みなさん、こんにちは。 1988年にドラマに初出演して以降、 確かな演技力で実力派女優としてテレビや映画で 幅広く活躍されている 和久井映見さん。 和久井映見さんは現在50歳のなるのですが、 昔と変わらず雰囲気の柔らかい演技が魅力的ですね。 どこか良いとこのお嬢様的な雰囲気な印象を 持っている方も多いのではないでしょうか? しかしそんなこととは裏腹に、 和久井さんはお嬢様育ちではなく生い立ちから幼少期まで 過酷な人生を過ごしてきたのです。 今回はその和久井さんの壮絶な生い立ちについて 衝撃な事実がわかったので一緒に見ていきましょう。 まずは和久井さんの簡単なプロフィールから 見ていきましょう。 本名:和久井良子 生年月日:1970年12月8日 出身地:神奈川県横浜市 血液型:A型 和久井さんの両親は、和久井さんが小さい頃に離婚を しています。 それが過酷なの?と思う方もいるかと思いますが、 和久井さんの母親は元夫から慰謝料や養育費も 支払っていないと言われています。 和久井映見さんの小さい頃は、シングルマザーが働くには 厳しい世の中だったはずです。 和久井さんの生い立ちから幼少期にかけて、 父親がいないということで、 母親は妹を育てることが できなくなってしまったのではないでしょうか? そこで和久井さんは母親は、実家の母親の両親に 和久井映見さんと妹を預けることを 決意したそうです。 孫が預かれるという事でおじいちゃん・おばあちゃんは 和久井映見さんたちを大切の育ててくれたのでしょう。 ただ、実家には和久井映見さん母親の兄弟がおり、 和久井映見さんの叔父さんにあたる方が 和久井映見さんの生い立ちから幼少期を 過酷なものに変えてしまうのです。 おじいちゃん・おばあちゃんの見ていないところで、 和久井映見さんたちを叔父さんが 暴力を振るうようになります。 いわゆる幼児虐待があったということになります。 和久井映見さんは、 毎日このDVをされることで かなりのストレスを抱えてしまったのでしょう。 そのため和久井映見さんは生い立ちから幼少期の間に、 チック症を発症してしまうのです。 チック症とは、ストレスによって本人の意思と関係がなく、 体の一部が異常に速く動いたり、 発生の段階から異常をきたします。 生い立ちから幼少期の多感な時期に 和久井映見さんは、かなりのストレス過多状態になっていたのです。 しかしこんな和久井映見さんを神様は見捨てはしなかったのです。 確かに生い立ちから幼少期は過酷な時期でしたが、 高校在学中の16歳の時、東京ディズニーランドで スカウトされてからは、人気女優に一気にのし上がっていきます。 1988年にはドラマ「花のあすか組!」で 芸能界デビューし、 同年にはJR東日本「青春18キップ」の キャンペーンガールに起用されます。 その後は1990年に歌手デビューも果たし、 いくつかのテレビ番組で歌唱したが、 イベント、コンサート等の活動は行いませんでした。 その後は1991年、映画「息子」「就職戦線異常なし」で 日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞します。 お嫁さんにしたい女優でも トップクラスに入るほどの和久井映見さんでしたが、 フッとした瞬間には、なんともいえない影があるのでは?と 思わせる表情をすることがありました。 たぶんこれは、生い立ちから幼少期にかけての フラッシュバックが和久井映見さんを 苦しめていた可能性が考えられます。 生い立ちから幼少期にかけてストレスは PTSD(外傷性ストレス症候群)の発症率が高い といわれているので、 和久井映見さんは生い立ちから幼少期だけでなく、 現在もPTSDが残っている可能性はあり得るのです。 そんな和久井さんは人気絶頂の中に結婚を発表し、 話題になりましたね。 相手は俳優である萩原聖人さんです。 2003年には離婚を発表しましたが、 離婚理由はいったいなんだったのでしょうか? 現在の萩原さんの彼女の藤村知可さんの年齢や プロフィールも含めて調査しました。 萩原さんは話題のドラマ「若者のすべて」などに多く出演し、 実力派俳優として人気絶頂でした。 1994年に「夏子の酒」での共演がきっかけで 交際がスタートします。 1995年に電撃結婚して話題になりました。 当時まだ24歳だったおふたりは フレッシュで幸せそうなオーラがありましたよね。 