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【衝撃】江口のりこの母親の職業に一同驚愕…!ドラマや映画の名脇役の悲惨すぎる経歴に驚きを隠せない…!

【衝撃】江口のりこの母親の職業に一同驚愕…!ドラマや映画の名脇役の悲惨すぎる経歴に驚きを隠せない…!

みなさん、こんにちは。

2020年「半沢直樹」に出演して注目を浴びた江口のりこさん。

2020年4月クールのテレビ東京系ドラマ「ソロ活女子のススメ」で連ドラ初主演を務め、

2021年10月クールのフジテレビ系ドラマ「SUPER RICH」も主演を務めるなど、

多くのドラマや映画などに出演されている、実力派の女優です。

そんな江口のりこさん、実はかなりの苦労人なのだそう。

しかも、江口さんは、実は双子の妹さんで、さらに5人兄弟と大家族なのだそうです。

今回は、江口のりこさんのご家族や、生い立ちについてまとめてみました。

まずは、江口さんの人生を、幼少期から振り返っていきたいと思います。

江口のりこさんの家族構成は、ご両親と5人兄弟の7人家族。

怒らないご両親でしたが、寝る時間には厳しかったようで、

夜の8時には寝るということが、家族のルールだったそうですよ。

江口のりこさんは、現在でも早寝早起きで、夜11時には寝るとのこと。

江口のりこさんが、肌も綺麗で170cmの高身長なのは、

この幼い頃からの習慣のおかげかもしれないですね。

江口のりこさんは、五人兄妹の四番目として生まれました。

しかも、江口さん自身は双子の妹。

業界スタッフが、双子の姉の方に間違って声をかけたこともある、というエピソードから、

江口さんと双子のお姉さんは、とても似ている様子。

江口さん、幼いころは、そのことに複雑な感情を抱いていたようです。

間違われたり、比べられたり、そういうことへの反抗心みたいなものがあったそうです。

そういった双子のコンプレックスから脱却できたのは、中学校を卒業してから。

違う道に進んで、趣味も別々で、ようやく違う人間になれた気がすると語られています。

演劇が好きで、女優さんに憧れていたという江口さん。

学校の図書室にあった『男はつらいよ』の本を愛読し、

「私も寅さんみたいに生きたい」と、よく言っていたそう。

寅さんと言えば、定職に就かず全国を旅する自由な生き方をする人物ですよね。

これは、自身の家庭環境が厳しかったために、「早く解放されたい」という気持ちの現れだったのか。

それとも、純粋に自由な生き方に憧れていたのか。

当時の彼女の想いを計り知ることはできませんが、どちらも正解な気もします。

江口さん自身、中学を卒業したのは、お金を稼ぐためと言っていますし、

その後女優になることを夢見て、単身で上京しています。

中学時代から、かなり複雑な想いを抱いていたことがわかりますね。

ちなみに、中学時代からかなり自由人だったそうで、

陸上部の顧問曰く、授業から度々エスケープしていたのだとか。

江口のりこさんは、中学を卒業したあと、高校には進学されずに社会に出ています。

兄妹も多く、経済的に余裕のない家庭だったことが、その道を選んだ理由です。

父が、人に使われることをよしとしないような、定職につけない人だったために、

仕事に就いてもすぐに辞めてしまっていたそうなんです。

そういった事情もあって、お小遣いを貰えなかった江口さんは、

「中学を卒業してすぐに働いたなら、お金も持って自分の好きなことができる」

と考えたんですね。

また、江口さん自身が大の勉強嫌いだったこと

お兄さんが先に中卒で働きに出ていたという理由も、

江口さんが高校進学を選ばなかった要因だったようです。

親からすると心配なのでは?とも思いますが、両親からは特に何も言われなかったそうです。

しかし、彼女自身も父親に似て、アルバイトが続かない性格だったようです。

一番続いたのでもパチンコ屋の2か月半、

「現在の仕事をしていなければ何をしていた?」という質問に対して「無職だと思う」と答えるほどです。

中でも、アイスクリーム店でのアルバイトは一日で辞めてしまったとか。

中学時代から、毎日映画を見て過ごしていたという江口のりこさん。

卒業後も働きながら、神戸の映画館に足しげく通っていたそう。

次第に映画女優になることを志し、劇団東京乾電池のオーディションを受けました。

一年間の研究生期間を経て、2000年に入団。

入所式は、自身の19歳の誕生日だったそうですよ。

しかし、上京時点では、所持金なんと2万円だったそうで、

