【衝撃】彦摩呂の余命宣告後の切ない現在に一同驚愕…!「お口の中が宝石箱や~!」の名セリフで有名なグルメリポーターのダイエットとの戦い…アイドルから転身した理由に涙腺崩壊…!
みなさん、こんにちは
一時期はテレビで見ない日はないほどの
人気グルメリポーターだった彦麻呂さん。
彦麻呂さんといえば、
「お口の中が宝石箱や~!」などのセリフで
人気を博していましたよね。
そんな、彦摩呂さんはかつてアイドルグループ
幕末塾のメンバーとして活動していました。
その後、タレントに転身し、グルメリポーターとして大人気に。
最近は激太りが心配されていました。
さらに、ダイエットするもリバウンド、
医者からも死亡宣告もあるとのこと。
今回は、そんな彦摩呂さんの昔から現在まで
徹底調査して行きます。
まずは、彦麻呂さんのプロフィールです。
大阪府東大阪市出身。
太田プロダクション所属。
アイドルグループ幕末塾で活動した後、タレントに転身。
グルメリポーターとして知られるようになります。
地元の大地主で市議会議員まで輩出した名家に生まれるが、
両親の離婚で貧窮した母子家庭で育つ。
母親は昼はスーパーで、
夜は食堂で働いて、家庭を支えていたそうです。
彦摩呂さんは外では明るく振舞ったが、
家に帰ると一人だったので寂しかったとのこと。
此花学院高等学校卒業後、百貨店に勤務。
アイドルからタレントに転身後、
旅番組や情報番組のリポーターを中心に活動。
本人曰く「これから食べていくために何か仕事しなきゃ…
そうだ、食べることを仕事にすればいい!」というのが
グルメリポーターになったきっかけとのことです。
そうして料理の味を絶賛するセリフが物真似されるほど、
確立したキャラクターとして定着しています。
そんな、彦麿呂さんの
貧しい幼少期についても調査して行きます。
彦麿呂さんは、父方のおじいちゃんが、
大地主で市議会議員だったため、
裕福な家庭で生まれ育たったのですが、
彦麿呂さんが4歳の時、
ご両親が離婚。
彦麿呂さんとお兄さんは、
お母さんに引き取られ、
お母さんが、昼はスーパー、
夜は食堂で働くという、
厳しい生活になってしまいます。
それでも、そんな中、お母さんが作ってくれる、
「煮込みハンバーグ」は、彦麿呂さんの大好物で、
彦麿呂さんも、また、
様々な料理を考案されていたそうです。
モデルとして活動。
そんな彦麿呂さんは、高校を卒業すると、
百貨店に勤務していたのですが、
ほどなくして退職。
その後、どのような経緯かは
分かりませんでしたが、
モデルとして活動を開始されています。
「幕末塾」として
また、彦麿呂さんは、モデル活動と並行し、
原宿でストリートパフォーマンスもされており、
その中から11名の有志で、
1988年2月、グループ「幕末塾」を結成。
同年5月には、「ナイスガイ・コンテスト」に、
「幕末塾」として参加され、
見事、準優勝に輝かれています。
(ちなみにこの時の優勝者は吉田栄作さん)
そして、このコンテストで、
司会をされていた片岡鶴太郎さんに、
「太田プロダクション」を紹介してもらうと、
「幕末塾」として、芸能活動を開始。
下北沢駅前劇場で、月1回、お芝居をしたり、
アイドル雑誌に登場され、
1989年には、
秋元康さんのプロデュースにより、
ファーストシングル「Come on Let’s Dance」で、
アイドル歌手デビュー。
1990年には、「日本青年館」で、
単独ライブを行われるなど、
アイドルとして活動されたのでした。
グルメリポーターに
その後、1991年に、
「幕末塾」の活動が停止すると、
彦摩呂さんは、俳優として、
テレビドラマや映画に出演されていたのですが、
次第に、自分のキャクターを活かし、
活動の場を広げたいと思われるようになったそうで、
事務所に相談されると、
当時、山田邦子さんが司会を務められていた、
情報番組でリポーターに起用されます。
そして、その中には、
