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夏井いつきの本名と経歴に驚きを隠せない…『プレバト!!』で人気を博した俳句の先生が再婚した理由…旦那のプロポーズに称賛の嵐…

夏井いつきの本名と経歴に驚きを隠せない…『プレバト!!』で人気を博した俳句の先生が再婚した理由…旦那のプロポーズに称賛の嵐…

みなさん、こんにちは。

プレバトで毒舌俳人として、

活躍中の夏井いつきさん。

辛辣な言葉を投げかけるだけあって、

自身の人生も波乱に満ちているようです。

今回は、夏井さんのプロフィール、経歴、学歴を含め、

若い頃や結婚した病気の夫や子供、両親、兄弟姉妹を見ていきます。

まず、夏井さんのプロフィールを見ていきましょう!

本名:加根伊月(かね いつき)、

生年月日:1957年5月13日、

2022年現在は、64歳になります。

出身地:愛媛県南宇和郡内海村、

学歴:京都女子大学文学部国文科 卒業

大学卒業後は、国語の教師として中学校で教鞭をとっていましたが、

31歳のとき教職を辞め、俳人に転身しました。

自宅のある松山を拠点に俳句集団を創り活動し、

2013年からはプレバトに俳句部門の査定を担当しています。 

主な受賞歴は、

1994年 第8回俳壇賞受賞、

2000年 第5回中新田俳句大賞受賞、

2005年 NHK四国ふれあい文化賞受賞、

2018年 第44回放送文化基金賞、

になります。

夏井さんは、学生時代はバレーボールの選手で、

原田知世似と言われていたそう。

教師時代から、俳句に真剣に取り組み、黒田杏子氏に師事していました。

小中学生を対象とした、「句会ライブ」という俳句教室も開催し、

若者への俳句普及にも務めていました。

ちなみに、夏井さんは2度結婚しており、

初めの結婚は25歳のときで、相手は、同じ教師仲間の男性。

「夏井」という姓は、この最初の結婚のときの名をそのまま使っています。

結婚後は、1男1女を授かりましたが、30歳の時に舅が死去。

その影響で、体調を崩した姑の介護をすることになり、

やむなく学校を退職しました。

退職の際は、「これから俳人になる。」と伝えたそう。

しかし、俳人としての活動を始めて10年後、

40歳の時に実母が脳腫瘍を発症。

俳人としての活動だけでは、生計を立てるのもままならない状況で、

姑と実母の介護で家族全体が疲弊してしまい、

実母はアパート借りて住まわせ、自宅とアパートの往復を1日に数え切れないほどしました。

俳句の仕事でも生活していけるだけの経済力はなかったのですが、

限界を超えてしまったようで、

43歳のとき、「2人の実子を引き取る」ことを条件に、離婚しました。

離婚後は、「(俳句と関連のない案件や、

俳句の広報につながらない案件を除いて)依頼された仕事はすべて引き受ける」

というスタンスで、俳人としての活動に没頭していったそうです。

また「俳人になる」という前述の約束を守るべく、

あえて教職へ復帰せず、「次の仕事につなげたい」との一心で話術を磨いたそう。

二度目の結婚は46歳のときで、博報堂勤務の8歳年上の加根光夫さんです。

ちなみに、加根さんは、当時関東支社勤務のCMプロデューサーとして、

中村玉緒さんが出演している、「マロニーちゃん」シリーズなどを手掛けていた方です。

加根さんは、定年退職後、フリーの映像プロデューサーの傍ら、

マネージャーとして夏井さんを公私にわたりサポートしているようです。

「暇な方が作るという原則なんですけど。たいがい僕の方がひまなんで」

と、料理から家事全般もこなすとのこと。

一緒に暮らしていた子供たちも独立し、今は2人暮らし。

ちなみに、2014年には、

「夫婦二人の終活会社」として、

夏井&カンパニーを設立しました。

そんな夏井さんと加根さんとの出会いは、

当時、大阪でCMプロデューサーをしていた加根さんが、仕事のオファーのため、

夏井さんのもとを訪れたのがきっかけ。

