【驚愕】中山秀征が松本人志と不仲の真相に震えが止まらない…!『ダウンタウン』潰し…共演NGとなった事件がヤバすぎた!!

【驚愕】中山秀征が松本人志と不仲の真相に震えが止まらない…!『ダウンタウン』潰し…共演NGとなった事件がヤバすぎた!!

みなさん、こんにちは。

みなさんは、中山秀征さんをご存知でしょうか。

中山秀征さんと言えば、明るく気さくなキャラクターで知られていますよね。

そのため、芸能界の中でも様々な方々と交流があり

多くの方から慕われていますが

なんと共演NGにあのダウンタウンの松本人志さんを指定しています。

一体なぜ、共演NGなのでしょうか。

また中山秀征さんと今田耕司さんとの間にも

確執があるとの噂です。

今回は、中山秀征さんと松本人志さん、今田耕司さんとの

確執や噂・暴露などに迫ります。

ぜひ、最後までご視聴ください。


まずは中山秀征さんのプロフィールを見ていきましょう。

本名:中山 秀征

ニックネーム:ヒデさん、ヒデちゃん

生年月日:1967年7月31日

出身地:群馬県藤岡市

血液型:B型

身長:173cm

最終学歴:東京都立久留米高等学校中退

コンビ名: ABブラザーズ(1985年 – 1992年)

相方: 松野大介(コンビ時代)

