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奥村チヨの今現在…引退理由に一同驚愕…浜圭介と結婚し「終着駅」がヒットした演歌歌手の引退時に親友・美川憲一が”かけた言葉”に涙腺崩壊…

奥村チヨの今現在…引退理由に一同驚愕…浜圭介と結婚し「終着駅」がヒットした演歌歌手の引退時に親友・美川憲一が”かけた言葉”に涙腺崩壊…

みなさん、こんにちは。

突然ですが、最近の日本の音楽業界の発展には、

目を見張るものがありますね。

多くの歌手や、ミュージシャンが国内のみならず、

海外でのコンサートを刊行し、

近年は、パソコンなどに入力されたメロディーと歌詞をもとに、

曲に合わせた歌声を合成するソフトウエア、

所謂、ボーカロイドのソロライブなど

目まぐるしい勢い、かつ、独自の発展も遂げています。

日本の音楽業界が、

ここまでの発展を成功させ、

世界からの注目を集めることが

可能となった要因としては、

戦後日本の偉大な昭和歌謡歌手の後ろだてが、

大きく関わっていることでしょう。

今回は、その昭和の歌謡ブームを支え、

今日の、日本におけるポップスの立役者となった

歌手、奥村チヨさんの経歴、結婚相手、

そして2018年の芸能界引退までのお話です。

奥村チヨさんは千葉県野田市生まれ、大阪府池田市育ち。

父親はサラリーマン。

兄2人と姉2人の5人兄弟の末っ子。
、
3歳の時、父親の転勤によって大阪府の池田市へ引っ越し、

以来大阪で育つことになります。

奥村が10歳の時、ひょんなことで出場した、

ラジオののど自慢大会にて、

優勝を収め、歌手としての才能の片鱗を見せます。

高校在学中、知人が勝手に応募した、

コマーシャルのオーディションに見事合格し、

小野薬品のドリンク剤「リキ・ホルモ」のCMソング、

「昨日、今日、明日」を歌いました。

これは一回限りで、高校卒業後は就職する予定でしたが、

歌の評判が良かったことから、

卒業後は東芝レコードに所属することになります。

知人や家族がが勝手にオーディションに応募するのって、

芸能界のあるあるなんでしょうか。

そして、「あなたがいなくても / 私を愛して」で、

歌手デビューを果たし、世間は、黛ジュンさん、

小川知子さんとともに東芝三人娘と称しました。

その後も1965年に「ごめんネ…ジロー」、

1967年に「北国の青い空」などをヒットさせ、

1969年には「恋の奴隷」の大ヒットによって、

なんと紅白歌合戦に出場します。

その後も「恋狂い」、「恋泥棒」と続々と曲を出し、

これらは恋三部作として知られ、

奥村さんの人気歌手としての座を揺るぎないものにしました。

今のように、ネットやスマホもない世の中で、

22歳での、紅白歌合戦への出場は、

当時の人気の勢いを物語っていますね。

しかし1969年「恋の奴隷」の歌詞がNHKの放送コードに引っかかっており、

かつ、曲の世界観をNHKは「退廃的である」と判断。

結果として、奥村さんは本来歌う予定だった「恋の奴隷」ではなく、

「恋泥棒」を歌うことを余儀なくされ、

そのことは奥村さんに大きなショックを与えました。

さらにこの頃は自宅の近所まで付きまとう熱心なファンが増えたことにより、

精神的に追い込まれるようになりました。

そんな中1971年、「終着駅」を販売し、

奥村はこれがヒットしなかったら引退するとまで言いました。

65年のデビューから、僅か6年での表明はかなり早い気がしますが、

そのくらい神経をすり減らしていたんでしょうね。

結果は40万枚の大ヒットを見せ、

1972年に紅白歌合戦に再出場することになりました。

この曲により自身のイメージの幅を広げることに成功し、

奥村はますます活躍するようになりました。

その大ヒット曲、「終着駅」が生まれる中で、

奥村さんは一人の男性と出会います。

その男性とは、元歌手で作曲家の浜圭介さん。

浜圭介さんは1946年4月6日生まれ。

奥村さんの1歳年上ですね。

浜さんは1964年に歌手デビューしますが、

ヒットに恵まれず、1972年に作曲に専念し、

翌年の1973年には、第15回日本レコード大賞作曲賞を受賞しました。

その後、夫婦となる二人ですが、

付き合うようになったきっかけは、

奥村さんのお母さんがヒット記念に自宅へ浜さんを招待した時です。

その時飲みすぎでソファーに横になっていた浜さんに対して、

奥村さんはおしぼりを額に乗せて冷やしました。

そのことがきっかけで浜さんに恋心が芽生え、

猛アプローチの末付き合うことになりました。

そして付き合ってから3年後の1974年、二人は結ばれました。

結婚した当時、奥村さんは27歳、浜さんは28歳。

結婚を機に、奥村さんは一旦家庭に入り、

芸能界から距離を取りましたが、

慣れない家事に、悪戦苦闘したそうです。

ちなみに、奥村さんと浜さんの間に、お子さんはいないそうです。

しばらくの間は、束の間の休息を楽しんでいた奥村ですが、

1980年に「せめてさよならは…」をリリースして芸能活動を再開させます。

しかし以前のように、テレビに積極的に出演するわけではなく、

ステージを中心に活躍をしました。

そんな中1993年、60年代の曲がブームになっていたこともあり、

「恋の奴隷」が再ヒットを遂げました。

現代でも通用するような衣装と歌が注目を集め、

当時の若い世代を中心にファンを増やしました。

奥村は21世紀に突入しても、精力的に活動を続け、

ライブアルバムや、ベストアルバムをリリースしています。

2016年には、12年ぶりとなる新曲

「Be With You -あなたに逢えた-」を発売しました。

そして翌年には浅草にて初めてのインストアライブを開催し、

大盛況を見せました。

しかし2018年、

奥村さんはその年いっぱいで、芸能界から引退する事を発表しました。

奥村さんの事務所は引退理由について

「歌手として引き際が肝心と、

彼女独自の美学に基づいての決断になります」

と語っています。

半世紀にもわたる芸能活動に終止符を打つとあり、

ファンはもちろん、芸能界の中でも

奥村を惜しむ声が上がっていました。

しかし親友の美川憲一さんは、

「引退するのは勿体ないけど、

チヨちゃんの決断なら支持する」と語るなど

引退に対して肯定的な声もありました。

引退後についてはトークショーにおいて

「趣味であるヨーロッパへの旅行を楽しんで、

友達がたくさんいるハワイに旅行したい」と語っており、

悠々自適の余生を送る模様です。

いかがでしたか?

幼いころから歌手としての才覚を現し、

22歳での紅白歌合戦出場は、

2022年現在でも、圧倒的な業界での存在感ですよね。

また、奥村さんが歌手で成功しても、

ファンの付きまといや紅白歌合戦での都合上

ヒット曲が歌えなかったことに悩んでいる背景からは、

1人の歌手としての強いこだわりと、

向上心が高いことが窺えます。

プライベートでは、出会った当初、

飲みすぎで倒れていた浜さんに対して、

おしぼりを提供するなどと言った気遣いが出来るあたり、

長く芸能界で活躍できた理由が少しわかります。

今頃、奥村さんと浜さんは二人で仲良くハワイで、

沢山のお友達に囲まれながら、

楽しく過ごしているんでしょうね。

最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。

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それでは、また。
芸能LAB編集部

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