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宮沢和史の妻の正体や国籍に驚きを隠せない…!『THE BOOM』ボーカルの子供の現在や職業が衝撃的すぎた…!!

宮沢和史の妻の正体や国籍に驚きを隠せない…!『THE BOOM』ボーカルの子供の現在や職業が衝撃的すぎた…!!

みなさん、こんにちは


『島唄』や『風になりたい』のヒット曲で知られる


元THE BOOMの宮沢和史さん。


現在、THE BOOMを解散して、


どのような生活をされているのか大変気になりますね。


また、結婚した奥さんについてや、


お子さんについても調べてみましたので、


今回ご紹介していきたいと思います。


ぜひ最後までご視聴ください。


山梨県甲府市出身の宮沢和史さんは、高校を卒業後、


都内の大学に入学したタイミングで上京しました。


現役で駒澤大学に合格していたようですが、


なんと、入学書類を無くしてしまったことで、


一浪して明治大学経営学部に入学したようです。


大学生時代からアクティブに活動されており、


在学中の1986年にTHE BOOMを結成しました。


翌年から歩行者天国で路上ライブを行こない、


1988年には、ソニーミュージックが主催した


オーディションに見事合格。


その翌年の1989年には


『君はTVっ子』でデビューを果たしました。


そして1992年に発売されたアルバム


『思春期』の中に収録されていた曲が、


THE BOOMの代表曲となる『島唄』です。


アルバム内の曲でしたが、


シングルリリースの要望が多かったため


『島唄(オリジナル・ヴァージョン)』として


後にリリースし、これが大ヒットしました。


この歌が、THE BOOMの名前を一躍有名にし、


その後、沖縄のみの限定発売で、


沖縄の方言で歌った


『島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)』


も発売しました。


この島唄には、沖縄が過去経験した


沖縄戦の悲劇への鎮魂の思いを込めていたようです。


ある時、宮沢さんは


糸満市のひめゆり平和祈念資料館で、


沖縄戦の惨禍を初めて知りました。


そこで、自身が歴史に対して、


無知だったことに罪の意識が芽生え、


それを払しょくするために、三線を手にしたそうです。


発表当初は、沖縄で受け入れられるのか


不安もあったそうですが、


沖縄からヒットの火がつき、国内外に広がった唄は


多くの県民に愛される曲になりました。


日本で大人気となった島唄ですが、


2001年にはアルゼンチンの歌手である


アルフレッド・カセーロさんが、


宮沢さんに無許可で『島唄』をカバーリリースし、


これがアルゼンチン国内でも大ヒットしていきました。


無許可でカバーリリースしたことで、


宮沢さん側は、訴えると思いきや、


これを知った宮沢さんは、わざわざ現地まで赴き、


カセーロさんと一緒に聴衆の前で島唄を歌いました。


なんでも、こんな遠くの地で多くの人に


聴いてもらえて嬉しかったと語っています。


これからも歌い続けて欲しいとのことで、


カバーを承諾したようです。


この行動には懐の大きさを感じますね。


THE BOOMでの活動ばかりに


目を向けられがちの宮沢さんですが、


実はシンガーソングライターとしても


非常に精力的に活動を行っています。


SMAPやKinKi Kidsなど、


数多くのアーティストの作詞・作曲を手掛けています。


残念ながらTHE BOOMは


2014年12月の日本武道館公演をもって


解散となりましたが、


彼らが作り上げたものは


多くの人に影響を与えたことに間違いありません。


歌手として、成功された宮沢さんは、


1994年にタレントでパーソナリティの


光岡ディオンさんと結婚しました。


光岡ディオンさんは、


国際基督教大学教養学部語学科を卒業しており


英語が堪能ということで、


Weekend JapanologyやCNNヘッドラインのキャスター務めるなど


英語に携わる仕事を多くされています。


神奈川県の出身ということですが、


アメリカと日本のハーフのようです。


お顔立ちがとってもはっきりしていて、


