【驚愕】ビートたけしが島田紳助を30年も嫌い続けた理由に一同驚愕…!紳助の芸能界復帰が絶対にありえない理由の一つがヤバい…!
みなさん、こんにちは。
今回取り上げるのは
島田紳助さんとビートたけしさんの
不仲説や紳助さんについてです。
島田紳助さん(55)が引退会見で公言した
「てっぺんに登りました」との言葉に
違和感を覚えた方は多いと思います。
確かに紳助さんは、
芸能界でトップグループにいました。
しかし、ビートたけしさん(64)の上を
行っていたかといえば、
はなはだ疑問ではあります。
紳助さんの引退会見を受け、
たけしさんは8月27日、レギュラー出演する
「情報7daysニュースキャスター」(TBS系)で
こうコメントしました。
「俺は漫才ブームの時ぐらいしか紳助を知らないし、
本当は全然わかんないんだよね」
今からおよそ30年前、
空前の漫才ブームがありました。
80年に「THE MANZAI」(フジテレビ系)が始まり、
幾多の人気コンビが生まれました。
紳助さんは紳助・竜助として、
たけしさんはツービートとしてスターの座に躍り出ると、
81年スタートの「オレたちひょうきん族」で、
その地位を不動のものとした。
冒頭のたけしさんの発言は、それ以降の紳助の活躍について、
上から目線で興味がなかったとでも言いたげに聞こえます。
それでも、当時を知るお笑い番組の関係者は
こう打ち明けました。
「漫才ブームが終わった頃から、
たけしさんは『残るのは俺と紳助だけだろうな』
と話していました。
まるで現在までの状況を予見していたかのようです」
つまり、たけしさんは紳助さんがピンでしゃべる才能について、
以前から認めていたということです。
ですが、この30年間、ともに看板番組を仕切る立場が
多かったからか、共演して直接対峙するということは
限られてきました。
そのまま月日は流れ、紳助さんの引退に
たけしさんがコメントをするという日が訪れたのです。
先の番組内でたけしさんは、
自身がヤクザと接触せざるをえなくなった体験談を語りました。
要約すると、ヤクザの大親分から面会を求められたそうです。
たけしさんは返事をはぐらかしたが、
あまりに激しいラブコールに、
断りきれなくなってしまい
会うことを決意するが、
裏でコソコソ会っては大問題となる。
そこで雑誌の対談という形にして、
正々堂々、大親分と対面したというものだ。
「たけしさんは元来、ヤクザとのつきあいに
積極的なタイプではない。
だから飲食にしても、なるべくそうした接触がないような
場所を選んでいるといいます。
たとえ素性を隠して近づいてくるチンピラがいても、
匂いを感じたらすぐに連絡を絶つそうです」
と、事務所関係者の方はコメントしていました。
裏でヤクザとの親交を深め、
時にヤクザ組織の名前を口にして
周囲を威嚇していた紳助さんとは考え方を
異にしているようです。
たけしさんは、紳助さんを疎ましく思っていたようです。
その理由は、弱者に対する圧倒的な暴力です。
周知のとおり、04年には吉本興業の女性社員を拳で殴ったり、
顔にツバを吐きかけるなどの暴行を働きました。
たけしさんの知人はこうおっしゃっています。
「たけしさんはよく、『ひとつの行動で、生き様が出る』
と言っています。
紳助さんの行為に当てはめれば、
度が過ぎた暴力を振るうということは、
それが紳助さんの生き様ということなのでしょう。
当時、この一件については女に手をあげたということで、
紳助さんのことを激しく非難していました」
09年には、「オールスター感謝祭」(TBS系)の
収録前に楽屋への挨拶がなかったという理由で、
紳助さんは若手トリオの東京03を
生放送中に胸ぐらをつかんで恫喝するという騒動を起こしました。
当時、たけしさんは公式的には、
「紳助のせいで出番前に挨拶に来るやつが増えて迷惑だ」
と、あくまで笑い話にしていたそうです。
ところが、親しい仕事のスタッフらにはこう本音を漏らしていたという。
「事件が起こった番組には、
たけし軍団の面々が出演していて、
現場には事務所の関係者も大勢いた。
彼らの目の前で紳助さんが暴れたものだから、
生々しい現場の様子を聞かされていたようで、
『周りを凍らせて何がおもしろいんだ!』と冷ややかでしたね」
紳助さんはこれまで、周りで誰が見ていようが、
スイッチが入ると、観客だろうが、
共演者だろうが、暴行を加えたと言われています。
01年には、麒麟・田村の前歯を折り、
肋骨を骨折させる事態までありました。
紳助さんにも引退を惜しんでくれる後輩たちはいました。
特に、ヘキサゴンファミリーを中心に、
自分を売り出してくれた恩義を感じているタレントも少なくないです。
その一方で、下に対し暴力による支配が
幅を利かせていたのも事実なのです。
一方、たとえ同期や年下といえども利用価値や
実力を認める者には率先してすり寄ったようです。
オール巨人さん(59)は「同期兄弟」ですが、
若い頃のトラウマからか、
彼に対しては相当の気遣いを見せていたという。
「巨人の腕っぷしの強さは吉本では有名だからね。
18年ほど前に『なんば花月』で共演した時、
紳助が舞台裏の風呂場に入ったら巨人が
先につかっていた。紳助も体を洗ってから
湯船につかったんだけど、
巨人はすかさず両手で紳助を抱えて湯船から出し、
首筋あたりを指さし『ここを洗ってないやんけ!』と一喝。
その迫力に相当ビビッたみたいです。
巨人のスパルタ教育に悩んでいる後輩たちには、
『巨人はヤバいから黙って従っておけ』と弱気な
アドバイスを送っていたといいます」
07年の「M‐1グランプリ」でサンドウィッチマンが
敗者復活から勝ち上がって優勝したことから、
巨人さんが審査基準を公然と批判した際も、
大会実行委員長である紳助さんは甘んじて受け入れたそうです。
ところで、お笑い界以外にも、
紳助さんには頭が上がらない「大親分」がいます。
会見でも名前を出していた和田アキ子さんです。
「昨年4月に行われた、2人がイメージキャラクターを務める
『リーブ21』のイベントでも、
愛想笑いを浮かべながら
『アッコさんは歌がうまいんだから、
カバーをやったら売れますよ』などと
露骨にヨイショしまくりでした」
「紳助さんがアッコさんを立てているのは、
『こうしたらいい』といった小言を言ってくれる
数少ない存在だからです。
目をかけてくれる人は文句も言ってくれるとの
思いがあるようです」
音楽業界同様に、他ジャンルにもかかわらず、
紳助さんが心酔していたのが、
報道・政治討論番組「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)で
共演したジャーナリストの田原総一朗氏(77)さんです。
「当初、お門違いの政治番組への出演に尻込みしていた紳助さんに、
出るよう説き伏せたのが田原さん。
紳助が政治や時事問題に関心を抱き政界転身に
色気を持つようになったのも、
田原さんの影響で、いまだに感謝し、
交流を持っている。紳助さんが引退を発表した時、
田原さんがツイッターで擁護したのも、その表れでしょう」
と芸能リポーターの方は話されています。
大物たちを味方につけ、力を増大させる。
今回の一件とかぶる紳助さんの体質は、
こうして確立されていったようです。
紳助さんが芸能界に戻ってくるという噂は
常々堪えませんので、今後も注目していきたいですね。
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