寿美花代のまさかの現在や長男との突然の別れに涙腺崩壊…『宝塚スター』の悲しすぎる人生や夫・高島忠夫との最期に一同驚愕…

寿美花代のまさかの現在や長男との突然の別れに涙腺崩壊…『宝塚スター』の悲しすぎる人生や夫・高島忠夫との最期に一同驚愕…

みなさん、こんにちは。

芸能一家としてあまりにも有名な

高島ファミリーの寿美花代(すみはなよ)さん。

バラエティ番組で見せる天真爛漫な性格と関西弁でおなじみですね。

すでに90歳の高齢ですが

年齢を感じさせない華やかさや品があります。

それもそのはず、若い頃は

宝塚のトップスターとして活躍していた女優です。

寿美花代さんの体調を心配する声も聞かれますが

2022年現在はどんな様子なのでしょうか。

今回は、そんな寿美花代さんの現在や息子についてまとめていきます。

まずは、寿美花代さんのプロフィールから見ていきましょう。

本名:高嶋節子(たかしませつこ)

生年月日:1932年2月6日

出身地:兵庫県

血液型:AB型

職業:女優、タレント

ジャンル:宝塚歌劇、映画、テレビドラマ

活動期間:1948年 - 現在

寿美花代さんは1948年に35期生として宝塚歌劇団に入団しました。

寿美花代さんは入団するまでなんと

女性のみの歌劇団ということを知らなかったという仰天エピソードの持ち主。

『春のをどり』で初舞台を踏んだあと

1952年にはグランドレビュー『猿飛佐助』で初主演。

その後、星組の男役トップスターとして大活躍します。

その人気はブロマイドの売り上げ1位になったほど。

代表作は、1960年に芸術祭賞を受賞した『華麗なる千拍手』でした。

宝塚時代は男役で活躍する一方で映画にも出演しています。

後年、寿美花代さんは、星組トップスター時代の月収を

テレビ番組で赤裸々に告白して反響を呼びました。

”スターになってから、(月収)90万とか100万超したかな?”

当時は大卒の初任給が約1万6千円だった時代。

今の金額に換算すると

100万円は約1300万円に相当するのだそう。

さらに宝塚トップスターの条件について聞かれると

・魅力があること

・トップを張る顔をしていること

・オーラがあること

などと自画自賛コメント。

ネット上には、絶賛の声が寄せられたそうです。

退団したのは1963年。

高島忠夫さんとの結婚のためでした。

花組・星組の合同公演

『タカラジェンヌに栄光あれ』をさよなら公演に宝塚歌劇団を去っています。

寿美花代さんは高島忠夫さんとの2年の交際を経て

宝塚を退団した年に結婚。

寿美花代さんからの猛烈アブローチでゴールインしたのは有名な話です。

二人が出会ったのは1961年のこと。

きっかけは共演でした。

高島忠夫さんが「今日は何時間眠れるかな」と睡眠時間を数える姿に

「きっちりした人」と一目惚れしたのだとか。

ハンサムで優しくて背も高く

この人を逃したら私の人生は終わりだと思ったそうです。

”寿美さん:私にとって、あなたははじめて好きになった男性。

宝塚にいると、男性と接する機会なんてほとんどありませんでしたから。

最初のデートから結婚を意識していたんです。

高島さん:そうそう、帰り道で急に車を脇に止め

後ろに座っていた僕のほうをくるりと向き直ってね。

寿美:質問攻めにしたの(笑)。

月給はいくらですか? 

ご両親に仕送りをしていますか? 

持ち家ですか? 

借金はありませんか?

ガールフレンドはいますか?って。

高島:ちょっとびっくりしたけど

大真面目に聞かれたから、僕も真剣に答えました。”

