みなさん、こんにちは。 本人だけではなく家族まで注目を浴びてしまうのが 芸能人の宿命とも言えます。 木村拓哉さんも例外ではありません。 今回は、そんな木村拓哉さんの両親や弟について迫っていきます。 まずは、木村拓哉さんのプロフィールからご紹介します。 愛称:キムタク 本名:木村拓哉 生年月日:1972年11月13日 身長:176cm 出身地:東京都 最終学歴:都立代々木高等学校定時制課程 所属事務所:ジャニーズ事務所 木村拓哉さんは両親に弟が1人の4人家族。 あまり私生活を語らないことで知られる木村拓哉さんですが 実は母親が少し変わり者だと噂になっているようです。 一体どうしてそのようなことを言われるようになったのでしょうか。 母親の名前は「木村まさ子」さん。 最初の頃は子育てをメインに講演会を開いていたそうですが だんだんとスピリチュアル的な話を含めた トーク内容になっているそうで なんだか胡散臭いと不信感を抱いている人が多いようなのです。 しかし木村拓哉さんのファンはもちろん 純粋に講演の内容に共感する人がいるのも事実です。 講演会は全国各地で開催され 毎回大勢の人が集まっているそうですよ。 まさ子さんは1997年から2005年まで イタリアンレストラン『ラ・ポニータ』を 夫の秀夫さんと共に経営していました。 木村さんは1991年にSMAPとしてデビューされているので 人気が出始めたころにご両親はこのレストラン業を開始しました。 やはり当時から木村さんはとても人気があったため 多くのファンがこのレストランに駆け寄ったそうです。 その影響もあってか木村さんの父 秀夫さんが体調を崩してしまい 8年間経営したお店を2005年に閉店してしまいました。 母のまさ子さんは『ラ・ポニータ』を閉店した同年2005年に イタリア薬膳料理『リストランテ いな田』を開業します。 元からエネルギッシュで起業思考だったのでしょうか。 『ラ・ポニータ』も本格的なイタリアンが味わえると とても好評だったお店でしたが この『リストランテ いな田』も イタリアンと薬膳料理を組み合わせた料理を提供していて とても美味しいと大好評だったようです。 ですが、今回はまさ子さんが多忙による体調不良になってしまい このお店もわずか4年という期間で閉店しました。 味もおいしく、またスター木村拓哉さんの母親ということもあり 沢山のファンやマスコミの方がお店に来てしまったようですね。 そしてこのイタリア薬膳料理『リストランテ いな田』を経営しながら まさ子さん自身も2007年から全国各地で講演をし始めました。 またまさ子さんが講演活動を開始した同年の2007年には 「育みはぐくまれ」という著書を出版しています。 こちらの本はまさ子さん自身の生い立ちや木村さん含め 息子2人を育てた母親としての エピソードや教育論が書かれています。 木村拓哉さんを育てた母親として また教育者としてまさ子さんの講演には ファンだけでなく多くの方が集まったようです。 時には400人をも超える人がまさ子さんの講演に参加したそうです。 そんな木村まさ子さんは富山県の土地がお気に入りで 自身がオーナーとなり農業をやっているのだとか。 また、富山県の『越中を自慢する会』の会員にもなっていて 別荘を持っているという噂もあるそうです。 2011年にまさ子さんは 『一般社団法人 ふる里再生協会』を創設し会長に就任しました。 こちらの団体活動については 「農業をもっと活性化しよう。故郷や町を改めて再生しよう」 といった目的を主に活動されています。 ですがマスコミはこれを スピリチュアルな宗教活動として捉え報道しました。 このころからまさ子さんの活動は 宗教活動と言われるようになりました。 また2015年には 主に人材育成を中心に活動されている 加藤秀視さんとの対談が少し話題を呼びました。 その対談でまさ子さんは当時まだお2人の息子さんが幼かったころ 「安定剤を飲まないと生活できない日々が続いた。 睡眠薬を飲まないと眠れない日々が約16年間も続いた。」 とおっしゃっており、木村拓哉さんの母親として また2児の母としての苦労があったようです。 また夫の秀夫さんは昔ながらの厳格な性格だったため お家の子と教育は基本まさ子さんが一人で背負われていたのでしょう。 