「食」というカテゴリーがあり、
「どうやったら食べ物っておいしく見せられるんだろう」
と、とても興味を持たれたそうで、
はじめて、グルメリポーターをされた時から、
上手く出来たのだとか。
彦麻呂さんは、当時を振り返り、
最初に山田邦子さんの番組で、お試しで使ってくれた時に、
「駄菓子屋横丁」に行ったんです。
エンゼルパイみたいなお菓子を手に取って、半分に割って、
「うわぁ、クリーム、見て~」ってカメラに見せたりして、
割と最初から上手だったようです。
テレビの向こうで、視聴者によだれが出るように、
工夫しようというのが、自分の中に染みついているようで、
当初から、グルメリポーターとして、
天性の才能を発揮してきた彦麿呂さんですが、
表現の仕方がマンネリ化してきたことから、
次第に、楽しくなくなってしまったのだとか。
そんな折、たまたま、
北海道のロケに行かれると、
魚市場の賑やかな市場食堂で、
海鮮どんぶりが出てきたのですが、
その輝かしい姿に、
「うわぁ、海の宝石箱や~!」
と思わず、口走ってしまいます。
日頃から、オリジナリティを出せないかと考えながらも、
何も思い浮かばないまま、毎日のロケをこなす中、
もっとワクワクして仕事をしようと、
気持ちを切り替えた矢先、
目にした海鮮どんぶりが、
本当に宝石のように見えたそうで、
このようにして、彦麿呂さんの、
お馴染みのフレーズは誕生したのでした。
しかし、喜んでばかりはいられないようで、
彦麿呂さんの体重がすごいことになっているようです。
なんと、2014年10月時点で、
彦摩呂さんの体重は、
120キロにも達していたのです!
さすがに、このままでは、
健康を害してしまう恐れもあるため、
彦麿呂さんはダイエットを決行。
そのダイエットとは、
「低糖質ダイエット」といい、
ご飯やパン、イモ類、果物を減らし、
きのこ、鶏肉、大豆、お魚などの、
タンパク質を中心に食べるというものだそうですが、
彦摩呂さんは、このダイエットに挑戦し、
見事、3ヶ月で21キロの減量に成功されたのでした。
さて、いかがでしたでしょうか?
アイドルから、グルメリポーターに転身し、
見事、成功を収められた彦麿呂さん。
ふくよかなルックスは、
彦摩呂さんのキャラクターとも相まって、
好感度は抜群なのですが、
やはり、健康あっての物種。
1日にタバコを2箱消費する喫煙者だったが、後に禁煙。
グルメリポーターという職業柄もあり、
体重が昔より増えたとのことです。
今はスリムだった幕末塾時代の面影は今や全くないので
これからも、太り過ぎには注意して
楽しいグルメリポーターを続けて欲しいですね。
ちなみに、健康状態は全く問題ないようです。
人間ドックに行ってみたが、血圧も尿酸値も血糖値も正常とのことです。
脂肪には皮下脂肪と内臓脂肪があります。
内臓脂肪は一気に出来ますが、
皮下脂肪は内臓脂肪に比べてゆっくり出来るので
彦摩呂さんはゆっくり3、4キロ太ったことを考えると、
皮下脂肪がぎっしりあるのかもしれません。
内臓脂肪がつくと生活習慣病になったりと大変ですが、
皮下脂肪は内臓脂肪に比べては病気になりにくいはずです。
しかし、皮下脂肪もあくまで不規則な生活で出来たものなので、
当然病気にもなりますし、
皮下脂肪の方が内臓脂肪より落としにくいです。
そのため皮下脂肪だらけで健康といっても注意が必要のようです。
ネットでの反応は、
「これだけ太って糖尿とか痛風とか無いのかな。
頑丈な体だわ。」
「こいつだけはガチでやばい
見てて具合が悪いのが伝わってくる」
「脂肪のゴミ箱やー」
「仕事だけが理由じゃないでしょ
他にも原因があるはず」
ただ歳というのもありますし、
やはり肥満なのでまだまだ
グルメリポーターとして活躍してもらいたいですね。
病気にならないように気をつけて貰いたいです。
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それでは、また。