大原麗子の切ない晩年…壮絶すぎる孤独死に涙腺崩壊…『サントリーレッドCM』で話題となった女優の国籍や生い立ち…大物俳優との二度の離婚理由に驚きを隠せない…

大原麗子の切ない晩年…壮絶すぎる孤独死に涙腺崩壊…『サントリーレッドCM』で話題となった女優の国籍や生い立ち…大物俳優との二度の離婚理由に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

少しハスキーな甘い声と

年齢不詳の可憐な美貌で

多くのファンを魅了した

大原麗子(おおはられいこ)さん。

しかし晩年は悲惨で、

2009年に亡くなった際、

最期は孤独死だったと報じられました。

今回は大原さんの晩年、

孤独死の真相に迫りつつ、

病気と死因を確認します。

また亡くなった現場である家は、

今どうなっているのかも見ていきましょう。

また、森光子さんや浅丘ルリ子さんの

弔辞の言葉もあり、

性格に関心を寄せる人が増えているようです。

生い立ちを振り返りながら、

弟と父親についても調べてみました。

また、大原さんの元夫は、

俳優の渡瀬恒彦さんと、歌手の森進一さんでした。

今回は3人の関係について、

結婚、馴れ初めエピソード、子供はいるのか

についてもまとめます。

さらに、国民的女優だった大原麗子さんが

「韓国」で検索されるのはなぜでしょう。

そちらについても調べてみました。

気になる話題がたくさんある大原麗子さん、

最後までご視聴いただけると嬉しいです。

まずは、

大原麗子さんの基本的なプロフィールを

調べてみました。

本名:飯塚麗子

生年月日:1946年11月13日

死没:2009年8月3日

身長:157cm

出身地:東京都文京区

最終学歴:北豊島高等学校

2009年8月、62歳の若さで

ひっそりと旅立った大原麗子さん。

晩年は闘病や母親の介護で

表舞台から遠ざかってしまったことが

残念でなりません。

ドラマ『雑居時代』や『春日局』、

映画では『居酒屋兆治』『おはん』など

代表作はいろいろありますが、

やはり真っ先に思い出すのは

サントリーレッドのCMです。

「すこし愛して、なが~く愛して」と

柔らかく語りかけるCMは、

まさに大原麗子さんの魅力が全開でした。

死亡している大原さんが発見されたのは、

2009年8月6日。

連絡が取れないことを不審に思った弟と、

通報で駆けつけた警察が見つけました。

自宅2階の寝室で、

仰向けに倒れていたそうです。

15cm先にある携帯電話を取るため、

手を伸ばしている状態だったといいます。

倒れてからしばらく意識があり、

自分で通報しようとしていたのでしょう。

大女優でありながら、

最期は悲惨な孤独死を遂げたのです。

解剖の結果、

すでに8月3日には亡くなっていた

と推定されました。

死因は、不整脈によって起こった、

脳内出血だったそうです。

真夏だったため、

遺体はかなり傷んでいたといいます。

大原さんが最初に休業したのは、

1999年頃に発症した

ギラン・バレー症候群が原因です。

歩行困難になることで知られる

神経障害の一種で、

大原さんは1973年に初めて発症しました。

いったんは治ったものの、

99年頃に再発したとのことで、

休業に至ります。

休業中に主治医が亡くなっていますが、

それがショックだったようで、

うつ病も発症。

さらに二重まぶたの整形手術に失敗し、

まぶたが膨らんでしまって以来、

引きこもりがちになっていたそうです。

2008年には自宅で転倒し、

右手首を骨折、膝も打撲してしまいます。

度重なる病気やケガで、

精神が不安定になっていたことは確かでしょう。

性格は少し躁うつ的な傾向があり、

躁状態の時はよくしゃべり、

短気なところもあったようです。

かつてマネージャーを務めていた女性は、

ある映画監督のヌードの要求を

啖呵をきってはねつけたエピソードを披露。

そればかりか、

可憐な容貌からは想像できないほど勝気な性格で、

10人近い男性マネージャーたちを

振り回してきた武勇伝の持ち主でした。

近しい人たちの証言を総合すると、

わがままで気が強く、

男勝りなところがあり、

それでいて孤独にはめっぽう弱い

寂しがりやという女性像が浮かんできます。

若い頃から病魔に苦しめられたこともあり、

心にも傷を負ったことでしょう。

また、おそらく生い立ちが

影響していると思われますが、

男性に父性を求めてしまう

ファザコンでもあったとのこと。

1946年11月13日、

老舗の和菓子屋・田月堂の長女として

誕生した大原麗子さん。

3歳年下の弟・大原政光さんは

獨協大学卒業後、

銀行マンを経て、

姉の個人事務所の社長を

務めていた時期がありました。

姉弟の運命が大きく変わったのは

姉が8歳の時。

両親の離婚で、

姉は母・俊子さんに、

弟は父に引き取られることになったのです。

のちに政光さんが

語ったところによると、

