みなさん、こんにちは。 2008年頃から「貧乏アイドル」として一躍ブレークして テレビで引っ張りだことなっていたグラビアアイドルの上原美優さん。 2011年5月11日に自殺により命を絶ってしまい、 遺されていた遺書とともに世間を騒がせてきました。 上原美優さんの遺書と言われるメモや、 自殺の真相について総まとめしましたのでご紹介していきます。 上原美優さんは「貧乏アイドル」として 極貧生活を送っていた鹿児島の実家での エピソードを暴露して一躍人気を集め、 菜々緒さんや小倉優子さんなどが在籍する 芸能事務所・プラチナムプロダクションの中でも 当時看板タレントとして活躍していました。 まずは、上原美優さんについてのプロフィールを紹介します。 ・名前:上原 美優(うえはら みゆ) ・本名: 藤崎 睦美(ふじさき むつみ) ・愛称: みゅうみゅう、美優ちゃん ・生年月日: 1987年5月2日 ・没年月日: 2011年5月12日 ・没年齢: 24歳(数え25) ・出身地: 鹿児島県熊毛郡中種子町 ・死没地: 東京都目黒区 ・血液型: A型 ・身長: 152 cm ・体重: 非公開 ・デビュー: 2006年-2011年 ・ジャンル: グラビア 多くの芸能人が売れないまま廃業していく中で、 上原美優さんは瞬く間に時の人となったにも関わらず、 何故自殺しなければならなかったのでしょうか? 上原美優さんの自殺には残されていた遺書とされる メモや関東連合とのつながりなど、いくつかの謎が取り沙汰されてきました。 上原美優さんの自殺の真相について、遺書や死因、 家族や彼氏など周辺の動きも合わせて 総まとめしましたのでご紹介していきましょう。 上原美優さんは1987年5月2日に4男6女の10人兄弟の末っ子 ・六女として生まれ、この時点で父親が55歳、 母親が43歳だったということです。 上原美優さんの両親の仕事は不明ですが、 12人家族というお大所帯を支えるにはとても 稼ぎが追いつかず家計は困窮を極めていたそうです。 鹿児島種子島にある上原美優さんの実家は ボロボロの掘っ立て小屋で、雨の日は雨漏りが するため家の中でも傘をさしたり、下着が足りないため 上原美優さんはパンツを履かずに通学したこともよくあったようです。 スタジオで爆笑を誘った貧乏エピソードとしては、 種子島宇宙センターからロケットが打ち上げられた時、 その振動により家が揺れていたため家族総出で 家具などを支えていたということです。 幼稚園にも通えなかったそうですが、 これらのエピソードからも上原美優さんの生い立ちが どれだけ極貧だったかが伺えるものですね。 友達作りは母親が協力していた 上原美優さんは貧乏ということもあり友達が 少なかったようで、それを見かねた母親が学校帰りの 子どもを家に誘って招き入れ一緒に遊んでいたそうです。 しかし、警察に厳重注意をされたため長くは続かなったようです。 上原美優さんは小学校に進学するとさらに家計が苦しくなり、 給食費を収められずに半年遅れて支払うことが 常態化していたということです。 貧乏なことから藤崎家では”15歳になったら自立する” というルールが決められていたそうで、 上原美優さんも中学校を卒業すると 種子島から出て鹿児島市内の高校に通い始めました。 上原美優さんは高校に進学するもアルバイト漬けの日々が続き、 友達もできないばかりか不良グループに目をつけられて 暴行されることもあり、 その中で2人の男子に性的暴行されてしまったため 退学せざるを得なくなったと言われています。 上原美優さんは中学校時代に貧乏であることが 原因でいじめに遭っていたそうですが、 高校に進学しても学費を稼ぐためにバイト漬けの日々だったようです。 上原美優さんはバイトを優先せざるを得ず 学校を休むことも多かったようですが、 アルバイトは学校で禁じられていたことから 次第に噂が立つようになりバレてしまいました。 そのことで上級生の不良女子グループに目を つけられて暴行されたり、先述のように 2人組みの男子に性的暴行されてしまったことで 学校を辞めざるを得なくなりました。 レースクイーンとして活動するも深い心の闇から 自殺未遂を図った上原美優 上原美優さんは高校を退学した後にレースクイーンとして 活動していましたが、すでに心は 消耗しており自殺未遂を図ってしまいます。 上原美優さんは上京して芸能事務所プラチナム プロダクションに所属し、2006年から桜井ひなさんや 藤崎まやさんなどと一緒にフォーミュラ・ニッポン 「ディレクシブレーシングガールズ」 のメンバーとしてレースクイーンを始めました。 