ジュディオングの大切な人との最期の別れに涙が零れ落ちた…「魅せられて」で有名な歌手のまさかの現在や経歴に一同驚愕…
みなさん、こんにちは。 歌手や俳優、木版画家として活躍している ジュディ・オングさん。 1979年に発表した楽曲 『魅せられて』は大ヒットを記録し、 今もなお、多くの人に歌い継がれています。 そんなジュディ・オングさんの現在や経歴など、 さまざまな情報をご紹介します! まずは、ジュディオングさんのプロフィールを紹介します。 ・名前 ジュディ・オング ・生年月日 1950年1月24日 ・身長 153cm ・出身 台湾台北市 ジュディオングさんは台湾台北市生まれ。 父親がラジオ局に勤務。 兄弟は兄。1952年、ジュディオングさんが 3歳になる頃、父親は英語が話せたことから GHQの依頼で来日。 日本ではGHQラジオで中国語放送のチーフとして 番組を作っていたそうです。 家で家族との会話は台湾語、 通っていた中華学校では北京語、 外で日本人の友人と話す時は日本語をを使い、 自宅の家庭教師からは英語を習っていたといいます。 当時の家庭教師から「Judy」という 英語名をつけてもらった「そうです。 習い事は歌、ピアノ、バレエなど。 1959年、9歳の時に劇団ひまわりに 入団し子役として活動。 1960年11月、11歳の時、フジテレビのドラマ 「つづり方兄妹」で子役デビュー。 小学5年の時に、中華学校からアメリカンスクールに転校。 アメリカンスクールに入学した時、 「ジュディ」というニックネームを使っていたそうです。 高校はAmerican School in Japan、 ASIJ(アメリカンスクール・イン・ジャパン) 1902年(明治35年)に在日アメリカ人の 子弟のためのナショナル・スクール 当時の東京府の築地に設立。 現在は東京都調布市と、 港区の六本木ヒルズに校舎があるようです。 歌手の宇多田ヒカルさんも卒業生。 大学は上智大学国際学部(偏差値65)を卒業しました。 2019年7月9日には、医療分野へ向けた チャリティ活動を行ったと自身のツイッターで報告しました。 また、日本介助犬協会の介助犬サポート大使にも 任命されており、介助犬育成支援プロジェクトに参加しています。 歌手活動にも精力的に取り組んでおり、 2021年4月17日と18日の2日間で行われた 作曲家・筒美京平さんを偲ぶトリビュートコンサートに出演。 名曲『魅せられて』をダイナミックに歌い上げました。 そして、同年7月30日に行われたコンサート 『めざましクラシックス サマースペシャル 2021 Produced by ちさ子&軽部』にも出演。 すばらしい歌声で会場を盛り上げました。 さらに、2021年8月より、 公式YouTubeチャンネルを開設。 「ポジティブなことをやりたい」 という思いで始めたそうです。 このチャンネルでは料理や気功のレッスンなど ジュディ・オングさんのプライベートが分かる 動画が配信されており、ファンを楽しませています。 ジュディ・オングさんが、 2021年2月放送の教養番組 『植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 10分版「カラスウリ」』(NHK Eテレ)に出演。 進行役を務めるアナウンサー・林田理沙さんを驚かせました。 俳優の山田孝之さんが、植物のユニークな生態を 擬人化によって視聴者に伝えるという番組に ドレープがたっぷり入った白いドレスを着て登場した ジュディ・オングさん。名曲『魅せられて』を歌い上げ、 林田理沙さんを感動させていました。 すると、山田孝之さんは「『魅せられて』が なぜレコード大賞を受賞し、 何年も愛される名曲となったのか。 それは衣装に白いヒラヒラがあったからです」とコメント。 さらに、「白を効果的に使って存在を 目立たせるカラスウリスタイルは、 ジュディ・オングさんだけでなく、 いろいろなアーティストが応用してパクっています」 と付け加えました。 この言葉にジュディ・オングさんは困惑した表情に。 一連の流れを見ていた視聴者は 「まさかのジュディ・オング…」 「山田孝之が辛辣すぎる」 とコメントしていました。 