みなさん、こんにちは。 80年代のトレンディ俳優として月9の常連だった 陣内孝則さん。 彼が当初地元の九州で目指したのは歌手として活動して ロッカーズとして活躍していた元祖ビジュアル系バンドの ボーカルだったことは結構有名です。 還暦前となった今も白髪がとてもお洒落な陣内さんの 生い立ちや実家の様子、さらには現在のご家族になどについて 調査しました。 まずは陣内さんの簡単なプロフィールからご紹介します。 本名:陣内孝則 生年月日:1958年8月12日 出身地:福岡県大川市 身長:176㎝ 血液型:B型 職業:俳優・歌手・タレント・映画監督 所属事務所:ジェイ・オフィス 福岡県出身の陣内孝則さんの実家は 祖父母の時代から100年以上続く 婚礼家具を中心に扱う町工場・陣内木工という家具屋として 地元でも結構有名な町工場を営んでいました。 その為実家での暮らしぶりはかなりの大家族で 祖父母始め、父親の兄妹家族や住み込みの従業員を含めた 総人数が35人の大家族として暮らしていたそうです。 その中の超跡取り息子として今でいうところの バチバチのお坊ちゃんだったのではと思われます。 気取らない雰囲気とキャラクターが持ち味の陣内さんなので そういった雰囲気は出されませんが、間違いなく地元でも有数の お坊ちゃまだったのではないかと推測できます。 現在では、由緒正しき陣内家の跡取りが 芸能界で成功を納めた為陣内孝則さんの実の弟(4歳下)が 実家の家業を継がれているそうです。 陣内さんには妹さんも見えたようで、 実家では相当賑わしい暮らしぶりだったようですね。 そんな陣内家でスクスクと育った陣内孝則さんですが 意外にも勉強ができて優秀だったらしく 中学受験では惜しくも失敗するも地元福岡では屈指の進学校だった 西南学院中学校に進学しています。 若い頃からかなりモテたのか地元福岡時代に女友達や 彼女を連れて実家に帰ると両親には実家の家業が家具屋である事から 『あの子の体系では家具が持てない』などと リアルなダメ出しがあったそうです。 今年還暦を迎える陣内さんの時代ですので 現代よりもっと長男が跡取りするのが当然の時代だったでしょうから 尚更かもしれませんね。 昔からチヤホヤされるのが大好きだったという陣内さん。 両親の思惑を尻目に陣内さんは自由人だったようで バンド活動に夢中になって芸能界の道へと邁進します。 一時は父親にも東京への上京を決意した時に 『そんなもので食っていけるのか?』と言われたそうです。 でも陣内さんは「俺は夢を食って生きていく!」 と言い返し、見事音楽では一旗とはいきませんでしたが 俳優としてその後押しも押されぬ人気俳優へと 駆け上がったのですから、ある意味凄いですよね。 80年代を代表するトレンディ俳優として 当時は月9に引っ張りだこ状態だった陣内さん。 当時バブル全盛期だったこともあり 俳優の中でも不動産投資が流行っていたみたいです。 陣内さんも既に売れっ子俳優だったので 波に乗って不動産投資をします。 ですが世の中そうあまくないものです。 結局その時の不動産投資で陣内さんは その後のバブル崩壊と相まって10億円程の借金を抱えます。 当時の不動産投資で失敗した借金と 実家の陣内木工の借金と合わせた借金10億程を 陣内さんは長男の責任として、25年かけてを完済したそうです。 結局25年かけて返済したことによって 10億だった借金は、返済したときには倍以上の返済額の 20億は返済したと笑いながら話していたのが印象的でした。 何事も為せば成るみたいなキャラクターが それだけの莫大な借金を抱えても芸能界で いまだに第一線で活躍できるバイタリティーとして生かされているのかもしれません。 そんな陣内さんの息子さんが フジテレビにコネで入社したと噂されています。 大学は同志社でアイスホッケー部に所属していたのですが その頃からかなり微妙だったとか。 早速詳細に迫ってみましょう。 陣内孝則さんには2人の息子さんがいますが、 長男はフジテレビの社員として現在も働いています。 天下のフジテレビに入社したいと思う学生は五万といます。 そんな中で狭き門を潜り抜けることができたのは、 陣内孝則さんの影響ではないかと言われています。 