【衝撃】鈴木蘭々の兄弟との突然の別れや逮捕歴に一同驚愕!!“CM女王”の異名で人気を博したタレントのまさかの現在に驚きを隠せない…!!
みなさん、こんにちは。
1990年代にフジテレビ系列の
子ども向け番組『ポンキッキーズ』で
安室奈美恵さんと共にブレイクし、
バラエティ番組やCM、
ドラマなどで活躍した鈴木蘭々さん。
2014年には起業し
化粧品ブランドを立ち上げるなど
芸能界以外にも
活動の幅を広げているそうです。
鈴木蘭々さんの
華々しい経歴の影には
突然の兄の死や逮捕、
新興宗教への入信など
知られざる一面が。
今回はそんな鈴木さんについて
調べてみました。
ぜひ最後までご視聴ください。
まずは鈴木さんの簡単なプロフィールをご紹介します。
本名:鈴木智子
生年月日:1975年8月4日
出身地:東京都練馬区
身長:160㎝
血液型:A型
所属事務所:WOORELL(ウーレル)
松田聖子さんや中山美穂さんといった
アイドルに憧れを抱き、
元々アイドル歌手志望だったという鈴木さんは
中学1年生の時に原宿でスカウトされ
芸能界に入ります。
デビュー最初の仕事は1989年、
資生堂・エクボのCMでした。
この年、第1回ミスチャンピオンで
準グランプリにも選ばれ、
『週刊少年チャンピオン』の
巻頭グラビアを飾ります。
1992年には岩井俊二監督作品の映画
『GHOST SOUP(ゴーストスープ)』で
女優デビューを果たして以降は
ドラマやバラエティー番組にも出演。
またフジテレビ系列
『ダウンタウンのごっつええ感じ』では
コント「改造人間カスタムひかる」の中で
松本人志さん扮する「若松ひかる」の妹
「若松きらり」役で注目を集め、
1994年4月にレギュラー加入した
子ども向け番組『ポンキッキーズ』では
同期の安室奈美恵さんと組んだユニット
「シスターラビッツ」でブレイクし
1993年から1995年にかけて
一気にスターダムへと駆け上ります。
トレードマークとなる
ボーイッシュなショートヘアと
明るいキャラクターで人気を博し、
歌手志望だった鈴木さんの歌唱力は
高く評価されており、
1995年8月には
シングル「泣かないぞェ」で
念願の歌手デビューを果たします。
「泣かないぞェ」は
鈴木さん自身が歌詞を書き、
ヒットメーカーの筒美京平さんが
作曲を担当した彼女の代表曲です。
また1996年には12社、翌年には14社と
数多くのテレビCMに出演し
“CM女王”の異名を取りました。
バラエティー、CM、歌手と
あらゆる分野で活躍し
人気絶頂だった鈴木さんでしたが、
23歳になった1999年に突然、
ニューヨークへの留学を公表します。
その理由を鈴木さんは
『週刊女性』のインタビューで
こう語っています。
「当時、自分がやりたいことを
全部やり終えてしまったような感覚になったんです。
バラエティーや歌の仕事など、
子どものときからやりたかったことが
すべて叶ってしまった。
そうなったときに、
次はどうしようと考えるように。
自分の中の引き出しが
空っぽになっていることに気がつきました。
引き出しの枯渇を埋めるために、
海外へ行こうと思ったんです」
現地での生活は、多忙な芸能界で疲弊した
鈴木さんの心を満たす出来事の連続だったといいます。
「12月に留学していたので、
現地はかなり寒く、
地下鉄の乗車券を出そうとしたときに、
手がかじかんで出せず、
その間に電車が来てしまったことがありました。
すると、近くにいた若い男性が
自分の乗車券で改札を開けて、
“行きなさい”と促してくれたんです。
電車の中でも、
みんな大きくてつかまるところがなく、
困ったなと思っていたら、
黒人のおばさんが
“このバッグにつかまりなさい”と
言ってくれました。友達から
“ニューヨークは孤独を感じる街”と
聞いていましたが、
滞在中は楽しくてしかたありませんでした」
また鈴木さんは
「13歳から仕事をしていましたが、
周りの人はみんな優しくて
面と向かって怒ってくれる人はいませんでした。
ただ、当時、広告代理店の人に
“この世界でわがままになったらいけないよ。
仕事先の人は表面上にこやかにしているけど、
裏では何を言っているかわからないからね”と
忠告されたことがあったんです。
それ以来、仕事で関わる人は
“タレントの鈴木蘭々だから優しくしているのかな?”と
思うようになりました。だからこそ、
誰も私のことを知らないニューヨークで、
優しくしてもらえたことがとてもうれしかったんです」
とも語っています。
鈴木さんは帰国後、
舞台を中心に活動していました。
『キレイ~神様と待ち合わせした女~』では
酒井若菜さん、
『ジキル&ハイド』では知念里奈さんなど、
主役級の代役を務めたことから
当時演劇界では“代打女優”とも呼ばれていた様です。
しかし2013年には所属していた
バーニングプロダクションを退社。
表舞台から姿を消した理由については
「20代後半からセカンドキャリアを作りたいと
考えていました。芸能活動に加えて、
ほかの仕事もやりたかったんです。
ただ、事務所に所属しながらだと、
なかなかほかの仕事はできませんからね」
と語り、実際に2014年12月、
化粧品販売メーカー
「WOORELL(ウーレル)」を設立。
基礎化粧品ブランド
「NARIA COSMETICS(ナリアコスメティックス)」
を立ち上げ、商品プロデュース開始します。
ただ本業である芸能活動を引退したわけではなく、
2018年には30周年を記念したライブを行い、
2019年12月には配信シングル
「ビュリホー ビュリホー」をリリースするなど、
歌手活動も再開しています。
そんな鈴木さんには2人の兄がいます。
次兄は先天性の軽度な知的障がいがあり、
26歳という若さで心筋梗塞のため亡くなられています。
鈴木さんが18歳の時、
モデル業が忙しくなったことを理由に
一人暮らしを始めた2日後、
母親が買い物に出た僅かな間に
誰にも看取られることなく
亡くなっていたそうです。
この事は2013年の25周年記念ライブ
『ふぁいと』のステージ上や、
2014年1月に出演した
日本テレビ系列『解決!ナイナイアンサー』で
公表しており、
過去に兄の障がいを理解しきれず
暴言を吐いてしまったことを
悔やんでいる場面もありました。
長兄はというと、2011年7月に
電波法違反容疑で逮捕されています。
趣味の無線が高じて
自宅内で開設したミニFM局
「FM百草(もぐさ)」が
総務局の認可を受けていなかったことから
逮捕されてしまった様です。
家族関係や多忙を極めた仕事から
心のよりどころが必要だったのか、
鈴木さんは「真如苑」という
仏教集団に入信しています。
真如苑は全国に約84万人の信者がおり、
沢口靖子さんや松本伊代さん、
島田陽子さんなど芸能界にも
熱心な信者が多数いるそうです。
真如苑については
ごく一般的な宗教団体という
評判がある一方で
その勧誘システムや
ねずみ講式の献金構造、
前身団体の暴行事件などが
問題視されてもいる様です。
しかしながら鈴木さんが真如苑との関係で
何か話題に上がった事実は
確認できないため、
普通に信心しているのではないでしょうか。
ここまで鈴木蘭々さんの経歴や
家族関係、現在の様子を調べてみました。
過去の経験を乗り越えて、
舞台女優、歌手活動、会社経営など
今後も多方面で活躍してほしいですね!
最後までご視聴いただきありがとうございました。
コメントを残してくれると嬉しいです。
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それでは、また。