みなさんこんにちは。 かつて人気ドラマ『金曜日の妻たちへ』で 活躍していた小川知子(おがわ ともこ)さん。 1999年以降はメディア出演しておらず、 現在の様子への憶測や死去説も見られました。 小川さんの近況、夫について 実際のところを確認していきましょう。 また事故死した恋人のレーサー・ 福澤幸雄さんとのエピソードもご紹介します。 そして、今も話題のあのシーンについて 真相を語ったようです。 かつて幸福の科学の広告塔として 話題になりましたが 今もそうなのでしょうか? そのことについてもみていきましょう。 ではまず、小川さんの プロフィールをみていきましょう。 本名:小川知子 生年月日:1949年1月26日 身長:157cm 出身地:東京都北区 最終学歴:精華学園女子高等学校 小川さんは1999年のドラマ 『暴れん坊将軍』への出演を最後に、 表舞台から姿を消しています。 彼女は1960年代後半には 歌手としても活躍し、 『初恋の人』や『別れてよかった』などの ヒット曲を飛ばしていました。 とくに『初恋の人』は、 約33万枚の売上を記録するほどの 人気を獲得し、紅白歌合戦でも歌っています。 人気の歌手・女優として 華々しく活躍していた小川さんですが、 2000年に入ると 姿が見られなくなったため、 死去説も生じました。 しかし確認したところ、 小川さんは2021年現在72歳を迎え、 元気に過ごしているようでした。 つまり死去説はデマということですね。 今はインスタグラムを開設し、 日常の出来事を 自身の顔写真付きで公開しています。 おしゃれな姿で 趣味の映画鑑賞に出かけるなど、 充実した日々を送っているようですね。 今なお美しく、 健康的な姿を見せているため、 往年のファンたちは喜んでいることでしょう。 また2021年4月3日に 亡くなった田村正和さんに対する 追悼コメントも投稿しています。 心不全により77歳で亡くなった 田村さんに対して、「早すぎます」とコメント。 田村さんは仕事でもプライベートでも、 クールな雰囲気を保ち続けていたそうです。 そのため人前では 笑顔を見せないよう心がけていたといいます。 小川さんがわざと笑わせようとする度に 「やめてよー」と、 必死に笑いをこらえていたそうです。 シャイな彼をからかうのは 楽しかったに違いありませんね。 小川さんは大切な友人を失い 寂しく思いながらも、 おしゃれや映画鑑賞を楽しみながら 前向きに暮らしているのでしょう。 小川さんはプライベートでは、 4歳年下の美術評論家・ 伊東順二さんと結婚しています。 彼は日本やフランスで アート企画も手がけるなど、 美術界の第一線で活躍してきました。 1988年の結婚当初は、 お互いに我が強いため、 周囲から「長続きしない」 と言われたそうです。 しかし2021年現在も 円満に過ごしているようでした。 子供はいないものの、 イベント好きな夫婦のため、 クリスマスや結婚記念日を 盛大に祝うといいます。 喧嘩をしても、 2人で祝う記念日の楽しさを考えることで、 別れずに過ごし続けてきたのかもしれませんね。 小川さんは1977年に 俳優の林与一さんと結婚し、 6年後に離婚しています。 離婚理由は不明ですが、 人気スター同士のため、 生活スタイルやキャリアへの考え方に 不一致が生じた可能性もありそうですね。 そのため小川さんは 非同業者を再婚相手に選び、 良好な関係を キープし続けることにしたのでしょう。 小川さんは結婚前、 レーサーの福澤幸雄さんと 熱愛関係にありました。 曽祖父に福澤諭吉、 父に在フランス日本国大使館勤務の 福澤進太郎、 母にギリシャ人歌手の 福澤アクリヴィを持つサラブレッドです。 小川さんは知人の紹介により、 イタリア料理店「キャンティ」で 福澤さんと知り合います。 彼女の方が惚れた結果、 世間には隠しながら交際を開始しました。 しかし福澤さんの求めによって 交際をオープンにした結果、 マスコミに追われてしまいます。 