冨士眞奈美の本当の国籍…現在や病気の真相に一同驚愕…「この瞳」でデビューした女優の子供の現在に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
今回取り上げるのは、
女優の冨士眞奈美(ふじ まなみ)さんです。
冨士眞奈美さんの経歴や子供、
生い立ちについて調査してみました。
冨士眞奈美さんの基本プロフィールは
次のとおりです。
本名:岩崎真奈美(いわさきまなみ)
生年月日:1938年1月15日
身長:154cm
出身地:静岡県三島市
最終学歴:静岡県立三島北高等学校卒業
所属事務所:アンテーヌ
まず経歴についてですが、
冨士眞奈美さんが芸能界にデビューしたのは、
1956年のNHKドラマ「この瞳」。
その頃はもっと美しく、
日本人離れした顔立ちをしていたようです。
それ故、冨士眞奈美さんは
「ひょっとして、ハーフなのではないか」という
声が上がっているようです。
しかし、冨士眞奈美さんはハーフではありません。
本名を見てみると岩崎真奈美さんと言い、
日本の苗字ですね。
東京で生まれましたが、
6歳の頃に静岡に引っ越したのだとか。
父親は岩崎光好(いわさきみつよし)さんといいます。
旧姓は「酒井(さかい)」だったので、
冨士眞奈美さんの母親の籍に入ったのでしょうか。
修善寺の裕福な家庭に生まれ、
新聞記者をしていたエリートサラリーマン。
同時に社会主義に興味を持っており、
労働運動の指導者にもなったそうです。
しかし、一旦どちらも辞めて
喫茶店を経営していた時期があったとか。
後に、出版社に勤務していたようです。
読書が好きだった父親の影響を受けて、
冨士眞奈美さんも本が大好きになったといいます。
子供の頃は、将来小説家か
出版業界で働きたいと願っていたほど。
母親は専業主婦で、家庭を守っていました。
母親の苗字が岩崎で父親の旧姓が
酒井ということから、
冨士眞奈美さんの両親はともに
日本人と言えるでしょう。
ただし父親がかなりのイケメンだったと言われています。
冨士眞奈美さんは、父親に似て
目鼻立ちの整った顔になったのかもしれません。
冨士眞奈美さんは、2022年現在
どのように暮らしているのでしょうか。
冨士眞奈美さんは、一人娘の
岩崎リズさんと頻繁に連絡を取り
仲良く過ごされているようです。
娘からすると、子供の頃は干渉のし過ぎで
「放っておいて欲しい」と思っていたとか。
大人になってからの関係は良好で、
毎日2回ほど長電話を欠かさずしているそうです。
明るい冨士眞奈美さんが、愛する娘と
楽しそうに電話する姿が目に浮かびますね。
テレビドラマでは、2020年11月に放送された
テレビ朝日系「相棒」のシーズン19・5話に出演。
それ以降、女優の仕事は少し遠のいているようです。
出演する作品を吟味しながら、
仕事をしているのかもしれませんね。
冨士眞奈美さんは1984年に離婚してから、
再婚したという会見などは行っていません。
2022年現在も、独身でいることがわかりました。
いくつになっても美しく、
明るい性格も非常に魅力的な冨士眞奈美さん。
夫が居なくとも、交際している男性がいても
不思議ではありませんね。
冨士眞奈美さんは1938年生まれで、
2022年には84歳になりました。
第二次世界大戦が始まったのが1939年ですから、
それより1年前に生まれたのですね。
高齢になって、あまりテレビに出なくなると
視聴者は心配するようです。
「冨士眞奈美さんは、ひょっとして病気なのではないか」と。
確かに還暦を過ぎると、
大病の経験がある人の割合が増えて来ます。
しかし、冨士眞奈美さんは非常に元気なのだとか。
ただ、不注意なところがあって
ケガをすることが昔からよくあったそうです。
それも「ただコケて擦りむいた」というレベルではなく、
「骨折」をしてしまうほどの大ケガ。
2019年には鎖骨を骨折して、全治3ヶ月。
さらには2020年に背骨を折って、
これまた全治3ヶ月と骨折の度合いも相当酷いようです。
年配の方の骨折は、その後寝たきりになるなど
命を縮めてしまうこともあります。
いつまでも元気でいてもらうためにも、
気をつけて日常生活を送って欲しいものですね。
冨士眞奈美さんが放送作家の
林秀彦(はやしひでひこ)さんと結婚したのは、
1974年のことでした。
交際期間は7年間と、
割と長いお付き合いが続いていたようです。
冨士眞奈美さんは、女優として
着実にキャリアを積み重ねていた頃。
相手はいても、特に結婚願望が
強いわけでもありませんでした。
しかし、女優の先輩だった山岡久乃さんから
出産した時の喜びを聞きました。
女優として脚光を浴びることよりも、
赤ちゃんを抱いた時の感動が勝ったのだそう。
それを聞いてから、冨士眞奈美さんの頭の中を
「結婚・出産」が占めるように。
焦った気持ちで結婚した相手が、
当時付き合っていた林秀彦さんだったといいます。
結婚後は、ほとんど芸能界の仕事をせずに
主婦業を頑張っていたのだとか。
それは、夫の希望であったと後に語っています。
1976年には娘が誕生して、
望み通り「結婚・出産」という夢を
叶えることができました。
確かに娘は非常に可愛く、
幸せだったという冨士眞奈美さん。
しかし自分でやりたい事をセーブして、
夫の顔色を常に見るという生活に疲れてきました。
ついに10年で結婚生活に終止符を打ち、
娘を引き取ったそうです。
元夫は2010年に76歳で亡くなりましたが、
それまで友達として仲良く付き合っていたとか。
離婚した後は、冨士眞奈美さんは
自由を謳歌する生活を満喫しているそうです。
元夫の林秀彦さんは、「鳩子の海」や
「池中玄太シリーズ」などの脚本を書いた売れっ子でした。
学習院高等科を卒業して、ドイツやフランスに留学。
帰国後はシナリオの勉強をして、
着実に脚本家の道を歩み始めました。
冨士眞奈美さんの前に、
ドイツ人女性と結婚していました。
生涯で、3度の結婚をして
一男一女をもうけた林秀彦さん。
2010年11月に、肺炎でこの世を去りました。
その他にも冨士眞奈美さんのことを調べていると、
「認知症」って単語が出てきます。
テレビでのトークやお姿からわかると思いますが、
冨士眞奈美さん本人が認知症ってわけではないんです。
認知症なのはドラえもんの声をやっている
声優の大山のぶ代さんです。
なぜここで大山のぶ代さんが出てくるかって言うと、
冨士眞奈美さんは上京後に
大山さんと同じアパートの部屋で暮しており、
その当時から仲がいいんです。
アパートは4年半くらい一緒だったそうなんです。
NHKのドラマ「この鐘」で
冨士眞奈美さんと共にデビューしています。
俳優座養成所で同期だったんです。
「冨士眞奈美 認知症」なんてキーワードを
見つけてしまうとびっくりしてしまいますね。
よく知らないと、病気しているのかと
勘違いしてしまいます。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。