2016年には秀夫さんとの別居報道が出されていて 一般人のまさ子さんにとっては異例の報道だったでしょう。 それほど木村さんが芸能人としてもVIPということがわかります。 現在は宗教活動を行っていると噂されていますが 今までの苦労から生れたことかもしれませんね。 次に父親についてです。 前述したように、名前は木村秀夫さんといい 老舗の織物メーカーである「川島織物」に勤務していたようです。 木村拓哉さんは1996年に写真集「木村拓哉」を出版していますが 出版元の川島インターナショナルは川島織物の子会社だそうです。 写真集の出版には木村秀夫さんも関与していたのかもしれません。 その後、木村秀夫さんは川島織物を退社して レストラン「ラ・ポニータ」を開店。 しかし、忙しさのあまりに身体を壊してしまい ラ・ポニータは閉店となり 現在は盆栽展を併設する和風カフェを ゆったりと経営しているそうです。 このように個性豊かな木村拓哉さんの両親ですが 現在は別居しているそうです。 別居と言っても不仲なわけではなく「卒婚」の準備のようです。 喫茶店の経営や講演会など 互いにやりたい事があるからこその卒婚なのかもしれませんね。 続いて弟についてです。 木村拓哉さんの弟は、木村 俊作(きむら しゅんさく)さんといい ファンの間では有名で、「キムサク」という愛称があります。 俊作さんは木村拓哉さんの7歳年下の弟で 堀越高校に入学してからアメフトを本格的に始めたそうです。 堀越高校と言えば芸能人御用達の高校ですが 俊作さんは芸能方面に興味はなかったらしく ひたすらアメフトに打ち込んで 日本体育大学(体育学部)に進んでいました。 大学時代は”ラインバッカー”というポジションで活躍し 2002年にはアメフト界の名門 「アサヒビールシルバースター」に入団するなど 話題性だけでなく実力も認められていました。 2003年の第2回ワールドカップ(ドイツ)では 日本代表として連覇に貢献する活躍をしています。 それから間もなく現役選手を引退したらしく 同じ頃に1歳年下の女性と結婚をしたそうです。 俊作さんと木村拓哉さんの仲について見て行きましょう。 現役選手だった頃は近所に住んでいて 木村拓哉さんの豪邸に遊びに行くこともあったそうですが アメフト選手を引退してからは家の行き来は減ったそうです。 これは兄弟が不仲になったと言うよりも 木村拓哉さんは相変わらず芸能活動が忙しく 弟の俊作さんは第二の人生を歩み出したばかりで 多忙だったことが大きいのでしょう。 お互いに家庭を持っているので 自分の家族を優先にするのは仕方がないですし 兄弟であるからこそ頻繁に顔を合わせなくても 意思の疎通(そつう)が出来ているとも言えます。 男兄弟は適度な距離感で付き合っている例が多いので 木村兄弟も不仲とまでは言えないですね。 もっとも、俊作さんは 「キムタクの弟」と言われることがあまり好きでは無いそうです。 現在の木村俊作さんの仕事の状況について見て行きましょう。 木村俊作さんは現役時代の2002年頃に 高校の同級生とファッションブランド「シュイップ」を立ち上げ デザイナーとして活動していたことがありました。 しかしながら、ふたりで経営していた”シュイップ”は 惜しまれつつ閉店してしまったそうです。 現在は2005年に設立した 有限会社NFFの代表取締役を務める実業家であり 主に自衛官や海上保安庁、警察官向けの カレッジリングを制作&販売をしていました。 俊作さんが会社を設立して代表取締役になっていたのは 少し意外な気もしますが ワールドカップに出た運動神経だけでなく 経営やデザインの才能も有るのは凄いですよね。 また、自衛隊繋がりで言えば 防衛大学校のアメフト部でコーチもしているそうです。 その一方でファッションモデルとしても積極的に活動をしているらしく 2018年10月17日に開催された 「Amazon Fashion Week TOKYO」でランウェイを歩いていました。 今回は、木村拓哉さんの両親や弟について迫っていきました。 最後までご視聴ありがとうございました。 コメントを残してくれると嬉しいです。 チャンネル登録、高評価も是非お願いいたします。 それでは、また。
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