佐々木つとむ殺人事件の真相に涙腺崩壊…『ものまね四天王』神奈月の師匠の愛人・中野美沙との不倫生活の実態に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
昭和後期に、ものまねタレントとして活躍した
佐々木 つとむ(ささき つとむ)さん。
元祖ものまね四天王と、され、ものまねタレントの「神無月」の
師匠でもあります。
そんな佐々木さんですが、「爆報THEフライデー」実録事件簿、第7弾にて
1987年、三角関係の末路として、愛人、中野美沙さんに
メッタ刺しのされ、殺害された事件が、取り上げられました。
芸能界で活躍、家庭にも恵まれ、2児の父親であった、佐々木さんは
なぜ、東京都板橋区の、アパートの一室から
変わり果てた姿で、発見されることになったのでしょうか。
また、当時、佐々木つとむ殺人事件の犯人として
顔写真とともに、全国に指名手配された
佐々木さんの愛人、中野美沙さんも、悲惨な最期を迎え
この事件に関する怪奇現象は、のちに、稲川淳二さんの
怪談となることになりました。
果たして、なにが起きてしまったのでしょうか。
その事件についてまとめました。
まずは、プロフィールから見ていきましょう。
芸名:佐々木つとむ
本名:佐々木 宏幸(ささき ひろゆき)
誕生日:1947年7月23日生まれ
出身地:日本、兵庫県、神戸市
受賞歴:日本放送演芸大賞、声帯模写部門(1975年・1978年)
それでは、事件の真相に迫りましょう。
1987年9月4日の夜、東京都板橋区 高島平のあるアパートの一室から、
遺書ともとれる、走り書きのメモがとともに
佐々木さんの遺体が、発見されました。
メモには、「私も、お父さんのそばに行きます。」
「私が、お父さんを殺すなんて、夢にも思わなかった。」
「あの世で、二人で、やり直そうね。」と
書かれていました。
第一発見者は、佐々木さんのマネージャー。
残暑が厳しい、9月4日の晩。
佐々木さんと、連絡が取れなくなったことから
佐々木さんを、探していた、マネージャーが
中野美沙さんのアパートを訪ねると
そこには、ドアの前に立っただけで感じる、腐敗臭がありました。
佐々木さんとマネージャーが、最後に会った、8月30日以降。
佐々木つとむは殺害され、死後5~6日が、経過していたのでした。
マネージャーが、ドアを蹴破り、室内に入ると
辺りは一面の海。
佐々木さんは、十か所以上を、包丁で刺されていました。
凶器の包丁は、綺麗に洗われ、流しに転がっていました。
毛布とシーツで覆われ、北枕に寝かされた、遺体の枕元には
中野美沙によるメモが。テーブルの上には
コップ一杯の水が、供えてありました。
けれど、このアパートの住人中野美沙さんは、
全国指名手配になった、二日後の9月6日、
青森県むつ市大湊の陸奥湾で
息絶えているところが、発見されることになります。
何故、人気お笑い芸人、佐々木つとむさんは、
こんな場所で、こんな姿で
発見されることになったのでしょうか。
人気お笑い芸人と、この危ない香りのする、
女性との間に、何があったのでしょうか。
ここで、少し中野美沙さんについて、調べました。
中野さんは、中学卒業後、工員としての一年程度の勤務を経て
結婚しました。しかし、間もなく、結婚生活は破綻しました。
以後、下着販売輸入業や、愛人稼業をし
愛車、フェアレディZを乗り回す
派手な暮らしを、していたそうです。
中野さんの背中一面には、その筋の者の、愛人から彫られた
観音様の刺青があり、4人の男性と、同時交際していました。
次に、佐々木さんについてです。
昭和22年7月23日、兵庫県神戸市で生まれました。
この年に生まれた芸能人には、
北野武(ビートたけし)さん、泉ピン子さん、蛭子能収さんなどです。
小さいころから、とても活発な子供だったようで
学校の先生などのモノマネをして、クラスの人気者になったそうです。
高校生になった時、自分のプロフィールを、
テレビ局に送るなどして、自分を売り込み
素人として、演芸番組に出演するようになりました。
そんな中、腕前をかわれ、先輩芸人に声を掛けられ
高校を中退。浅草松竹演芸場の、司会を務めることを始めました。
その後、佐々木さんは、1980年代のお笑い界にて
トップクラスの人気を誇る、ものまね芸人になりました。。
渥美清さん、高倉健さん、森進一さんらの、ものまねでブレイク。
田中角栄さんらの、有名政治家4人を演じ分ける
「ロッキード麻雀」などの持ちネタで、知られていました。
また、1974年から1977年にかけて、
放送演芸大賞部門賞を、受賞しており、歌やものまねを、収録した
レコードも、複数発売されています。
仕事のほか、プライベートも順調。
妻と二人の子供にも恵まれましたが、
佐々木さんには困った癖がありました。
それは「無類のギャンブル好き」という癖。
もらったギャラはすべて、その日のうちにギャンブルにつぎ込み
借金も、常に抱えていました。
そう、完全に「ギャンブル依存症」でした。
もらったギャラは、すべてその日のうちに、ギャンブルにつぎ込み
借金も、常に抱えていました。
佐々木さんのもとに、借金の取り立てがやってくるのは、しょっちゅうで
返済分が足りないときは、弟子の神無月さんの、
手持ちの現金まで、取られることがあったそう。
当然、このギャンブル依存は、夫婦関係を悪化させました。
そんな、1986年の秋。とある新宿の、ポーカー喫茶にて
のちの愛人、中野美沙さんと出会いました。
二人は意気投合し不倫関係に。
出会って、半年もたたずに、中野美沙さんの住む
板橋区のアパートに、転がり込みました。
しかし、ギャンブル依存の癖は、そう簡単には、治りません。
1000万円以上の借金を、中野美沙さんが、立て替えますが
佐々木さんの、金の無心は、途切れたことはなく
ついには、中野さんの自宅から、貴金属を持ち出し、質に入れたり
銀行口座から、勝手に金を引き出すまでに、エスカレートしていきました。
また、佐々木さんには、DV癖がありました。
「家を出て行ってくれ」と言う、中野さんを
暴力で押さえつけ、ヒモのような生活を送り続けました。
さて、話に戻ります。
1987年の、8月。
ひょんなことから、中野さんが飼っていた、
シーズー犬を虐待し、骨折させてしまいました。
愛犬の悲鳴を聞いた時、
中野さんの中で、何かが、切れてしまったのでしょう。
中野さんは衝動的に、包丁を手に取り
気づけば、佐々木さんは、血まみれになっていたそうです。
佐々木さんと出会う前、中野美沙さんが
幸せだったかどうかは、誰にも分かりません。
佐々木さんと出会ったことによって、殺人を犯し
後追い自殺という、悲惨な最期を、迎えることになってしまいました。
犯行後に、遺体を、北枕にしたり
水を供えていること、そして、冒頭に紹介した
メモの内容から見て、中野さんが、
殺害後も、佐々木さんのことを、愛していたことは間違いないでしょう。
なんとも、悲しい事件ですね。
この事件には、続きがあります。
事件から数年後。
事件現場となった、アパートの一室に入った、入居者が
佐々木さんらしき、地縛霊と、夜な夜な遭遇し
その後、突然の死を遂げていたのです。
そのことは、その後、稲川淳二さんの、
怖い話として、怪談として、語られています。
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