みなさん、こんにちは。 東京事変のメンバーであり、音楽プロデューサー、作詞家、 作曲家、編曲家、ベーシストの亀田誠治さん。 今回はそんな亀田誠治さんの妻や子供について、生い立ちや大学、経歴、 東京事変のボーカル・ギターの椎名林檎さんと、 亀田誠治さんの関係などについてご紹介します。 亀田誠治さんは、両親が仕事でニューヨークに駐在していた時に生まれ、 1歳で帰国します。母は、シューベルトの子守唄をアレンジした 「誠治は良い子」という歌詞が続く 替え歌を常に歌ってくれていたそうです。 3歳の時からピアノを習っていて、自宅に音大生が教えに来てくれて、 その先生が好きだったこともあり、ピアノに夢中になったとか。 母のクラシックギターが家にあり、 ビートルズの曲に合わせて弾いてみたのが小学5年生の時。 しかし、その時、耳に聞こえる音をギターで弾いたのですが、 弾いた音はベースの音だったそうで、 この時にベースに出会ったと亀田誠治さんはコメントしています。 その後、ギター教室に通いましたが、 小学6年生で大阪から東京に転校することになり、 ギターとは離れてしまいます。しかし、音楽とは離れず、 ラジオで洋楽を聴き始め、他のラジオ局同士のヒットチャートを比べたり、 「FM亀田」たるものを想像の中で作り、 番組構成、DJ、リスナーをこなしていたそうです。 そして、中学2年生でベースを購入し、プロのミュージシャンになろうと心に決めます。 亀田誠治さんの経歴についてお届けします 私立武蔵高校に入学し、バンド活動に励みモテモテだったという噂もあります。 現役で入学した早稲田大学でもバンド活動をし、 就職活動の代わりに作曲したデモテープを レコード会社に送ったり音楽業界へ入ろう試みます。 そのうち、そのデモテープがグランプリや優秀作曲賞などを受賞するようになりますが、 デビューするのはボーカルや容姿端麗なドラマー達で、 作詞作曲、編曲、アレンジ等々しても亀田誠治さんの名前は世に出ません。 悔しい思いもしたそうですが、声を掛けて貰っていたこともあり、 勉強がてらスタジオによく出向いていたそうです。その間も、 デモテープは作り続けていて、そのうち、楽曲が採用されるように。 また、アレンジのアドバイスもちょくちょくしていたら、 「亀ちゃんに任せようか」という声が掛かり、 音楽プロデューサーの道が開かれていきました。 亀田誠治さんの妻は、歌手の下成佐登子さんで、子供は2人、 2017年3月のインタビューでは23歳の長男と、 18歳の次男がいることを話しているので、現在、26歳と21歳くらいと思われます。 妻の下成佐登子さんは、1978年にシングル「秋の一日」でデビューして、 アニソン歌手でもあったそうで、 1985年に放送されたテレビアニメ『小公女セーラ』の歌を歌っていました。 辛島美登里さんのバックコーラスもしていましたが、 2008年頃からは活動を休止しました。 2012年には、子育てが一段落したからと歌手活動を再開しています。 亀田誠治さんがプロデュースしたアーティストは 数知れずいますので、代表的な方だけ紹介します。 ジャニーズでは、 テゴマス、堂本剛さん、Kis-My-Ft2、KinKi Kids、櫻井智さん、山下智久さん などの方々です。 女性アーティストでは、 絢香さん、アンジェラ・アキさん、石川さゆりさん、 大原櫻子さん、木村カエラさん、椎名林檎さん、浜崎あゆみさん、 松たか子さん、JUJUさん、などの錚々たるメンバーです。 男性アーティストでは、 ISSAさん、清木場俊介さん、清水翔太さん、スガシカオさん、 高橋優さん、CHAGEさん、秦基博さん、藤井フミヤさん、 星野源さん、松崎しげる、森山直太朗さん、平井堅さん などの方々です。 女性ボーカルバンドでは、 赤い公園、いきものがかり、Every Little Thing、チャットモンチー などのグループが挙げられます。 男性ボーカルバンドでは、 エレファントカシマシ、GLAY、ゴスペラーズ、スキマスイッチ、 東京スカパラダイスオーケストラ、back number、 FUNKY MONKEY BABYS、THE BOOM、風味堂、フジファブリック、 フラワーカンパニーズ、flumpool、ヤバイTシャツ屋さん、 ゆず、L’Arc〜en〜Ciel、Little Glee Monster、 スピッツ、SOPHIA、KANAーBOON など様々なグループを手掛けています。 亀田誠治さんがプロデュースされた曲をご紹介します。 一曲目:「ギブス」椎名林檎 椎名林檎さんが、2000年1月にリリースした5thシングル「ギブス」は、 椎名林檎さんの代表曲となりました。 