しかし、フォーミュラ・ニッポンが レース途中で撤退してしまったため第5戦で 上原美優さんはレースクイーンの仕事が無くなってしまいます。 上原美優さんは2007年に雑誌『sabra』の 「ブロガール選手権」に出場するなど 芸能活動をしていましたが、 同年のクリスマスに彼氏に振られてしまったことを 苦にして大量の睡眠薬を飲んで自殺未遂を図るも一命は取り留めました。 2008年頃から上原美優さんはグラビアアイドルとして人気を博し、 「貧乏アイドル」として注目を集めて番組出演が増えていきました。 上原美優さんは上述したような実家の貧乏エピソードを 明るく番組で語り、それがウケてブレーク。 次第に番組出演オファーが増えて上原美優さんは 一躍人気芸能人の仲間入りを果たしました。 2009年5月に上原美優さんは自伝である著書 『10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、 イケナイ少女だったんでしょうか?』を出版し 大ヒットしましたが、本書には上原美優さんが 両親にも打ち明けられなかった心の闇も綴っており 「泣きながら書いた」と語っています。 上原美優さんは芸能界で多忙を極めるようになり 体の調子も悪くしており、2010年2月28日に開催された 「東京マラソン2010」に参加したものの足の故障と 悪天候だったことが原因で途中で倒れ意識を失って棄権しています。 その1ヶ月後に上原美優さんの最愛の母が 心筋梗塞で急逝してしまい、 上原美優さんは仕事の関係で看取ることもできず 突然の別れに強いショックを受けたことから情緒不安定になっていきます。 母親の死を引きずり自殺に追い込まれた上原美優 上原美優さんの自殺については色々と憶測が 飛び交っていましたが、最も強い動機は最愛の 母が突然亡くなってしまったことでしょう。 上原美優さんが自殺をして亡くなる前日、 当時彼氏だったと言われるブランドショップの 店員をしていた彼氏は上原美優さんの部屋に泊まりに来ていました。 その彼氏は翌朝出社する際に上原美優さんが ふさぎ込みがちだったことが気がかりだったため、 昼休みを利用して自宅に戻りそのまま会社を休んだそうです。 上原美優さんは徐々に元気を取り戻し、 午後11時頃には笑顔でよく喋るようになったことから 彼氏は安心したようですが、上原美優さんは 「今日感じたことを書いておきたいから 2時間くらい外に出ててくれる?」と言われたそうです。 彼氏は不自然なお願いに一抹の不安を覚えながらも 言うとおりにし、近くのネットカフェで時間を 潰していたところ、上原美優さんから電話で 「あと1時間ちょうだい」と言われたものの、 様子がおかしかったためすぐに部屋に戻ったそうです。 しかし、彼氏が戻った頃には時は既に遅く、 上原美優さんは自室のドアにベルトとスカーフを使って 首吊りをしていてすでに息は亡く、 彼氏が救急通報をするも虚しく帰らぬ人となってしまいました。 上原美優さんは2011年5月12日午前3時37分に搬送先の病院で 死亡が確認され、後の現場検証から自殺だと断定されました。 上原美優さんの死因は頸部圧迫による窒息死のようですが、 葬儀は地元の種子島で5月15日に身内により執り行われ、 享年24歳(数え年で25歳)でした。 上原美優の突然の自殺に憶測が飛び交う 人気がブレークして安定していた頃の上原美優さんの 突然の自殺と、現場に残されていたと言われる遺書とみられる メモが報じられてネットでは様々な憶測が飛び交いました。 上原美優さんはあどけないかわいい容姿と、 面白く優しい人柄から多くのファンを獲得しており、 自殺により逝去した後も根強いファンは 上原美優さんのことを語り継いでいました。 上原美優さんの自殺により、生前親しかったと 言われている真鍋かおりさんは当時速報による 生出演で涙を流しており、その他にも中川翔子さんや重盛さと美さん、 ほしのあきさんなど親交のあったタレントも それぞれのブログで追悼コメントを出していました。 多くの人に愛されていた上原美優さんが自殺した 本当の真相はどこにあるのか、 遺書や当時の彼氏との交際状況、 そして仕事上の関係から推測できる部分があるようです。 上原美優さんが自殺してまもなく、 現場から見つかったとされる遺書のような メモの存在が報じられてネットで 解読が勧められたりあらゆる憶測が飛び交っていました。 先述のとおり、上原美優さんは何かを書くために 彼氏を3時間ばかり外に追い出していますが、 自殺後にスポーツ紙などで報じられたのは遺書として ”解読不明”とされる謎のメモでした。 