奈々未さん。 出産予定日は2月28日でしたが 8日前の2月20日に父親が胸騒ぎを覚え母親を病院に連れて行ったところ その日のうちに産まれたといいます。 父親の誕生日も2月20日で、橋本奈々未と同じ。 母親は「怜奈(れいな)」と名づける予定でしたが 友人が先に使用してしまったため 父親が「なな」という名にこだわり「奈々未」と名づけました。 両親が教育熱心だったという橋本奈々未さん。 母親も教育には厳しく、2歳の頃からひらがなを書かされていたそうです。 さらに、小学校2年生で習うはずのかけ算を 幼稚園の年長の頃から教えられていたとか。 小学一年生の夏休みには、「○の段を言ってみなさい」などとテストされ 言えなければ外に遊びに行くことも許されなかったとか。 幼い橋本奈々未さんが泣いても聞いてくれなかったそうです。 さらに、箸の持ち方が違うだけで叩かれたという橋本奈々未さん。 父親は橋本奈々未さんが泣いたり駄々をこねるのをひどく嫌い 転んで泣きそうになっただけで低い声で「奈々未さん!」と叱ったそうです。 「さん」付けで呼ぶのは「怒る合図」だったため 怖くて泣けなかった… 公共の場で行儀を悪くすれば蹴られた…など 橋本奈々未さんは父親の「しつけ」エピソードを笑いながら語ったことがあります。 また、「ごめんなさいが言えなくて、雪の中裸足で外に放り出された」 「幼稚園で意地悪をされるので 行きたくないと駄々をこねたが聞いてくれなかった」といったエピソードも。 しかし、そんなしつけをしてくれた両親に感謝しているとも語りました。 教育やしつけにものすごく厳しい父親の元に生まれた橋本奈々未さん。 しかし、「辛かった」「父親が嫌いだった」と言っても許されるようなところを 「感謝している」と話すあたり 本当に父親と良好な関係をもっているように思えます。 また、2014年の2月20日、橋本奈々未さんと父親の共通の誕生日には 「今日誕生日迎えました、はしもとななみです」 「そして私のお父さんの誕生日でもある!ハッピーバースデー♪」 とブログに投稿。 父親と仲が悪かったら わざわざ父親の誕生日を祝う発言をしなくたって誰も気にしませんよね。 そして橋本奈々未さんといえば、有名なのが「貧乏エピソード」。 高校時代から、勉強のかたわら 生活のために飲食店で必死にアルバイトをしていたとか。 しかし、勉強にも手を抜かず、空間デザインを学ぶために武蔵美術大学に進学。 上京も含め親には反対されたようですが 学費や生活費をすべて自己負担することで制止を振り切ったようです。 しかし、美容室代を浮かすためにカットモデルをしたり おにぎり一個だけでの生活を続けたりしても家計は苦しくなるばかり。 そしてアイドルになることを決め、乃木坂46のオーディションに応募しました。 橋本奈々未さんは乃木坂のオーディションを受けた理由について 涙ながらにこのように語っています。 ”(実家が)めっちゃ貧乏だったんですよ。 水道止まる、ガス止まるみたいな。 それでもなんとか1人目(の子ども)だから色々してくれたんですけど 弟にまで回る余裕があるのかって。 何とかしなきゃってところで、いろいろ模索してるなかで ここ(乃木坂)に来たって感じがあったんです。” 東京の美術大学に通いますがそこでの生活はかなりギリギリで その上、実家にも余裕がある訳ではありませんし これから大学に進学するであろう弟のことを考えた結果 乃木坂という選択肢が生まれたようです。 そのため、グループの活動でしんどい時期も 「自分がちゃんとしなければ困る人がいる」という気持ちを持って 活動を続けてきたのだそうです。 そして、橋本奈々未さんは結成から今までの約5年間 乃木坂の人気メンバーとして頑張ってきたこともあり 橋本奈々未さんの弟も無事大学に進学し、実家の生活も安定してきたそうです。 そしていろいろとめどがついたこともあり グループ卒業を意識し始めたタイミングで母親から手紙が届きます。 それが芸能界引退を決心するきっかけになったようです。 いつもは手紙と一緒にお米なども送ってくれるそうですが その時は便箋3、4枚ほどの手紙だけが届き、その手紙には ”今までごめんね。 弟もだいぶ自立してきたし、私も私で生活できるから 無理しないで好きなことをしてください。” といった内容が書かれていたそうです。 