千葉麗子が消えた理由や現在の職業に驚きを隠せない…「ひとつ屋根の下」で人気を博した『チバレイ』のまさかの生い立ちに涙腺崩壊…

千葉麗子が消えた理由や現在の職業に驚きを隠せない…「ひとつ屋根の下」で人気を博した『チバレイ』のまさかの生い立ちに涙腺崩壊…

 

みなさん、こんにちは。

かつてアイドル・女優として活躍した千葉麗子さん。

16歳で芸能界デビューした遅咲きの女優ですが

ひとつ屋根の下などの超人気ドラマでも活躍し

20歳になる頃には芸能界を引退しました。

今回は、たった数年の芸能生活で

未だに知名度も高い千葉麗子さんの現在を調査していきます。

まずは、千葉麗子さんのプロフィールからご紹介します。

本名:千葉麗子

愛称:チバレイ

生年月日:1975年1月8日

出身地:福島県

血液型:B型

身長:162cm

千葉麗子さんは生まれは大阪の天王寺区ですが

父親が福島市の職員に採用されたため

高校2年生まで福島市で育ちました。

高校の頃に、アイドルになったため上京。

東京都立代々木高校に編入し、卒業しています。

両親からのDV(家庭内暴力)がきっかけで

アイドルを目指して上京しましたが

高校在学中に見事、16歳にして芸能界デビュー。

1991年、アイドルグループ「オーロラ5人娘」で活躍。

実際はパチンコ機「フィーバーガールズ」の

イメージキャラクターとして結成された

アイドルグループだそうです。

翌年の1992年には

「恐竜戦隊ジュウレンジャー」で役者としてデビュー。

それをきっかけに、すごい勢いで売れ始めます。

1993年に、大ヒットドラマ「ひとつ屋根の下」で出演すると

日本中が知る芸能人になり

「チバレイ」の愛称でたちまち人気者になりました。

その他にも、「南くんの恋人」などの人気ドラマ

大正製薬などの大企業のCMなど

多くの出演歴を持っています。

さらに、所属していた事務所にあった

Macのデスクトップパソコンを触ったことがきっかけで

パソコンに詳しくなり「電脳アイドル」と呼ばれ

パソコン系の雑誌に載るなどいろんな活躍を見せました。

1991年にデビューして、翌年には戦隊モノの番組に出演し

その翌年には国民的なドラマに出演。

どう見ても成功者ですが、なんと1995年

デビューして5年も経たないうちに

20歳の時に芸能界を引退してしまいました。

1995年に芸能界を引退した千葉麗子さんは

なんとゲーム会社に就職してしまいます。

そのゲーム会社で半年ほど勤務すると

今度は自身のIT系企業を設立しました。

社名はチェリーベイブ。

現在も千葉麗子さんが代表取締役を務める会社です。

1998年にはサウンドクリエイターのDJ KIRIJAさんと結婚。

次の年には長男も誕生し

さらに出産と育児を機に始めたヨガは

その後、インストラクターの資格を習得するまでに。

芸能界でも成功した千葉麗子さんは

芸能界を引退した後

仕事もプライベートも成功を収めていきます。

しかし、そのすべての成功も

長くは続くわけではありませんでした。

2002年にヨガインストラクターの資格を取った千葉麗子さんですが

その名声を生かして

テレビ番組でヨガの講師として出演するようになります。

チバレイの経営するチェリーベイブは

IT企業だったのですが

社長の千葉麗子さんがヨガをやっているため

事業内容にヨガのレッスンを追加。

ヨガのインストラクター事業とIT企業の側面を持つ

珍しい企業になります。

ヨガのインストラクターとして

NHKなどでも番組にレギュラーで呼ばれるようになるなど

再び表舞台に顔を出し始めましたが

このころはチェリーベイブのIT部門が調子が悪かったとの噂です。

そして、2010年には週刊誌などでセミヌードを公開。

写真集「WITHIN」では『あのチバレイが…!』

という見出しがついてしまうほど

過激な写真が掲載されました。

相当なギャラが動いたと思いますが

本当の狙いは名前を世間にだして

本業のチェリーベイブの売り上げに

直結させることだったのでしょう。

その効果もあってか、チェリーベイブは

設立20年以上経っている現在も

会社は存続されているどころか

事業は以前より大きくなっています。