二曲目:「群青日和」東京事変 亀田誠治さんも加入している東京事変が、 2004年にリリースした1stシングル「群青日和」は、 auのCMソングにも起用されました。 三曲目:「やさしさで溢れるように」JUJU JUJUさんが、2009年にリリースした9thシングル「やさしさで溢れるように」は、 JUJUさんの代表曲となりました。 四曲目:「Destiny」エレファントカシマシ エレカシが2014年にリリースした46thシングル「Destiny」は、 ライブで腱鞘炎になっていたエレカシのドラム・トミに負担にならないようにと、 楽器を個々にレコーディングしたそうで、 その辺も亀田誠治さんの優しさが感じられます。 エレカシの宮本浩次さんも信頼するプロデューサーとのことです。 五曲目:きえないで(アイナ・ジ・エンド) BiSHのメンバーのアイナ・ジ・エンドが、 2018年にリリースした1stシングル「きえないで」は、 アイナが初めて作詞作曲したオリジナル曲を亀田誠治さんが、 アレンジとプロデュースし、ベースも演奏しています。 六曲目:「花が咲いている」石川さゆり 演歌歌手の石川さゆりさんが、 2018年にリリースしたシングル「花が咲いている」は、 亀田誠治さんが信頼する、いきものがかりの水野良樹さんに 作詞作曲をお願いしプロデュースしたそうです。 続いての話題では、椎名林檎さんと亀田誠治さんの出会いや、 東京事変についてご紹介します。 バンド・東京事変は、2003年にバックバンドとして結成しました。 2004年に椎名林檎さんが加入し活動が始まりました。 メンバーは、椎名林檎さんが探し当てたとされていますが、 ベースの亀田誠治さんとは、東京事変で出会う前からの付き合いでした。 2人は、椎名林檎さんがソロデビューする1年前に出会っています。 椎名林檎さんは、当時のレコード会社東芝EMIからデビューする際、 実績のある外部ディレクターに楽曲等任せたのですが、 椎名林檎さんの個性を生かせなかったため、 レコード会社の人が、当時から「いいよいいよ」と 仕事を受け入れてくれる亀田誠治さんに、 椎名林檎さんを見て貰うよう頼んだそうです。 今まで見たことも聴いたこともないような、 歌詞やメロディを書く女の子がいる。 誰も手に負えなくなっているので、 これに向き合ってくれるサウンドプロデューサーは、 人間的に見ても亀ちゃんぐらいしか持たないだろう 亀田誠治さん曰く、音楽に対して、 ジャンルレス&ボーダーレスな2人が出会い、すぐに意気投合したそうです。 当時の椎名林檎さんは17歳、亀田誠治さんは31歳の時です。 出会った2人は、デビューに向けて1年間、 一緒にデモテープを作ります。出来上がった作品に対し、 レコード会社の人は、このままでは売れないと否定的でした。 椎名林檎さんと亀田誠治さんが意気投合したもう一つの理由が、 ”今までにないものを作る”だったこともあり、 亀田誠治さんがそんな否定的な言葉の盾になり、 椎名林檎さんの個性を守ったそうです。 こんなこともあり、椎名林檎さんは、 亀田誠治さんのことを「師匠」と呼び信頼していきます。 そして、見事、椎名林檎さんの1999年2月にリリースした 1stアルバム「無罪モラトリアム」と、 2stアルバム「勝訴ストリップ」がミリオンセラーとなります。 このアルバムのミリオンセラーの影響で、 アレンジャーとベーシストとして亀田誠治さんの名前も音楽業界で知られ、 スピッツや平井堅、スガシカオなどのプロデュースを依頼されるようになりました。 亀田誠治さんのベースのすごさを語るなら、外せない曲が、 2007年にリリースした4thシングル「OSCA」です。この曲は、 ギターの浮雲さんが作詞作曲をしていて、 だらしない男について歌っています。 かっこいいベースの音が印象的なイントロ部分は、 本来はギターが弾いていましたが、 浮雲さんが「亀田さん、ちょっとやってみてよ」と言われ、 気軽に「はいはーい」と弾いてみたら採用され、 実際弾くと大変だというエピソードもあるようです。 他にも、スウィングジャズの要素を盛り込んだ楽曲「女の子は誰でも」では、 ジャズで多用されるウォーキングベースで演奏しています。 ベースもすごいのですが、このMVでのメンバーのダンスも見どころで、 特に亀田誠治さんのダンスは必見です。 亀田誠治さんについて調べました。亀田誠治さんの嫁や子供や、 生い立ち、大学、経歴、プロデュースした 代表曲や歌手がすごいことなどご紹介しました。 最後までご視聴ありがとうございました。 コメントを残してくれると嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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