やしきたかじんが亡くなった本当の理由に一同驚愕…『関西の視聴率男』が残した遺産額…嫁と娘の遺産相続問題の結末に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
冠番組が高視聴率をマークすることから、
「関西の視聴率男」と呼ばれ
歌手、タレント、ラジオパーソナリティなどで
活躍していた、たやしきたかじんさん。
今回はそんな、やしきたかじんさんの
死因や病気、遺産相続バトルについてご紹介します。
やしきたかじんさんのプロフィールをご紹介します。
名前:やしきたかじん
本名:家鋪隆仁(やしきたかじ)
生年月日:1949年10月5日
出身地:大阪市西成区
やしきたかじんさんは、2014年1月に他界されています。
やしきたかじんさんの死因について、
2つの説がありますので、ご紹介します。
普段からウォーキングに励み、1月中旬にはハワイ旅行を
計画していたそうです。
このことから、まだまだ生きるつもりだったようですし、
正月という時期的なものから、
突然、窒息死説の信憑性が高まったようです。
ですが、最終所属事務所のP,I,Sから正式に
心不全が原因です。と報道されました。
やしきたかじんさんは、以前から
「正月に自分の計報のせいで、みんなを悲しませたくない」
という意向を示していたそうで、
もし窒息が原因なのであれば
息を引き取るまでの間に正確な意向を
伝えるのは難しいことから、正月前から体調を崩しており
死期を悟っていたのではないでしょうか。
そのため、死因は正式に発表された心不全であることが
1番可能性が高いと思われます。
やしきたかじんさんは、
2012年に食道がんになったことを発表しました。
飲酒が発症リスクを高めるため、
酒豪であったやしきたかじんさんが
患ったことに対して、不思議と思うことはありません。
発見当初は初期だったものの、
実際には進行していました。
どのステージだったか公表されていませんが、
手術で回復できる程度の
ステージ2までは進んでいたかもしれません。
しかし自身は、
「好き勝手に生きてきたんだから、良性なら申し訳ない」と発言し、
発覚当日にも焼き肉を平らげています。
豪快な性格を物語るエピソードですね。
その後は芸能活動を休止し、
入院先で抗がん剤治療と手術を受けます。
しかしわずか1か月で外出し、
マクドナルドのフィレオフィッシュバーガーを食べるという、
驚異的な回復を見せました。
いったん退院するも、
抗がん剤の副作用により再入院。
しかし再入院も、2週間の予定だったのですが、
1泊だけで退院しました。
そして活動休止から約1年後の2013年、
「たかじん胸いっぱい」で復帰しています。
しかし、同年5月には体調不良で再び休養に入り、
それから復帰することはありませんでした。
おそらく亡くなるまで、
食道癌の後遺症と闘っていたのではないでしょうか。
直接的な死因は心不全。
とはいえ間接的には、食道癌による体力の低下が、
大きく影響しているかもしれませんね。
次は、やしきたかじんさんの伝説的な
酒豪エピソードをご紹介します。
やしきたかじんさんは、
食道がんを患い、闘病に明け暮れていましたが
大好きなお酒をやめることはありませんでした。
治療のため、休業中だった時期も、
仲間3人で、ワインを10本開けたそうです。
そのほかにも、伝説エピソードがあります。
かつて、福井県で夜通し
飲み歩くという特番があったそうです。
その時に、福井には上質なワインがなさそうなため
やしきたかじんさんは、スーツケースに10本ほどのワインを
入れていたそうです。
しかし、2軒目までで、すでに全部飲み干していたそうです。
6軒ほど回って、やしきたかじんさんは
始発で帰ったそうです。
また、通勤中のサラリーマンたちへ
君らはそれで楽しいのか。と絡んでいたそうです。
酒豪の名に、ふさわしいエピソードですよね。
次は、やしきたかじんさんの結婚歴と遺産相続バトルについて
ご紹介します。
やしきたかじんさんには、3度の結婚歴があります。
