デヴィ夫人の総入れ歯の理由や逮捕歴に驚きを隠せない…結婚後に起きた数々の悲劇…裏に隠された深すぎる闇に一同驚愕…

デヴィ夫人の総入れ歯の理由や逮捕歴に驚きを隠せない…結婚後に起きた数々の悲劇…裏に隠された深すぎる闇に一同驚愕…

みなさん、こんにちは。

今回取り上げるのは

テレビで人気となっている

デヴィ夫人です。

かつてのインドネシア元大統領の第3夫人で、

本物のセレブを前面に押し出しているデヴィ夫人。

何だか今ではお茶の間のタレントさんに

染まった感がありますが。

一体どういうヒトなんでしょうか。

デヴィ夫人のプロフィールは次の通りです。

本名:根本 七保子(ねもと なおこ)

生年月日:1940年2月6日

身長:159cm

血液型:A型

出身:東京都港区西麻布

東京の西麻布に生まれるも家は貧しく、

家計を支える為に父を亡くした16の時から、

デヴィ夫人は、高級クラブ”コパカパーナ”で

働いていました。

お客さんには要人や外国人VIPも多く、

売春行為がOKなクラブだったとか。

つまり、普通の高級クラブとは

一線を超えたクラブだったのだそうです。

デヴィ夫人の”入れ歯”伝説は、

外国の要人に”特別な接待”、

つまり”フェラ”をする為に、

16歳の若さで総入れ歯にしたとかの噂もあった。

でも作り話にしては出来過ぎですね。

それに額面上は、ファーストレディという事ですが、

スカルノ大統領の4人の妻の3番目という事で、

”ファースト”には程遠いですかね。

でもこの3番目の妻というのが

如何に残酷で大変なものかは、

以下で述べます。

19歳の時に、インドネシアへ”東日貿易の秘書”として、

スカルノさんの元に送り込まれ、

そのまま愛人として数年を過ごした後、めでたく結婚します。

この件には暴力団関係者の児玉誉士夫さんが

関わってたと言われています。。

当然、この結婚には、黒い噂が立ち、

マスコミの執拗な取材により、

体調を崩してた母が亡くなりました。

更にセールスマンに全財産を騙し取られた上、

弟が自宅でガス自殺。

全く黒い疑惑の結婚が悲劇を生む典型です。

しかしまだまだ不幸は続きます。

3年後に起きた軍事クーデター(1965)で

スカルノさんは、失脚、軟禁状態におかれ、

デヴィ夫人は何とか日本に逃げ延びました。

都内病院にて1人娘のカリナさんを出産し、

スカルノさんとの婚約もしばし噂されたが、

再婚に至りませんでした。

1970年スカルノさんが死ぬも、何とかスカルノさんの

財産の一部は贈与されました。

不幸中の幸いですね。

しかし、その後も男性遍歴と破局は続きます。

フランスへ亡命したデヴィ夫人ですが、

スペイン人のフランシスコ•パエサさんとつきあうが別れ、

フランスの貴族サブラン公爵と婚約するも破局します。

”東洋の真珠”とも称賛された自慢の容姿で、

多くの要人らと関係を持ったとされてます。

1980年にはインドネシアへ戻り、

石油関連事業を興したが、

当然の如く干されてしまいます。

その後、1991年にはアメリカのNYへ移住しました。

インドネシアの第一線から退き、

お陰でその後の政変や政治の動乱に

巻き込まれる事なく、

再び日本に帰国し、現在に至ります。

しかし、1992年にはコロラド州アスペンで、

第4代フィリピン大統領の孫娘の

ミニーオス•メニャさんの顔をシャンパングラスで殴打。

結果、37針を縫う大けがを負わせ、

傷害罪で逮捕されます。

禁固60日•罰金700ドルの実刑判決が出たが、

”刑務所での生活は学生寮のようで楽しかったわ”

と語っています。

その後は日本でタレントとして活躍されています。

タレント的活動は、70年代より行っており、

1974年には有名なヌード写真を披露し、

一躍スターダムにのし上がりました。

2014年には、TBSのバラエティー番組の収録中に、

一般の女性出演者を3度平手打ちした暴行容疑も有名です。

平手一発幾らで和解に応じたんでしょうか。

その件についてはハメられたという噂も立っています。

その他、数々の訴訟や詐欺事件、

公職選挙法違反にも絡んでいるデヴィ夫人の醜聞ですが。

彼女の生い立ちと度重なる不幸からすれば、

仕方のない事でしょうか。

極貧の時代には雑草を食ってたとありますから、

大目に見ましょうね。

80近くの彼女の現役ヌードを見れば、

誰もが整形疑惑を勘ぐる?でしょうが、

でも私の予想通り、歯だけは本物でしたね。

82歳の高齢でありながら、歯が一本も抜けた事がなく、

上下合わせ28本の歯が健康な状態そのままで

残っており、虫歯も一本もない事が明らかになっています。

その上、骨年齢は58歳、

筋肉量は30~40代前後をキープしてるという。

まさに神様が与えてくれたものですね。

診察したお医者さんもビックリ仰天だとか。

最後に、今まで何度も訴訟を起こし、

デヴィ夫人に都合の悪い真実を

ねじ伏せてきた事も、

数々の醜聞と共に”デヴィ夫人の真実”なのです。

こういった逞しすぎるデヴィ夫人の気質と性格と行動が、

”入れ歯伝説”を作ったと言えると思います。

でも結論から言えば、

82歳の老婆に何ら変りはなく、

贔屓目に言えば美しく着飾った”老嬢”ですね。

そんなデヴィ夫人ですが、

1963年に、俳優の本郷功次郎さんと浮気をします。

1963年と言えば、元スカルノ大統領は、

まだ在任中でデヴィ夫人は第3夫人の頃です。

1969年には、同じく俳優の津川雅彦さんと不倫します。

こっちの方はスカルノ大統領が失脚後です。

この浮気の事実は、ご本人の著書『デヴィ・スカルノ自伝』に

デヴィ夫人本人が赤裸々に描いてますので間違い無いでしょう。  

その他にも1993年にホテルオークラで

国連環境計画支援チャリティを開催。

収益金の10万ドルを寄付 したと出席者に手紙を出しながら、

出席者が国連に確認したところ、

寄付していなかったことが発覚し、大騒動になりました。

「大体、デヴィ夫人の動物保護の見識など、

オスロットという豹の貴重種の毛皮を自慢そうに着ていることで分かる。

このチャリティも主賓に国運環境計画北米局長が来るという

のがウリだったのに、実際は呼んでもいなかった。

騒ぎにならなかったら着服する気だったと言われても仕方ない」

と雑誌編集者の方はコメントしています。

そもそもデヴィ夫人がワイドショーに出演するようになったのは、

1996年、あの松田聖子さんのヌード写真集騒動のときからです。

コーディネーター役を引き受けたデヴィ夫人が、

写真集を出版せずトンズラこいた松田聖子さんに向かって、

『あんな三流タレント』とか『愛人と遊んでいた』とか、

ケチョンケチョンにこき下ろしたでしょ。

それに目をつけた日テレのブロデューサーが、

去年の末、芸能ニュース特番に出演させたところ、

これが喋る喋るで、予想以上の高視聴率になったらしいです。

今後の行動にも目を見張っていきたいですね。

最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

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それでは、また。

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