橋本奈々未さんは 「自分が表に立ってというよりはどちらかというと裏、と言いますか 誰かをサポートするお仕事の方が自分の性格には合ってるんじゃないか」と 今後やりたいことについて話していましたが 橋本奈々未さんの母もそれを見抜いていたのかもしれません。 お金のため、家族のためという思いを原動力に頑張ってきた橋本奈々未さんですから それを思えば橋本奈々未さんが本当にやりたいことに 是非とも挑戦してほしいですね。 さて、貧しいエピソードに話を戻しまして ここまではよく知られていることですが 問題は「なぜそんなに貧乏だったのか」ということ。 橋本奈々未さんは結婚相手の条件に「借金しない人」を挙げており これは父親の話ではないかと話題になりました。 橋本奈々未さんの父親が借金をしていたとすれば 何らかの事業に失敗した元社長なのでは?といった憶測も流れ 橋本奈々未さんとその父親に同情する声も上がりました。 橋本奈々未さんは、卒業後まもなく週刊文春によって 「ソニー取締役・村松氏との不倫疑惑」が報道されました。 2人で自宅マンションに向かうところを写真に撮られましたが 本人曰く「今後の仕事の相談に乗っていた」そう。 実際、その後橋本奈々未はソニーの裏方に就職したことが知られていますから これは嘘ではないでしょう。 村松氏が秋元康と並ぶ乃木坂46のボスであることも考えると ある程度親密な関係があるのは当然。不倫とは考えにくいですね。 しかし、騒ぎが広がっていくのを見かねた橋本奈々未さんは 「村松さんとの間に後ろめたいことは何もありません。」と 公式に不倫疑惑を否定するコメントを発表しました。 しかし、今回重要なのはそこではなく、コメントの中にあった 「父親のいない私に本当の父親のように親身になって 相談に乗って頂いていた村松さん」という部分。 父親について色々なエピソードを語ったり 父親の誕生日を祝ったりしていたはずの橋本奈々未さん。 それなのに、「父親のいない」とは一体。 この矛盾が、ファンの間で様々な推測に発展していきます。 「父親がいない」というのはどういうことでしょうか。 もし単に両親が離婚しているということであれば 「父親がいない」とは言わないでしょう。 父親の誕生日を祝う人が、そんなひどいことを言うとは思えません。 では、父親の誕生日を祝った2014年よりも後に何かがあって 父親が亡くなってしまったんでしょうか? もしそれほど最近のことなら、「父親のいない私」ではなく 「父親を亡くした私」と言いそうなもの。これも違いそうな気がします。 …といった推理から、ファンの間では 「実は橋本奈々未は幼い頃に父親と死別していた」と考えられています。 それなら、実家が貧乏だったのもうなずけますね。 それを踏まえると、2013年放送の「ザ!世界仰天ニュース」の一場面で 橋本奈々未が父親について話しているところは とても考えさせられるものがあります。 橋本奈々未さんが自分が生まれた時の話をし それに対して司会の中居正広さんが「今でもお父さんと仲良いの?」と質問。 橋本奈々未さんは、少し迷うようなそぶりを見せた後に 「たまに電話します」と答えました。 この頃すでに父親が亡くなっていたとすれば スタジオの雰囲気が悪くならないよう 機転を利かせて嘘をついたのだと解釈できます。 ファンの間では、「かわいそう」「プロ意識に頭がさがる」と話題になっています。 さらに、2014年にすでに亡くなっている父親の誕生日を祝っていたとすれば とても健気ですよね。 ファンに心配をかけないためにその話をしなかったということにも心打たれます。 もちろん、父親の死亡説はあくまで推測。 今でも生きているという可能性もあります。 とはいえ、橋本奈々未さんに現在「父親がいない」のは事実。 死亡にせよ離婚にせよ、それを一切周りに感じさせなかったのは プロ意識のなせる技ですね。 いかがでしたか。 今回は、橋本奈々未さんの 芸能界引退理由や父親について迫っていきました。 最後までご視聴ありがとうございました。 コメントを残してくれると嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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