DJ KIRIJAさんとは2011年に離婚しています。

原因は定かになっておりませんが

千葉麗子さんの執筆した本で

ダウン症の息子さんを二人で育てていたり

会社も経営していたりなど

通常では考えられない苦労があったのかと思います。

KIRIJA氏が仕事をしなかったのが原因だそうですが

さすがにそれだけではないでしょうから

世間から華麗に見えてもいろいろな苦労があったはずです。

時を同じくして、東日本大震災がありましたが

故郷を思って福島市出身の千葉麗子さんは

反原発活動に精を出すようになりました。

「故郷では国が認可した原発が大事故になって

帰れない人がたくさんいる」という事実に

いてもたっても居られなかったようです。

当時、反原発活動をすることはとても勇気のいることでした。

特に千葉麗子のような知名度が高い有名人は

電力関連の会社を敵に回してしまうからです。

実際に、山本太郎や石田純一など

原発事故の前と後では

テレビ出演数が丸っきし減った有名人は多くいます。

原発の是非は個々の哲学や思想に任せるとして

千葉麗子さんは地元も人たちを思って反原発活動を行ったのです。

しかし、反原発活動を行いながら

自分の本当の思想とは違うことに気づき

反原発活動家たちを敬遠し始めます。

千葉麗子さんはチェリーベイブ設立当初から

著書はたくさん執筆していました。

結構文才もあり

著者としてもそこそこ評価されていましたが

反原発活動を通じて、反原発活動家の一部を

「パヨク」と偏見を持つようになり

執筆したのが「さよならパヨク」

「さよならパヨク」は、千葉が反原発活動をしている時に

自身が「パヨク」と偏見される立場にいることに気づき

また、その仲間の思想が

間違えたものだという認識を持つようになって

執筆された著書です。

何かがあったのでしょうが

ネットでは千葉麗子さんとその相手となっている

パヨクと呼ばれる人たちの争いが繰り広げられていたそうです。

現在もYoutubeには千葉麗子さんの

近い人物だったと思われる人間が撮影した動画があがっています。

反原発活動を行っていながら、骨肉の争いになってしまい

ネット上で中傷された千葉麗子さんが気の毒ではありますが

やはり有名人はネットでのエゴサーチはやめた方がいいですね。

出版した「さよならパヨク」や「くたばれパヨク」が

タイトルから既に過激すぎて

蚊帳の外から見るとお互いに過激派に見えちゃいます。

反原発を大々的に公表した千葉麗子さんですが

2014年には右翼団体の街宣活動に参加していることも

ツイッターなどで公表しています。

そして、左翼団体に対して抗議を行っていたり

とにかく右翼団体の一員という感じになっています。

もちろん、思想を持って法律に反しない行動をとることは自由ですが

あまりに過激になり過ぎているので

よほど左翼と呼ばれる人たちに恨みがあるのでしょう。

しかし、「くたばれパヨク」は

ベストセラー1位に輝いたこともあり

サイン会が危険と言うことで中止になりましたが

ここまでして活動しなければならない理由でもあるのでしょうか。

現在の千葉麗子さんは、前述のとおり

ヨガのインストラクターとして

チェリーベイブの代表取締役社長が職業。

もう20年以上も会社を経営させるなんてすごいことです。

企業の倒産平均年齢は23年らしいので、もう立派な社長ですね。

ブログにはヨガのことなどがたくさん書かれています。

ツイッターを覗いてみると

凄く過激な内容が多く

「旭日旗」とか「しばき隊」とか「サヨク」

などという言葉で埋め尽くされています。

完全に過激派となっているような感じも受けますが

たまに掲載している千葉麗子自身のご尊顔を拝見する限り

今現在も美貌はキープしています。

ヨガの先生だけあって、スタイルも素晴らしいし

2012年に再婚しているそうですが

まだまだモテるでしょう。

今後は過激な発言を控えめにして

もっといろんなシーンで活躍してほしいですね。

最後までご視聴ありがとうございました。

コメントを残してくれると嬉しいです。

チャンネル登録、高評価も是非お願いいたします。

それでは、また。

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