所謂コネ入社というものですが、 実際にテレビ業界では未だにコネ入社が多いと言われています。 例を挙げると、野球解説者の田淵幸一さんの息子・田淵裕章さん(アナウンサー)、 生田斗真さんの弟・生田竜聖さん(アナウンサー)、 藤井フミヤさんの息子・藤井弘輝さん(アナウンサー)など、 挙げていくときりがありません。 しかも、これらの人たちの大半がアナウンサーだという事実が、 フジテレビのコネ採用疑惑に拍車をかけています。 さて、本題の陣内孝則さんの息子さんの件ですが、 入社後はアナウンサーとしてではなく番組制作スタッフとして働いているそうで、 入社後のキャリアパスが異常だとも言われています。 確かにこれだけ大きな会社で、 入社3年目にしてディレクターに昇格できているのはどう考えても不自然です。 最近では、2021年3月末まで放送されていた 朝の情報番組『とくダネ!』のディレクターをしていました。 テレビ局のディレクターと言えば、 20代から40代と幅広い年齢層の人たちが名を連ねていますが、 一般的には30代になってからディレクターに昇格する人が多いことから、 完全な実力主義の下で現在のポジションを獲得したとは言い難い状況です。 芸能人の子息がフジテレビに入社しているケースが多いこと、 フジテレビ入社後を昇進が異常に早いことを鑑みると、 陣内孝則さんの息子さんがコネ入社である可能性は十分に考えられます。 陣内孝則さんの息子、陣内太郎さんは、 スポーツ推薦で同志社大学に入学し、 大学でもアイスホッケー部に所属していました。 そんな陣内太郎さんですが 過去に炎上事件を起こしていたという噂があります。 この事件は、陣内太郎さんがフジテレビに入社した直後のことを指しています。 フジテレビに入社する際に行った人事部との面談内容の詳細や、 入社後に受けた研修の詳細を自身のSNSに投稿したり、 入社式の後に家族で食事会をするために行った店に、 開店前にも関わらず入れてもらえたことに関して、 改めて父親(陣内孝則さん)の影響力が凄い!とツイートしたのです。 この件に関しては、世間からだけではなく フジテレビからも厳しく指導が入ったため、 これ以降は態度を改めているようですが、当時は世間を賑わせました。 さらに陣内太郎さんは、傷害容疑で 書類送検された過去があるということもわかりました。 2017年8月に開催された社会人アイスホッケーの試合中に、 相手チームの選手の足を引っ張って倒し、 スケートの刃を顔面に接触させ、 鼻を10針縫う大怪我を負わせた疑いが持たれています。 陣内孝則さんの息子さんに大怪我を負わされた人物は、 左膝の靱帯を損傷したため、 医師から左膝には一生障害が残るとまで言われたそうで、 治療費や慰謝料など約11万円を 陣内孝則さんの息子さんに向けて請求したそうです。 このとき、陣内孝則さんの息子さんは一旦は了承したそうなのですが、 その後弁護士を立てて支払いを拒否するという攻勢に出ました。 このままでは泣き寝入りになってしまうと危惧した被害者側が 約2年かけて準備を進め、刑事告訴に踏み切りました。 告訴状は2020年6月2日に正式に受理され、 陣内孝則さんの息子さんは書類送検されました。 この当時、父親の陣内孝則さんは息子さんに対して、 自分の言い分はきっちりと弁護士や検察に言うように伝えていました。 そしてその後2020年12月17日に、 検察側から陣内さん側に対して不起訴処分が下り、 この件は一件落着しました。 いかがでしたでしょうか。 今回は、陣内孝則さんの生い立ちや、息子さんのことについてお話ししました。 今年還暦を迎えるとは思えないくらい 本当に若い頃からの雰囲気が変わらない陣内孝則さんの 不思議な魅力は福岡県の大家族の中そだった長男 というルーツも関係あったかもしれませんね。 今は見事な白髪の頭も凄くカッコいい陣内さんですが 年齢と共に今後もどんな役者として 楽しませてくれるのかますます目が離せませんね。 最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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