人気スターとカリスマレーサーという 魅力的なカップルを、 世間が放っておくはずがありませんね。 それでも福澤さんが 小川さんを車で送迎してくれたため、 愛を育みながら楽しく過ごしていたようです。 2人は小川さんが 20歳になった時点での結婚を約束。 そのため福澤さんは もっと安全な仕事を探し始めました。 しかし1969年2月12日に悲劇が起こります。 福澤さんがテスト走行中、 乗っていた車がコース脇の鉄柱に激突し、 その後土手にもぶつかり炎上。 25歳で即死してしまったのです。 小川さんは数日後に放送された 「夜のヒットスタジオ」で、 代表曲『初恋のひと』を歌いました。 しかし途中で泣き崩れて 歌えなくなってしまうのです。 美談として語られている場面ですが、 彼女はプロとして歌い切りたかったはず。 マスコミが過剰に悲劇的な報道をしたため、 心が不安定になった結果、 泣き崩れてしまったのでしょう。 このことは、「夜のヒットスタジオ」の中で 伝説となっています。 深く愛し合っていた2人を襲った 突然の悲劇。 1973年には彼の生きた証を残すため、 ドキュメンタリー映画 『マカオ・グランプリ』を製作。 小川さんがリーダーとなった レーシングチームが、 マカオ・グランプリで 優勝するまでを撮影しました。 もしかすると初婚相手の林さんについては、 福澤さんと比べてしまい、 どうしても心から 愛せなかったのかもしれません。 福澤さんの死から20年近く経ち、 気持ちの整理ができたタイミングで、 後半生を支えてくれる 伊東さんと結ばれたのでしょう。 ちなみに、小川さんは 先ほど述べたように 夜のヒットスタジオの収録中に 泣き崩れたことが 伝説となっていますが、もう一つあります。 それは、「谷村新司さんとの共演」です。 これは1984年の「夜のヒットスタジオ」で 谷村新司さんと小川知子さんが デュエット曲「忘れていいの-愛の幕切れ-」 を歌っていた時のこと。 突然、谷村新司さんが 小川知子さんの胸元に手を入れたのです。 この行動によって小川知子さんのもとには 批判が殺到することとなりました。 2015年になって小川知子さんは 「あれは(小川と谷村の)2人で 勝手に決めたこと。演出じゃないのよ」 と真相を明かしています。 谷村新司さんと 小川知子さんが決めたにせよ、 演出だったにせよ 物議をかもしたことには変わりありません。 今だったら絶対に放送できませんし 番組に出禁となってもおかしくありません。 当時のテレビはそれだけ 自由が許された時代 だったということでしょうか。 共演といえば、 2018年5月に逝去された 西城秀樹さんとは舞台などでも 長い親交があったようです。 続いて幸福の科学の件についてです。 女優の清水富美加さんが 出家したことで大きな話題となった 幸福の科学。 小川知子さんは清水富美加さんよりも 前に幸福の科学の広告塔として活動しています。 誰しも宗教団体の広告塔といえば イメージアップにつながるような行動を 思い浮かべることでしょう。 ですが、小川知子さんは違いました。 幸福の科学が講談社に対して 抗議行動を行った いわゆる「講談社フライデー事件」。 この事件で小川知子さんは 先頭に立ち絶叫しながら 抗議行動を行っています。 また、「講談社フライデー全国被害者の会」では 副会長として全国7つの裁判所で 講談社などを相手取った訴訟を起こしています。 これら一連の騒動を通して 信仰心の強さが明るみとなった小川知子さん。 あまりにも信仰心が強すぎることから 「使いづらい」という印象を持たれたのか その後はメディアへの露出が激減。 表舞台での活躍の場を 失ってしまった小川知子さん。 幸福の科学の月刊誌にエッセイを 連載していることから 今現在も幸福の科学を 信仰していることが分かります。 最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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