しかし、結婚生活は8年間でピリオドをうち、 二人は2003年7月に離婚しています。 いったい離婚理由はなんだったのでしょうか? 萩原さんと和久井さんの離婚理由について、 ご本人同士は詳しくは語っていませんが、 様々な意見が報じられています。 まず第一に挙げられるのが、萩原さんの暴力疑惑事件です。 まだ和久井さんと結婚前の1993年 神奈川県・中央林間駅に車を留めていた男性が 4人グループに暴行を受け、車を破壊される という事件がありました。 なんとこの被害男性は、 加害者男性の一人が萩原聖人さんに似ていた という理由で1994年10月に民事訴訟を起こします。 萩原さんは事件当日女性と一緒にいた とアリバイを主張したものの、 「相手に迷惑をかけたくない」という理由で 女性の名前を明らかにしなかったことから、 裁判は長期化します。 そして、冤罪だったにもかかわらず、 1997年4月の第一審で萩原さんは敗訴してしまうのです。 無実の罪で3年間も争った上に 有罪になってしまうなんて恐ろしいですよね。 しかし、翌年1998年7月には逆転勝訴し、 無罪が証明されました。 判決後の会見で萩原さんは 「妻と涙を流して抱き合いました、 そばにいるって、こんなに大事なんだなと 感じました」と語っており、 暴行事件疑惑は離婚とは関係ないようですね。 第二にあげられるのが麻雀が原因と言われています。 現在はプロ棋士として活躍をされていますが、 結婚当初から連日麻雀をするため雀荘で寝泊りし、 家に帰ってこないことも多かったのだそうです。 1999年10月に第1子が誕生し、 2001年には品川に新居の 億ションを購入していたにも関わらず、 家庭も顧みずに麻雀にハマっている萩原さんに、 和久井さんも我慢がならなかったのでしょう。 また他に週刊誌にはこのような報道もありました。 「和久井さんは料理や掃除など 家事をほとんどしたことがない。 それで掃除を始めると和久井さんは、 ”それイヤミなの”といって 泣き出す。また人嫌いで家に友達を呼ばせなかった。 それで萩原は外で遊んでくるしかなかった」と。 しかしこの報道は、離婚報道で批判が集中した萩原さんが イメージを回復するために 自分で週刊誌にリークしたと見られ、 さらに批判を浴びることになりました。 確かにあまりにプライベートな内容ですから、 萩原さん本人以外から出ようがないですよね。 離婚前の2002年には息子さんをつれて 実家に戻っていた和久井映見さん。 しかし、萩原聖人さんは謝罪もせず、 和久井映見さんを迎えに行くこともなく、 そのまま完全別居となってしまいました。 離婚にあたっての唯一の争点は 息子さんの親権だったとのことです。 最終的には和久井さんが親権を持ち、 離婚が成立しました。 離婚から9年後の2012年、萩原聖人さんは 声優の藤村知可さんとの交際がフライデーされ、 堂々の交際宣言を行いました。 藤村知可さんは、 2000年から2002年まで「世界ふしぎ発見!」で ミステリーハンターとして活躍するなど、 タレント業だけでなく、声優としても活動している方です。 萩原聖人さんは藤村知可さんと住むために 5,000万円のマンションを購入し、10年で返済する と意気込んでいたため再婚間近? と見られていましたが、現在も再婚はしていない様子です。 2021年1月にもデート現場がスクープされており、 交際は順調に続いているようですね。 最近は従来の結婚スタイルに こだわらない人も増えていますし、 萩原聖人さんは一回目の結婚で 相当バッシングを受けたこともあり、 再婚には慎重なのかもしれません。 一部では息子さんが再婚しない理由では? と言われていましたが、 既に成人しているので関係はないようです。 今回は和久井さんの壮絶な生い立ちについて 一緒に見てきました。 女優として活躍をしてきた背後に 壮絶な生い立ちがあったからこそ 現在活躍できるほどの実力を 持っているのかもしれませんね。 今後の活躍にも目を離せません! 最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。 コメントを残してくれると嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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