のちに芸能界きってのおしどり夫婦と呼ばれることになる二人の絆は

ここから始まったのですね。

結婚後は主婦業を軸とする生活に入った寿美花代さん。

それが自然な流れで、仕事に未練はなかったといいます。

息子は政宏さんと政伸さんの二人。

そのため寿美花代さんの息子は二人と思っている人は少なくないでしょう。

ですが高島忠夫さんには子供がもう一人いたんです。

子供の名前は「道夫」さん。

道夫さんが長兄で政宏さんが次男、政伸さんが三男となります。

ですが道夫さんは姿を全く見せることがありません。

それもそのはず

道夫さんは生後5か月で殺害され亡くなっているんです。

亡くなったのは1964年8月24日。

住み込みで働いている家政婦から高島忠夫さん、寿美花代さんに

「長男の姿が見当たらない」との連絡を受け家中を探すと

蓋が閉められた風呂桶の中に沈んでいる道夫さんを発見。

自宅が荒らされていたことから警察と消防に通報。

道夫さんは自宅近くの病院に搬送され

人工呼吸などが行われるも亡くなってしまいました。

この事件は殺人事件として警察による捜査が開始。

最初に事件に気が付いた家政婦が

「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」

「長男が激しく泣いてるのを聞いた」と証言。

ところが

「この家政婦の他に不審者の目撃情報がいない」

「長男の泣き声を聞いた人がいない」

「長男を風呂桶にいれて蓋を閉めるのも不自然」

など不自然と思われる点が発覚。

不自然な点について家政婦に聴取すると

家政婦は犯行を自供したそうです。

長男を殺害した家政婦は高島夫婦のファンでした。

家政婦は新潟県出身で中学卒業と同時に上京し

都内の会社に勤務していましたが

勤務先に偶然にも高島夫婦の知人がいたことで

住み込みの家政婦として働くことに。

家政婦は良く働き、夫婦は家政婦のことを大変可愛がっていたそうです。

ですが道夫さんが産まれたことで家政婦は

「長男への気持ちが写って、自分がぞんざいに扱われるようになった。」

と感じたんだとか。

「この赤ん坊さえいなければ。。」

と考えた家政婦は、道夫さんを風呂に沈めて殺害。

その後、物取りの犯行を偽装するために室内を荒らした

というのが事件の全容です。

心に大きな傷を負った寿美花代さんは

未だに湯船に浸かることが出来ないそうです。

湯船につかると否が応でも道夫さんを思い出してしまうのでしょう。

道夫さんを殺害した家政婦は未成年でしたが

成人と同様に殺人罪で起訴。

1965年6月に懲役3年〜5年という不定期刑が確定しました。

寿美花代さんは2022年は90歳になる高齢。

かつての元気で美しい寿美花代さんのイメージが強いため

やはり昔の花形スターが老いていく姿は何ともさびしいものがあります。

2019年6月26日には、夫・高島忠夫さんが老衰のため88歳で死去。

2年ほど前から寝たきり状態になり

自宅で介護にあたっていた寿美花代さんも

最近は体調が優れない日が多く

ヘルパーに毎週3人交代で入ってもらっていたそうです。

以前テレビ番組で、介護うつになりかけたことを明かした寿美花代さん。

20年以上続いた闘病生活を支え

心身への負担も大きかったことでしょう。

高島忠夫さんの最期を看取ったのは寿美花代さんでした。

息子の高嶋政宏さん、政伸さんは

仕事の現場から駆けつけるも間に合わず

無言の対面となったそうです。

高島忠夫さんは30代に糖尿病と診断され

1998年、68歳で重度のうつ病を発症。

母親も70代でうつ病を患ったそうです。

さらにパーキンソン病

2010年には不整脈のため心臓に

ペースメーカーを取り付ける手術も行いました。

自宅での介護を決めたのは、寿美花代さんだったといいます。

介護うつになりながらも

自宅での老老介護を決断した理由は何だったのでしょう。

高島忠夫さんがこの場所に土地を購入したのは約60年も前のこと。

2人にとって、世田谷区の閑静な住宅街に構える自宅は

家族の歴史が詰まった、かけがえのない

大切な場所だったに違いありません。

それまではお金の管理をすべて

夫と税理士にまかせていた寿美花代さん。

通帳さえ見たことがなく

どこにいくらあるかさえ把握できない状態だったそうです。

すべて夫まかせだった寿美花代さんは、自ら大黒柱となり

お金の管理をし、介護を続けました。

介護体験は財産になったと振り返っています。

2017年8月21日には

三男の高嶋政伸さんに第一子が誕生し

待望の初孫ができた高島忠夫さんと寿美花代さん。

初めて両親のもとに息子を連れて行った時

寿美花代さんは喜びのあまり涙を流し

高島忠夫さんは将来はスターだと太鼓判を押したそうです。

新たな命の誕生が高島ファミリーに力を与え

家族の絆をより強くしたのは間違いありません。

寿美花代さんによると

最後は眠るように旅立っていったという高島忠夫さん。

長年にわたる夫の闘病生活を支え続けた寿美花代さんの献身は

おしどり夫婦のお手本を示してくれたような気がしますね。

今回は、寿美花代さんの現在や息子についてまとめていきました。

最後までご視聴ありがとうございました。

コメントを残してくれると嬉しいです。

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それでは、また。

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