住み込みで、新聞配達の仕事をされていました。

当時の住居は、三畳一間で風呂なしのアパート。

劇団入り後も、決して恵まれた状況ではなかったように思われます。

ですが江口さんは、役者という本当にやりたいことができた充実感があって、当時とても幸せだった様子。

これまでのアルバイトでは、何をしていても「こんなことをしていていいのだろうか」と悩んでしまっていたそうなんです。

でもお芝居の世界に入り、稽古が楽しくて仕方がなかったんですね。

何かを始める時には躊躇なく飛び込むことが大事、と語る江口さん、正しく夢をかなえた人の金言ですね。

ちなみに、劇団の座長である柄本明さんとは、長年懇意にして貰っていたそう。

その後2002年に、念願叶って映画「金融破滅ニッポン 桃源郷の人々」に初出演。

2004年に「月とチェリー」で、主演に抜擢されました。

どんな役でもリアルに演じられるため、以降も出演依頼は途絶えず、

映画ドラマ問わず、多数の作品に出演されています。

家族に対して、色々な感情を抱いていそうな江口さん。

しかし今では、家族全員大切な存在だと語られています。

そんな江口のりこさんのご家族を、1人ずつ紹介していきます。

お父さんは、江口のりこさんが21歳のとき(2000年)、病気で他界されているようです。

江口のりこさんの母親は、「江口街子」さんという方。

ちなみに、お母さんも少し風変わりな方だったようで、

新築の家なのに、母親自らノコギリを持って、屋根裏をリフォームしたなんてエピソードもありました。

そんなお母さんは現在、「ルビータロットカフェ」で、占いや占い師の講師をしています。

ハンドルネームは「ルビーL(ルビー・ラクシュミー)」さん。

メイン占術は西洋占星術、サブでタロットカード、手相とのこと。

「ルビータロットカフェ」という名前ですが、カフェではなく、個人事務所のようです。

現在は、占い師の育成にも力を入れている母の街子さんですが、

意外にも占い師を始めたのは、50歳を過ぎてからでした。

それまではずっと会社員だったそうなのですが、

きっかけは、街子さんが50歳の時に、旦那さんを亡くされたことでした。

当時、旦那さんが亡くなられたことで、塞ぎ込む毎日を送っていた街子さん。

そんな時、友人から「恋占いに行った」という話を聞いたそう。

街子さんも、占いに興味があり、すぐにその占い師に会いに行きます。

そこで、人生初めての占いを体験。

占いにのめり込んだ街子さんは、占いの勉強を始め占い師になることを決めたのでした。

続いて、江口さんの兄弟を見ていきましょう。

お兄さんは、お2人とも一般人のため、名前はわかりませんが、お兄さんも中卒なんだとか。

上のお兄さんと江口のりこさんは、長い間連絡は取っていなかったそうですが、

江口のりこさんが芸能界で活躍し始めると、「米倉涼子の連絡先教えろ」

と連絡が来たのだとか。

江口のりこさんが有名になったからこそのエピソードですね。

また、同じく上のお兄さんとのエピソードで、

江口のりこさんが、25万円貸したところ、競馬の馬券で全額返済されたこともあったそう。

なかなか変わったお兄さんのようですね。

江口のりこさんのお姉さんは、一卵性の双子で「福子」さんという名前です。

妹さんに関しては、情報が一切ありませんでした。

お姉さんとは、顔がかなりそっくりのようですが、

お姉さんは江口のりこさんよりも愛想がないようで、

間違えて声をかけてきた映画プロデューサーさんを、無視してしまったのです。

無視されたプロデューサーは気分を害し、周囲に江口さんが無視したことを言いふらしたのだとか。

お姉さんは現在、アメリカ人と結婚され、アメリカに住んでおり、お子さんが3人おられるそうです。

また、女優の安藤サクラさんが江口さんと似過ぎていて、

双子の姉は安藤サクラさんなのでは、という噂が出たこともありました。

しかし、2人とも生年月日と出身地が違うので、デマであることがわかっています。

今回は、江口のりこさんの生い立ちや、家族について紹介しました。

兄弟も多く、経済的に苦労したこともあるようですが、仲が良いみたいですね。

きっと、江口のりこさんの演技の支えになっているのでしょう。

今後の活躍からも目が離せませんね。

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それでは、また。
芸能LAB編集部

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