倉木麻衣の父親の職業に驚きを隠せない…『Love day after tomorrow』でデビューした女性歌手の”宇多田ヒカル”とのまさかの関係性が衝撃的すぎた!

倉木麻衣の父親の職業に驚きを隠せない…『Love day after tomorrow』でデビューした女性歌手の”宇多田ヒカル”とのまさかの関係性が衝撃的すぎた!

みなさん、こんにちは。

数々のヒット曲を歌い上げてきた倉木麻衣さん。

1999年にデビューし、第1シングルである

『Love day after tomorrow』が

140万枚を売り上げる大ヒットをしています。

この時、プロモーションのためのメディア出演はなく

タイアップもしていなかったため、大きく話題を呼びました。

最高のデビューとなるはずでしたが

ここで、事件が起こります。

今回は、「宇多田ヒカルパクリ事件」ほか

世間から大バッシングを受けた元俳優

倉木麻衣さんの父親についてまとめました。

それではまず、倉木麻衣さんのプロフィールから見ていきましょう。

名前:倉木麻衣

生年月日:1982年10月28日

血液型:B型

出身地:千葉県船橋市

1999年に、当時17歳でリリースしたデビューシングル

「Love, Day After Tomorrow」が

プロモーションとしてのTV出演もなく

更には、ノンタイアップにも関わらず

売上約140万枚を達成するという、新人としては異例の大ヒット。

さらに、デビューシングルが大ヒットしているさなかに発売された

2ndシングル「Stay by my side」も

ノンタイアップながらオリコン初登場1位を記録し

倉木麻衣さんが出したシングルの中では

3位となる売り上げ枚数となっています。

続く3rdシングル「Secret of my heart」は

初のタイアップがつき、オリコン2位に初登場。

出荷枚数にして、約100万枚を突破するという

記録的大ヒットとなっています。

以降も継続的にヒットし、1stアルバム『delicious way』は

売上約350万枚以上、出荷枚数にして約400万枚を突破する

空前の大ヒットとなっています。

以降、リリースしたシングルが全てオリコントップ10入りを記録中。

2005年3月に立命館大学を卒業後は、音楽活動に専念されており

2014年12月には、単独ライブ公演回数が、300回を突破しています。

台湾や中国でも人気があり

台湾のヒットチャートでも1位獲得をしているほか

台湾の人気歌手・孫燕姿とのコラボレーションもしています。

アジアで最も影響力のあるアーティスト、との声もあるそうです。

以上が、倉木麻衣さんのプロフィールです。

上記した通り、倉木麻衣さんは当時17歳で

新人としては異例の大ヒットをしています。

しかし、ちょうど同時期に

宇多田ヒカルさんがアメリカで楽曲を作り、全米デビューを経てから

日本でデビューを果たしたことが、話題を呼んでいました。

倉木麻衣さんは、少し遅れてデビューしたのですが

楽曲の特徴や、歌声が似ていたということもあり

同一人物ではないか、という噂が出るほどでした。

倉木麻衣さんは当時まだ高校生だったので

事務所の方針もあり、メディア露出がほとんどなかったため

余計にその噂に拍車をかけてしまいました。

そんな噂が飛び交う最中

宇多田ヒカルさんが音楽番組に出演した際に

番組MCを務めていたとある芸人さんから、問題発言が飛び出しました。

全国ネットのテレビで、倉木麻衣さんを

宇多田ヒカルさんのパクリだと批判したのです。

話を振られた宇多田ヒカルさんも

どう答えていいのか困った様子で受け答えをするという

宇多田ヒカルさんとしても不本意なやり取りの映像が

全国に放映されてしまったのです。

会話自体は、本人は悪くないという形で終わらせていましたが

これを知った倉木麻衣さんは

高校に行けなくなるほどのショックを受けたそうです。

これには、倉木麻衣さんのお父さんや、所属事務所が大激怒。

特にお父さんは、芸能界でも名を知られた大物の俳優で

裁判で争うと発言していました。

結局、テレビ局、番組MCの芸人さん、宇多田ヒカルさんが

それぞれ謝罪することで騒動は決着しましたが

倉木麻衣さんが立ち直るまで、時間がかかったそうです。

こちらが、「宇多田ヒカルパクリ事件」の真相となっています。

ちなみにその後、お二人はコンサートイベントで共演し

すぐに意気投合したということです。

こちらのパクリ事件は、お二人のデビュー時期や年齢など

いろいろな事柄が重なってしまった、不幸な事件でした。

お二人とも素晴らしいアーティストなので

遺恨が残らなくて、本当に良かったですね。

上記のパクリ事件にて、芸能界でも顔の知れているという

倉木麻衣さんのお父さんの話が出ましたが

あまり知らない、という方もいらっしゃると思います。

簡単にプロフィールをまとめましたので、見ていきましょう。

名前:山前五十洋

生年月日:1943年4月28日

没年:2020年4月5日

出身地:京都府京都市

山前五十洋さんは生前、俳優から映画監督

プロデューサーを経て、実業家になっています。

俳優としての代表作は、当時少年画報連載中だった

堀江卓さん原作の「天馬天平」です。

その後、「坊主拳法」「海の野郎ども」

「噂の錦四郎」「姿三四郎」にゲスト出演するも

俳優を断念して、映画監督を目指した山前五十洋さん。

映画監督としての代表作は「セーラー服刑事」です。

そんな山前五十洋さんですが

なぜ、世間からバッシングを受けたのでしょうか。

実は、山前五十洋さんと、倉木麻衣さんのお母さんは

倉木麻衣さんが17歳の時に、離婚されているそうです。

倉木麻衣さんがデビューし、大ヒットをしたのも同時期ですが

実は、この大ヒットを見た山前五十洋さんが

とんでもない言動をしたことが、バッシングにつながったそうです。

最近では、デビューしたばかりの歌手やタレントが

親のコネをつかって「○○2世」などと名乗ることも多いですが

当時ではかなり珍しかったそうです。

しかも、山前五十洋さんは、俳優業から遠ざかって久しかっただけに

関係者でなければ、父親だといわれても

「誰だ?」となるでしょう。

離婚していますが、父親としてなにか言いたいことがあったようで

倉木麻衣さんが9歳だった時に撮ったビデオを

所属事務所に10億円で売ろうとしたりと

お金のためには手段を選ばない行動を取ったそう。

しかし、それ以上に「最低」と言われるようになったのが

山前五十洋さんの知り合いの社長から

倉木麻衣さんのそっくりさんでCDを出すと言って

山前五十洋さんに紹介したそっくりさんと

CDのジャケット撮影といわれて撮ったそうですが

そのそっくりさんが、実はAV女優をやっている方だったそうです。

その時の写真をスポーツ紙で公開され

「倉木麻衣の父親は、倉木麻衣そっくりのAV女優とAVをやった」

という一面記事にされたのだそうです。

その後、上記の社長に

「AVの監督をしたことにしてくれ」

と頼まれたりもしたそうですが

最終的にこの騒動は

倉木麻衣さんの事務所社長に説明することで終結したそうです。

それが本当なら、まさしく史上最低の父親ですね。

しかし、山前五十洋さん曰く

「俺は被害者、騒動は倉木麻衣の所属事務所にも

説明して終わっている」とのこと。

こんなことがあったためか、山前五十洋さんと倉木麻衣さんは

ほぼ絶縁状態になったそうです。

今回は、倉木麻衣さんのパクリ事件

父親についてまとめました。

最後までご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。

それでは、また。

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