離婚の原因は父親の女癖の悪さ。

父には5回の結婚歴があり、

俊子さんは4人目の妻でした。

また、父と大原麗子さんの間にも

根深い確執があったようです。

幼い頃から父親のDVを受けていたという

大原麗子さん。

写真の撮られ方を終生気にしていたそうですが、

これは殴られたことにより

鼻骨の右側が

少し盛り上がっていたからでした。

森進一さんと離婚後は大原姓に戻らず、

家庭裁判所の手続きをふんで

母親の飯塚姓に。

それほど父親を憎んでいたということでしょう。

ですから、亡くなった時の

本名は「飯塚麗子」です。

ストレスのせいなのか夜も眠れず、

救いを求めて友人たちに長々と電話をかけたのも、

彼女なりのSOSだった可能性が、

やはり高いようです。

「お別れ会」で浅丘ルリ子さんは、

「不平だらけの長電話に出たくなかった。

でもちゃんと受け止めるべきだった」

と語りました。

誰からも受け入れてもらえず、

救いを得られなかった大原さん。

数々の名演を残してくれた女優が、

悲惨な最期を迎えなければならなかったことに、

胸が痛みますね。

女優としてのプライドと、

一人の女性としての葛藤に

苦しむ心情が伝わってくるエピソードです。

大原さんが亡くなった当時、

家には黄色いテープが張られ、

立ち入り禁止となっていました。

現在、家はどうなっているのでしょう。

彼女の自宅は、

世田谷区岡本にある豪邸でした。

2015年9月、

TBSの番組「私の何がイケないの?」に、

弟の政光さんが出演。

番組内で、豪邸が売却されたことを明かしました。

同年8月の七回忌後、

翌月に売却されたといいます。

生前に大原さんは、

「豪邸を売る時も、形は残して欲しい」

と希望していたため、

売却後も取り壊されなかったようです。

売却時の値段は2億5千万円。

高額のため大原さんの死後、

6年間は買い手がつかなかったそうです。

広い車庫に植物も植わっている、

非常に立派な外観だった豪邸。

しかしストリートビューで確認したところ、

現在は当時と異なる建物が建っています。

調べてみると、

豪邸は2019年に取り壊されたことがわかりました。

「残して欲しい」という遺言を守るのも、

維持費や管理費の問題で

難しかったのかもしれません。

ひっそりと世を去った大原さん。

往年の名演を鑑賞し、

波乱に満ちた生涯に思いを馳せることで、

彼女の人柄を偲びたいですね。

大原麗子さんが

「韓国」のワードで検索される件についてですが、

なぜ「韓国」で検索されるのかは

わかりませんでした。

考えられるのは、前にも記した

大原麗子さんが50代で受けた

二重まぶたの整形手術でしょうか。

この手術は失敗し、

元に戻すための再手術を

受けることになりました。

韓国は「整形大国」の異名をとるほど

整形手術が一般人にまで普及しており、

アジアの近隣諸国からも

患者が訪れるそうですから、

韓国で手術を受けたのではと

思う人がいるのかもしれません。

また「大原」という名字は

在日朝鮮人の通名に

たびたび使われるとの説があるようなので、

韓国ルーツが疑われたのかもしれません。

詳しく後述しますが、

生家は東京・文京区の老舗和菓子店。

調べたかぎりでは、

両親にも韓国とつながりはみえません。

不運な晩年と孤独な死が衝撃的だっただけに、

その生涯がいっそうミステリアスに見えてしまい、

火のないところから立ち上がった

憶測の可能性が高そうです。

結婚歴についてですが、

大原さんが初めて結婚したのは1973年、

相手は俳優の渡瀬恒彦さんでした。

1978年に離婚するまで、

5年間の夫婦生活を送っています。

当時の渡瀬さんは、

東映専属の俳優として活躍しており、

京都にある東映撮影所がメインの仕事現場でした。

そこで彼は、

「2人で京都に引っ越そう」と大原さんに提案。

しかし彼女の仕事現場は、

基本的に東京の撮影所でした。

すでに人気を確立していた大原さんが、

東京を去って京都に住むのは、

無理があったのです。

結果的に理想の夫婦生活を送れず、

すれ違いが生じたため、

5年で離婚に至ったとのこと。

やむを得ない事情での別離だったため、

2人は離婚後も交流を続けていました。

後年の大原さんは、

ストレスのためか周囲に悪態をつき、

徐々に芸能界から孤立していきました。

そこで渡瀬さんは自身の代表作

「十津川警部シリーズ」の

『東北新幹線「はやて」殺人事件』に

大原さんを出演させました。

彼女にとって最後のドラマ出演となりましたが、

思いやり深い渡瀬さんと共演を果たし、

満足だったことでしょう。

渡瀬さんは離婚後、

い保さんという女性と再婚し、

2人の子供たちと幸福な生活を送りました。

しかし大原さんは、2009年、

自宅で孤独死しています。

渡瀬さんは彼女の最期を悲しみ、

「お別れの会」や七回忌など、

節目のイベントに必ず出席しました。

そして彼も2017年、