このメモは遺書だと思われていたものの、 文字が非常に雑で読み取りにくいもので あったことからネットでは解読しようと 試みた人も少なくなかったようです。 解読できないことから上原美優さんのメモである 可能性も疑わしいものの、仮に遺書であったなら 相当な精神的な揺れを感じさせるもので、 当時上原美優さんが自殺を図る心情 を表しているかのようにも見えました。 メモの文末は「ホントーにアリガトウ」という ようにも読み取れるため、尚更遺書のような 雰囲気が出ていたことからも、上原美優さんの 遺書だと騒がれる要因になっていたのでしょう。 上原美優の遺書と言われたメモは他人のものだった 後に上原美優さんの遺書だとして騒がれていた メモの所有者が名乗り出たことで、 全く自殺とは関係のないものだったことがわかっています。 上原美優さんの遺書だと言われたメモは警察が 押収したものでは当然なく、どこからともなく流出したものでした。 しかも、この遺書と見られたメモが出回り始めたのは 上原美優さんの死後3年あまりが経過した頃で、 ネットで突然メモの存在が明らかになり 2ちゃんねるやまとめサイトなどで 取り上げられるようになり広まっていきました。 このメモが上原美優さんの遺書であることを 裏付けるかのように、生前の種子島ロケで森の中の 小屋を紹介した時に壁面に同じような文字が 書かれていたという情報も出回るようになり、 いよいよ上原美優さんの自殺はオカルト話としても 取り上げられるようになりました。 メモの持ち主は漫画家の赤星たみこの父親だった この上原美優さんの謎の遺書騒動を巡って、 2014年11月8日に漫画家の赤星たみこさんが 問題のメモは父親が遺したメモだったことを明かしています。 赤星たみこさんはブログで、上原美優さんの 遺書だとされているメモは2005年に亡くなった 赤星たみこさんの父親が遺したメモだったとし、 父親が着ていたアロハシャツの上で撮影したものだと真相を綴りました。 赤星たみこさんは父親の遺したメモが解読できなかったため、 自身のブログを介してネットユーザーに 解読できる人がいないか画像を公開していたそうです。 それが気づいてみれば世間では父親のメモが何故か 上原美優さんの遺書扱いになっていて相当驚くと 同時に簡単に他人の情報を流用するネットユーザーの 倫理観の無さに恐怖を感じたようです。 赤星たみこさんが公開したメモ画像を流出させた 犯人は2ちゃんねるの自殺関連スレッドの住人で、 報道で上原美優さんの部屋で解読不可能なメモが 見つかったと報じられた直後にスレッドにアップされていたこと からそれを見た人の勘違いが一人歩きしたようです。 さらにそれをオカルト雑誌までもが”上原美優さんの遺書” として紹介してしまったことで 広く浸透する結果となってしまったようですね。 上原美優さんは極貧ながらも10人もの兄弟を育て 上げたビッグマミーの母を愛し尊敬しており、 芸能界で成功を目指したのも家に大金を仕送りして 楽な暮らしをさせたかったからだと言われています。 上原美優さんが自殺により亡くなった後に報じられたところでは、 生前愛用していた手帳にも 「お母さんが死んで辛い、このまま仕事しても 先行きどうなるかわからない」という旨の悩みが書かれてあったそうです。 上原美優さんは芸能界で成功して両親を楽させてあげようと 頑張っていた矢先に最愛の母を突然亡くし、 失意の底から自暴自棄になっていたようです。 また、自叙伝『10人兄弟貧乏アイドル☆ 私、 イケナイ少女だったんでしょうか?』からも 上原美優さんは両親に後ろめたい気持ちを抱えていたと思われ、 それを親孝行という形で返そうと思っていたにも関わらず その願いが絶たれたことによって自分を認める 手段を完全に失ってしまったのかもしれません。 上原美優さんが大ブレークした背景には島田紳助さんの 後ろ盾があったと言われるようになり、 それは上原美優さんが当時置かれていた状況からも信ぴょう性が 高いと言われていたようです。 上原美優さんの自殺により一見関係ないはずの 島田紳助さんの名前が上がった理由は、 上原美優さんの遺書から島田紳助さんの 名前が出たという報道があったからでした。 いかがでしたでしょうか。 最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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