ジュディ・オングさんが、 2020年8月13日にトークバラエティ番組 『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演。 新型コロナウイルス感染症の影響による ステイホーム中の生活について語りました。 現在、一人暮らしをしているという ジュディ・オングさんは、 台湾に住む母親とテレビ電話を楽しんでいるそう。 親子の間で身支度チェックを行い、 外出しなくても身なりを崩さない生活を心掛けているといいます。 また、自宅には愛犬がおり、 我が子のようにかわいがっているとか。 趣味のお裁縫や家庭菜園などに取り組みながら、 ゆったりとした暮らしを送っているようです。 台湾出身のジュディ・オングさんは 11歳の時に日米合作映画『大津波』で 俳優としてデビューしました。 その後も数々のテレビドラマや映画、舞台を経験。 演技のスキルを高めながら、 16歳で歌手デビューを果たしています。 そして、1979年に発売したシングル 『魅せられて』で日本レコード大賞を獲得。 発表の瞬間は喜びと感動と驚きが ごちゃ混ぜになってしまったといいます。 その後も歌手活動を続けながら、 世界の子供たちに向けた支援活動もスタート。 アジアの地域では、チャリティイベント 『台湾大地震ハート・エイド』や 『ハートエイド四川』をプロデュースし、 たくさんの人を笑顔にしています。 また、25歳の時に木版画の製作に取り組むようになり、 ジュディオングさんは木版画として 国内外で個展を開催するなど活躍しています。 ジュディオングさんが版画を始めたのは 「魅せられて」が大ヒットする4年程前、1975年の25歳の時。 きっかけは版画家・井上勝江さんの個展で 版画の白と黒の世界に魅了されたことだそうです。 ジュディオングさんは衝撃を受け、 自分でもやってみなくなり、 井上勝江さんに師事を願いますが、断られたといいます。 しかし、断られて逆に燃えた ジュディオングさんは自宅に帰ると、 兄がステレオセットを作った残りの ベニヤ合板に椿の絵を描き、彫刻刀を借りて彫り、 井上勝江さんの個展が開かれている間に 大急ぎで作品を完成させました。 その版画を井上勝江さんに見せると、 版画からやるきが伝わったのか師事を許されたそうです。 ジュディオングさんの実績について簡単に紹介します。 1975年、版画「店蔵」が日本板画院展初入選。 1976年には「町屋」、1977年には「油屋」、 1978年には「夏天涼風」が入選しています。 1980年代、1990年代にも入選しています。 1993年、東京で初の個展を開催。 1997年木版画集「萬紫千紅」を発売。 1998年、:ドイツ・マイセン陶器が ジュディオングさんの版画「カトレヤ」 をモチーフに陶板画発表。 2000年5月、フランス、パリの Le Rendez-vous Toyotaで版画展を開催。 2003年には、宇治の平等院鳳凰堂を 100号の作品に仕上げた「鳳凰迎祥」が8回目の日展に入選。 2005年3月には、同作品が平等院に奉納されました。 このようにマルチに活躍するジュディ・オングさんに 2021年7月、悲しい知らせが飛び込みます。 それは『魅せられて』をプロデュースしてくれた 酒井政利さんの訃報でした。 ジュディ・オングさんは、自身の恩人として 尊敬していた酒井政利さんにこのような コメントを発表しています。 「どれだけ泣いても、涙が止まりません。 私の大好きな酒井さんが、 もういらっしゃらないなんて。 歌手としての私を信じて制作してくださった 『魅せられて』は、私の宝物です。 残された者が輝いて歌うことが一番の供養であり、 喜んでいただけると思い、 歌い続けていくつもりです。 いつまでもずっと、空から見ていてください。 ご冥福をお祈り申し上げます」 ジュディ・オングさんが活躍する姿を 酒井政利さんは笑顔で見守っているに違いありません。 これからも素敵な歌声を世界中に届けてほしいですね。 最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。