マーシーこと真島昌利の娘達の職業やバンダナを着ける理由に驚きを隠せない…「THE BLUE HEARTS」で人気を博した天才ギターリストの形を変えながら活躍する軌跡とは…

みなさん、こんにちは。

ブルーハーツ・ハイロウズ・クロマニヨンズと、形を変えながら、常に日本のロックシーンで、

燦然と輝くギタリストとして活躍してきたマーシー。

今回は、「真島昌利」を徹底解剖と題し、経歴や音楽との出会いなど、

さらには、結婚した嫁と子供が注目されています。

その娘が、モデルの真島もも子、と噂されていますが、真島昌利さんの嫁との馴れ初めや、

子供についてもご紹介します。

最初にマーシーの経歴を簡単に紹介していきます。

後に、日本のロックシーンを大きく変えることとなった、ギタリスト・ソングライター真島昌利は、

1962年2月20日、東京都日野市に誕生。

上石神井の病院で生まれた、と聞かされた記憶があるそうです。

3歳くらいま、池袋に住んでおり、その後、花小金井に引っ越します。

父がNTTの社員であり、花小金井の社宅にて、その後は成長していきました。

兄弟は2つ年上の兄が一人。普通にサラリーマンをやっており、音楽と関わりはないそうです。

次に、真島昌利の学歴について見ていきます。

小学校は、小平市立第8小学校。

中学校は、小平市立第3中学校。

高校は、都立久留米西高校に通っていたそうです。

相棒のヒロトとは異なり、マーシーは大学に進学していません。

ヒロトは上京する、という理由があったから、進学した。

というところもあるでしょうけども、マーシーにその必要は無いですからね。

ちなみに出身高校の、「都立久留米西高校」の偏差値は47と、いわゆる普通の高校。

しかし合格していながら蹴った「国学院久我山高校」は偏差値71の名門だったそうです。

インタビューによると、「久我山は男子校だったから行かなかった(笑)」と、語っていますが、

家に近い方が良かった。という理由もあるんじゃないかと思ったり。

とりあえず、実はものすごく頭が良いことが分かりますね。

作詞・作曲を手がけた主な曲である、「終わらない歌」、「ハンマー」、「チェインギャング」、

「チェルノブイリ」、「休日」、「TRAIN-TRAIN」、「未来は僕等の手の中」、「青空」、

「夢」、「1000のバイオリン」、「相談天国」、「青春」、などなど、突出した詩的センス、

文学性、やはり明晰な頭脳に、裏打ちされた表現力なんだなあと思います。

このあたりの詳しい経歴は、1989年「ロッキン・オン・ジャパン」のロングインタビューで、

本人が語っています。

真島昌利さんの音楽経歴ですが、マーシーと音楽との出会いは1974年、中学1年生の時。

友人宅で、ビートルズの『ツイストアンドシャウト』を聴いたのがきっかけだそうです。

あまりの衝撃に、居てもたってもいられなくなったマーシーは、

すぐに1万円のモーリスのフォークギターを買ってもらいました。

一緒に買った、フォークギターの教則本で最初は練習していましたが、

『荒城の月』などしか載っておらず、これは違うな、とすぐに気づいたそうで、

友人からコードを教わったそうです。

ちなみに、ソロでは、サックス、オートハープ等、ギター以外の楽器もこなす、

マルチプレイヤーでもあるマーシーですが、口笛が苦手だったそうです。

話を戻しますが、初めてバンドを組んだのは、中学2年の終わりころ。

池袋西部のアマチュアバンドコンテストに、

『ジョニー&スリー・クール・キャッツ』として出場しました。

このバンドは、友人たちとその日限りで、たまたまやっただけで終了。

本格的なバンド活動は、高校卒業後の1980年、『THE BREAKERS』を結成してから。

メンバーの変遷が色々ありながらも、1982年にはメンバーが固まり、活動は本格化していきました。

当時、東京ではモッズシーンというムーブメントが盛り上がっており、

多数のモッズバンドが、しのぎを削る状況。

その中で、『THE BREAKERS』は群を抜いた存在として、名を馳せていきました。

一時はRCサクセクションも在籍していた、音楽事務所『りぼん』に所属し、

給料をもらっていたほどでしたが、メンバー脱退などのいざこざもあり、1985年1月に解散。

この後の話は有名なところで、ヒロトとマーシーが、バンドを組むこととなり、

ブルーハーツの伝説が始まるのです。

1985-1995で、ザ・ブルーハーツ

1995-2005で、ザ・ハイロウズ

2006-現在で、ザ・クロマニヨンズ

といったバンド遍歴があります。

2018年のラジオで、ヒロトが語っているように、「マーシーとバンドを組むのは暗黙の了解」

となっており、生涯2人のバンドは続いていくことでしょう。

マーシーの伝説は終わることはありません。

ちなみに、マーシーといえば、バンダナがトレードマークですが、

実は、キース・リチャーズに影響を受けたもので、

「THE BLUE HEARTS」を結成して間もない頃、汗が垂れてこないようにと巻き始めたそうです。

これまで簡単に、マーシーの音楽経歴をご紹介してきましたが、これだけでも、

日本を代表するバンドのギタリスト、というのはわかっていただけたと思います。

そんな真島昌利は、既婚者と言われていますが、嫁はどんな人なのでしょう。

真島昌利の嫁について調べました。

どうやら、真島昌利の嫁は一般人のため、詳しい情報は見つかりませんでした。

名前は、「久美子」と言われていますが、噂レベルですので、本当かどうかは不明です。

いつ結婚をしたのか、結婚相手はどんな女性なのかなど、

詳しい情報は残念ながら分かりませんでした。

さて、真島昌利の娘は、モデルとして活動している、真島もも子ではないかと言われていますが、

本当なのでしょうか。真島昌利の子供情報を調べました。

真島昌利の子供について調べたところ、娘が1人いる、という情報が見つかりました。

娘が1人いることが分かった真島昌利ですが、娘は、モデルとして活動している、

真島もも子だそうです。生年月日が分からないため、正確な年齢は不明ですが、21歳前後ぐらいで、

モデルとして、活動をし始めたばかりだそうです。

また、文化服装学院でファッションを勉強した、という情報もあります。

まだまだ、モデルとして活動を始めたばかりということなので、これからの活躍に期待したいです。

あまり私生活について語られておらず、謎に包まれている真島昌利ですが、

今後も、ギタリストとしての活躍をたくさん見たいですね。

最後までご視聴ありがとうございました。

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高評価、チャンネル登録も是非よろしくお願いします。

それでは、また。

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