とても美人な方です。


そんなお二人の出会いはというと、


光岡ディオンさんのラジオ番組に


宮沢さんがゲストとして出演したことがきっかけでした。


どちらからアプローチしたかはわかりませんが、


きっと光岡さんも


宮沢さんが歌っている姿に惹かれたのでしょうね。


ネット上ではお二人に


離婚や不仲説がささやかれていますが、


結婚後、光岡ディオンさんは


家庭を優先した働き方をしていますし、


あくまでも噂されただけのようです。


おそらくですが、


宮沢さんが一時音楽活動が少ない時期があったので


そのせいもあるのかもしれませんね。
 
そんな才能に溢れたお二人には、


3人のお子さんがいらっしゃいます。


長男は氷魚さん、そして次男は海実さん、


長女は琉歌さんという名前だそうです。


3人とも素敵な名前ですね。


珍しい名前の長男氷魚さんの名前の由来は


実際に琵琶湖に生息する魚で、


鮎の稚魚の氷魚からきているようです。


この氷魚は、12月~3月頃まで収穫されて、


5月頃には透明感もなくなり、


「小鮎」と名前も変わるようで、


透き通った魚で、


環境の変化にも順応する力を持っている氷魚のように


冬の寒い季節も逞しく生きてほしい


という想いから名付けられたそうです。


次男の海実さんもそうですが、


釣り好きである宮沢さんならではですよね。


長女の琉歌さんの名前は、


沖縄好きということで


『琉』という字を使った名前にされたようです。


3人のお子さんについて、経歴など調べてみると、


長男の氷魚さんについてだけ情報がありました。


長男の氷魚さんは幼稚園から高校までは


インターナショナル・スクールに通い、


その後はカリフォルニア大学サンタクルーズ校から


母親の光岡ディオンさんと


同じ国際基督教大学に編入しました。


英語の教育にもの凄く力を入れているのがわかります。


母親がアメリカと日本のハーフであることも


理由の一つと考えられますが、


ミュージシャンである宮沢さんも


英語の重要性がわかっていたのでしょう。


そのおかげで氷魚さんは英語が堪能のようです。


父親の影響で芸能界に興味があったようで、


自ら芸能事務所のレプロエンタテインメントへ


履歴書を送り、所属することとなりました。


そして2015年に開催された


第30回『MEN’S NON-NO』


専属モデルオーディションで


見事グランプリに輝き、


モデルとしてデビューをはたしました。


184cmという恵まれた身長とクォーターと


純日本人と少し違った雰囲気で、


2017年にはテレビドラマ『コウノドリ』にレギュラー出演し


俳優デビューも飾りました。


英語も堪能なことから、


将来ハリウッドデビューなんてこともあるかもしれませんね。


息子の活躍が垣間見える中で、


宮沢和史さんも2014年のTHE BOOMの解散後は


ソロ活動を精力的におこなっていました。


しかし2016年1月に


『心身ともに歌う力を持ち続けることができない』


との理由から、


無期限で音楽活動を休養されました。


同年4月からは、


那覇市の沖縄県立芸術大学で講師を務め、


芸能活動ではないところで、


活動を広げていきましたが、


2017年に音楽活動を少しずつ再開すると発表し、


現在はライブ活動も頻繁に行っているそうです。


『心身ともに歌う力を持ち続けることができない』と


音楽活動を休止した時は


相当悩んでいたに違いありません。


もしかしたら息子である氷魚さんのがんばりを見て、


もう一度と思ったのかもしれませんね。


いかがだったでしょうか。


今回は、元THE BOOMの宮沢和史さんの


現在の生活や、奥様との関係、


お子さんの活躍について調べていきました。


一度は、芸能活動を休止されましたが、


復帰して、現在は積極的に活動されていますので、


今後の活躍も楽しみですね。


最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。


コメントを残してくれると、嬉しいです。


チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。


それでは、また。
芸能LAB編集部