無名時代に一般女性と最初の結婚。
この結婚で1女をもうけますが、
1980年に調停を経て離婚が成立。
1993年に15歳年下の元モデルと再婚。
しかし二度目の結婚生活でも
女性関係が改善することはなく、2006年に破局。
二度の離婚はいずれも、自分に非があることを認めています。
女遊びが激しかったことで知られるたかじんさんが、
最後の嫁として選んだのが32歳年下のさくらさんでした。
さくらさんと再々婚したのは、
自身が闘病中にあった2013年10月のことです。
この前年に食道がんが発覚し、
一度は復帰を果たしたものの、再び療養中でした。
闘病生活を支え続けたさくらさんに対する
「けじめ」として結婚に踏み切ったといわれています。
年が明けた2014年1月3日、
やしきたかじんさんは、心不全のためこの世を去りました。
その年の11月、百田尚樹さんによる『殉愛』が刊行されます。
同著はさくらさんの日記や証言に加え、
たかじんさんが残したとされるメモを元に執筆した
ノンフィクションで、「かつてない純愛」と銘打たれた作品。
テレビ番組でも大々的に取り上げられました。
ところが、内容の信憑性を疑う声が噴出すると同時に、
さくらさんをめぐる黒い疑惑が持ち上がって騒動に発展。
32歳年下であり、亡くなる直前の極秘結婚だったこともあり、
遺産目当てではないか、はじまりは不倫交際だったのではないか
といった憶測が広がりました。
たかじんさんの長女に至っては、
「内容が事実に反する」として
出版社を相手に訴訟を起こしています。
やしきたかじんさんの没後、
さくらさんはやしきたかじんさんの
親族や関係者と良好な関係になかったことが
関係者の証言から、明らかになりました。
やしきたかじんさんの長女は、父の病状や入院先を
一切知らされておらず、連絡すらとれなくなっていたそうです。
さくらさんはまた、自らを代表取締役として
Office TAKAJINを設立します。
やしきたかじんさんが代表を務めていた事務所のP,I,Sから
会社の実印や帳簿、契約書などを持ち出したそうです。
その後、権利関連を管理する事務所は、P,I,Sから
Office TAKAJINに移っているようです。
やしきたかじんさんには、若い後妻だけでなく
前妻との子もいたということで、
世間の目は遺産相続問題に集まりました。
やしきたかじんさんの遺産総額はおよそ10億円。
死の4日前にやしきたかじんさんは
遺言書を残していたそうです。
その内容は、大阪市に3億円、OSAKAあかるクラブに2億円、
母校の桃山学院に1億円を寄付し、
残りをさくらさんに相続させるとあり、
長女の相続分はゼロでした。
これを知った長女は、
驚きとショックのあまり言葉を失ったそうです。
その後、長女は法定相続人として、
最低限認められている相続の権利を要求する
「遺留分減殺請求」を起こしました。
「遺留分減殺請求」は、寄付を受けた人や団体に対しても
支払いを請求することが可能です。
報道によると、長女は大阪市と
OSAKAあかるクラブに請求を起こし、
寄付金の一部返還を受けたそうです。
本来なら妻と娘で遺産を分け合うところなのですが、
やはり相続はすんなりとはいきませんでした。
若い妻が遺産を相続した場合、
遺産目当てという風評はとかくついて回るもの。
真相は本人のみぞ知ることになりますが、
彼女が莫大な遺産を手にしたのも事実です。
今回は、やしきたかじんさんの死因や
結婚歴、遺産相続についてご紹介しました。
病気にもめげず、最後まで
ファンを楽しませることに徹してくれた
やしきたかじんさん。
太く短く、男らしく生きることを
実践した生涯だったといえますね。
これからもやしきたかじんさんの数々の
伝説的なエピソードは語り継がれることでしょう。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
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それでは、また。