胆のうがんで72年の生涯を終えます。

2015年、大原さんの七回忌に参列した際、

すでに体調が悪かったそうです。

しかし病魔に侵されながらも、

かつて愛した女性の墓前に赴き、

彼女の死を悼みました。

「別れたとはいえ、僕の妻でしたから」と、

彼女への思いを語った渡瀬さん。

大原さんを幸福にできなかった責任を、

最後の瞬間まで感じていたのかもしれません。

大原さんは渡瀬さんと離婚後の1980年、

歌手の森進一さんと再婚しました。

しかし4年後に、再び離婚しています。

2人の離婚については

さまざまな噂が流れていますが、

実際のところは、

価値観のズレが原因の破局だったようです。

森さんは妻に対し、

家庭を重視して欲しかったそうですが、

大原さんは仕事を優先。

「一生、女優でありたい」

と彼女が語った時点で、

夫婦生活がうまくいかないことは

目に見えていました。

離婚会見で森さんは、

「理想の家庭ができなかった」と理由を説明。

それに対して大原さんは、

「家庭に男が2人いた」と語りました。

夫婦が共に仕事の絶頂期にあったため、

家庭を重視する余裕がなかったのでしょう。

価値観が異なる2人は、

やがて互いを思いやる余裕すら

失ってしまったのかもしれません。

そもそも大原さんは、

なぜ渡瀬さんと森さんとの

結婚を決意したのでしょう。

それぞれの結婚と馴れ初めについては、

とくに情報がありません。

ただ最初の結婚については、

先輩だった大原さんの方から、

駆け出しの渡瀬さんを

好きになったそうです。

彼女にとって好みの男性は、

「毅然としている強い人」であると同時に、

「繊細で大人しい人」でした。

渡瀬さんは幼少期からケンカが強く、

男らしい性格の反面、

女性に対しては優しかったようです。

彼の性格は、まさに

「大原好み」の人柄だったのでしょう。

大原さんは自宅マンションに、

渡瀬さん専用の電話を設置し、

それが鳴ると時間帯にかかわらず

必ず受話器を取りました。

生活スタイルの違いによって

離婚せざるを得ませんでしたが、

彼女にとって「王子様」に近い

男性だったのでしょう。

森さんと大原さんは、

かつてナベプロの同期だったため、

お互いにデビュー当時から交流がありました。

同期で気心の知れた仲だった2人。

結婚生活がうまくいっていなかった時期の

大原さんにとって、

森さんと過ごす時間は

安らげたのかもしれません。

「家庭優先」を結婚の条件として

提示した彼に対し、

「努力する」と答えながらも、

結局女優業を優先。

しかし女優への未練を

断ち切れていたとすれば、家庭では幸福を

手に入れていたかもしれませんね。

大原さんには子供がいませんでした。

仕事を優先した女優ですから、

子供を望んだことがなかったとされてきました。

しかし実は、渡瀬さんと森さんとの子供を、

それぞれ妊娠した経験があります。

弟の政光さんによると、

彼女は渡瀬さんとの結婚前に

彼の子を妊娠したとのこと。

しかし子宮外妊娠だったことで、

胎児は死んでしまったのです。

緊急手術の際、

渡瀬さんから輸血してもらった大原さんは、

「彼の血が私の中に流れているのが嬉しい」

と語りました。

子供は残念な結果に終わりましたが、

愛する人の血を分けてもらえたことは、

何よりの喜びだったのでしょう。

また森さんとの子供は、

妊娠後に中絶しています。

政光さんに対して、

「中絶したいから病院を紹介して」

と頼んだそうです。

ドラマに出演していたため、

お腹が膨らむと仕事に支障が出てしまう恐れがあり、

中絶を決意したということでした。

身ごもった子供を手放してまで、

仕事に情熱を注がなければ、

女優として失格という風潮が

当時はあったのかもしれません。

そもそも「家庭」を優先しない女優は、

結婚生活で幸福になれないという常識も、

すでに時代遅れでしょう。

ただし「結婚も子供も諦め、

女優人生を貫いた」という彼女へのイメージは、

世間が望む「大女優」のイメージそのものです。

「女優であり続けるには、

私生活での幸福を手放さなければならない」

という風潮の理不尽さを、

考えさせられるエピソードですね。

今になって、

大原さんの中絶について話題にしたところで、

彼女の魂は浮かばれないことは確かです。

ただ彼女のエピソードを知った芸能関係者が、

女優に対する認識を少しでも改めてくれれば、

女優もより生きやすくなることでしょう。

華やかな女優活動の舞台裏で、

波瀾万丈の人生を送った大原麗子さん。

スクリーンに登場しただけで

画がパッと明るくなるような

華をもった女優でした。

最後までご視聴いただき、ありがとうございまいした。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。

それでは、また。

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