事務所: ワタナベエンターテインメント

活動時期: 1982年 –

同期: ウッチャンナンチャン、ダチョウ倶楽部、出川哲朗

中山秀征さんは、小学校時代から芸能界を目指していました。

中山秀征さんは、いずれ芸能界に入ることを考えて

体づくりのために野球と体操、人前に見せられる字を書けるように書道を習いました。

そして、小学校の卒業文集では「将来は芸能人になる」と書いていたようです。
 
中山秀征さんは、養成所に入って3ヶ月で子役俳優デビューをしましたが

本格的に芸能界で仕事をするために

中学校3年生の頃に両親に「上京して芸能界に入りたい」と頼んで

神奈川県川崎市の親戚の家に身を寄せました。
 
中山秀征さんは、上京して川崎市立柿生高校に通っていましたが

芸能活動が忙しくなり、中退しています。
 
中山秀征さんは、1981年に東京の児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団しましたが

3ヶ月で俳優デビューできなければ、辞めるつもりでした。
 
入団からちょうど3ヶ月後に

中山秀征さんは、1982年4月20日の火曜サスペンス劇場『狙われた女教師(日本テレビ系)』で

準主役の座を勝ち取り、俳優デビューをしています。
 
中山秀征さんは、その後、都内で知人や恩師の家に下宿させてもらいながら

1984年1月の渡辺プロダクションの

新人募集オーディションを受けて合格しました。


そして、その翌年に中山秀征さんは

同期の松野大介さんと、お笑いコンビ「ABブラザーズ」を結成し

同年中に、小堺一機さんが司会を務めていた

バラエティ番組『ライオンのいただきます(フジテレビ系)』で

アシスタントを務め、初出演を果たしました。
 
しかし、中山秀征さんは同番組で一定の人気を獲得したものの

番組終了と共に人気が低迷し始めました。


中山秀征さんは、芸能人としての生き残りをかけて

俳優業や司会の仕事に向かって行きましたが

相方の松野大介さんは、お笑いを続けたいと思っていたため

考え方の違いで意見が割れ

さらに、1992年頃からダウンタウンなどの「お笑い第三世代」が

台頭してきたことで、ABブラザーズは自然と解散に向かっていきました。

中山秀征さんは、ドラマ出演をする一方で

バラエティ番組でのトークが人気を博し、

人気タレントとなっていく中で、自然と司会の仕事が舞い込むようになりました。
 
1989年のバラエティ番組

『芳村真理のTVトレンディ』でアシスタントMCを務め

1991年のバラエティ番組

『DAISUKI!(日本テレビ系)』でMCとして、レギュラー出演をしました。
 
そして『DAISUKI!』の番組終了と入れ替わるように

バラエティ番組『ウチくる!?(フジテレビ系)』がスタートし

中山秀征さんは故・飯島愛さんと一緒に、メインMCを務めました。
 
以降、中山秀征さんは音楽番組『THE夜もヒッパレ(日本テレビ系)』や

バラエティ番組『おもいッきりDON!(日本テレビ系)』など

数多くの番組のMCを務めるようになり

芸能界において、有名司会者のひとりとなっていきました。
 


そんな「秀ちゃん」の愛称で親しまれている、中山秀征さんですが

経歴を見る限りでは

多くの芸能人に慕われていそうなものです。

しかし、実際の中山秀征さんは、芸能界に敵が多いという噂があるのです。

見た目とキャラのギャップといいますか

これには驚かれる方も多いかも知れません。

その「敵」と言われる中でも

特にダウンタウンの松本人志さんとは犬猿の仲だそうで

両者共に現在も共演NGであると言われています。

この噂が有名なのは、何故この確執が生まれたかを

松本人志さんが、有る経緯で暴露しているからなのです。

この確執の根本は、中山秀征さんが

まだABブラザーズとして活動していた頃に

ダウンタウン潰しを試みた事が原因だと言われています。

中山秀征さんがどうやって、ダウンタウンを潰しに掛かったのかは

定かではありませんが、現在のダウンタウンをみれば

その計画は失敗したと言うことが分かります。

ただ、この計画によって中山秀征さんとダウンタウンに

確執が生まれたのは間違いないでしょう。

その犬猿の仲っぷりは、松本人志さんの著書にも表れています。

松本人志さんは、今から20年以上前

中山秀征さんが、レギュラーを14本抱える売れっ子だった事に対し

「楽なレギュラーの持ち方をしている」と

自身の著書の中で、中山秀征さんの仕事を痛烈にDISっています。

構成からしっかりと携われば、5本が限界だと

自らのレギュラー番組の本数と比較しているのです。

中山秀征さんと松本人志さんが和解する可能性はあるのでしょうか。

2人の和解についてですが、0%という事は無くとも

それに限りなく近い確率で、この二人が和解することは

この先無いと考えるのが普通です。

余程の事がない限り、この2人が和解することは、難しいのでは無いでしょうか。

それに、この2人位のビッグネームに成れば

今更和解するメリットも無いはずですし

根本が相容れない2人なので

お互いに棲み分けしていけば良いと

考えるのが妥当なところではないでしょうか。



また、その次に中山秀征さんと仲が悪いと

言われているのが、今田耕司さんです。

何故、中山秀征さんと今田耕司さんに確執が生まれたのかというと

1993年のフジテレビ系深夜番組「殿様のフェロモン」

での共演がきっかけのようです。
 
当時の中山秀征さんは、レギュラー番組14本と超売れっ子タレントとなっていました。

その一方、今田耕司さんは大坂から上京したばかりの駆け出しで

ダウンタウンの浜田雅功さんに挨拶にいったところ

「全員殺してこい」といわれたそう。
 
この一言を忠実に守ったのか、当時東京で大人気だった中山秀征さんを敵視したようです。

ピンに転向してから中山秀征さんは

共演者と「楽しく飲みながら」というような和気あいあいとした空気作りに徹して

それなら上手くいかない人はいないだろうと思っていたようです。
 
しかし、当時これから売れたいという野望で

ギラギラとしていた血気盛んな今田耕司さんは

友好的な態度ではなかったため、このような確執が生まれてしまったのでしょう。

しかし松本人志さんとは違い、今は2人は和解しています。

お笑いコンビ、サブングルの松尾さんが

今田耕司さんから当時のことを反省しているとの話を聞き

中山秀征さんとの間を取り持ってくれたそう。

そのおかげで役20年ぶりに今田耕司と中山秀征さんらは

再会し、確執が解消されたようです。


最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。

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それでは、また。

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