彼女の俳句と、裏表のない人柄に惚れこんで、

愛媛の松山まで足繁く句会に通い始めたそうです。

当時シングルマザーとして、

義母と実母の介護をしながら、

2人の子供を育てていた夏井さんは、

俳句を通じて知り合った子供も預っていたそうです。

元熱血教師だけあって、家庭にトラブルを抱えて苦しんでいる子を放っておけず、

保護者の了承を得たうえで面倒をみていたそうです。

もう二度と結婚はしないと決めていた夏井さんだが、

バツ2だった加根さんは彼女と家族になることを望んだそう。

「まずは、句に惚れたんです。

それに、こんなに能力がある人は見たことがない。

付き人としてでも、支えたい!と思っちゃったんですよね。」

夏井さんは、自分の暮らしぶりを見せたら、

諦めてくれるだろうと“大家族”の住む家に彼を招きました。

しかし、料理の得意な加根さんはあっという間に、

子供たちの胃袋もつかみ、家族になじんだそうです。

そして、出会いから3年経ったある日、

「歳とってるけど、結婚しましょうか」と玄関先でのプロポーズを受けました。

「もう、歳も歳ですし。

料理とか洗濯とか、やる余裕もないですし。

こうして、よその子たちもいますし。」

「歳は関係ありません。家事も僕がやります。

子供たちも、僕を受け入れてくれてます。」

こうして、57歳と49歳の“熟年夫婦”が誕生し、

以来、かけがえのないパートナーとして2人仲良く暮らしていました。

しかし、光夫さんは2015年に肺がんを宣告されたそうです。

夏井さんもかなりつらいようで、

「朝の蝉明るし検温の時間」

という句を詠んでいます。

しかし、手術は無事に終わり、

順調に回復しているようです。

夏井さんは、最初の結婚で二人の子供をもうけています。

長女のふみさんは、

夏井さんが、26歳のときに生まれました。

家庭崩壊で初めの夫と離婚問題が出ていた頃、

不登校になってしまいましたが、今では結婚してお子さんもいます。

長男の家藤正人さんは、

夏井さんが27歳の時の子で、現在は俳人として活躍しています。

1986年生まれで、愛媛大学を卒業後俳句の道に進みました。

夏井さんの経営する会社で働き、イベントでは夏井さんとコラボも多いようです。

続いて、夏井さんの生家について、見ていきましょう!

実家の家藤家では、明治時代から特定郵便局を開設していました。

夏井さんの祖父は、幼少期まで局長を務めていて、

地元の名士であったため、近隣の家庭で子どもが生まれるたびに、

子どもへの命名を託されていたそうです。

夏井さん自身も、本名の「伊月」を、祖父から付けられました。

しかしこの「伊月」という名は、祖父が囲っていた芸者の名前だったのです。

昔の地元の名士って現代の倫理観に欠けている人が多いですが、

夏井さんの祖父もそのうちの一人だったようです。

夏井さんは長女として生まれ、父親は物静かな人でした。

カメラやギターが好きで、

エンジニアになりたかったそうですが、家業の郵便局を就いだそうです。

仕事が終わると、よく子供たちを連れて釣りにでかけたという家庭を大事にする人でした。

夏井さんには、妹の千津さんがおり、実家で一緒に育ちました。

千津さんは、フリーライターで二児の母親です。

2010年、アメリカ人のチェリストのナサニエル・ローゼンさんと結婚して、

海外の公演旅行に同行しています。

2011年から愛媛県松山市に住んでいましたが、

現在はに山梨県山中湖村に住居を構えています。

夏井さんが毒舌であるのは、

自分もかなり苦労した人生を送ってきているからなのが分かりました。

現在は仕事もプライベートも充実しているようで、

これからの夏井さんの益々の活躍を期待しています。

最後までご視聴ありがとうございました。

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それでは、また。
芸能LAB編集部

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