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小田和正を突然襲った事故…今なお働き続ける理由に涙が零れ落ちた…『たしかなこと』で老若男女から愛されるアーティストの妻の正体に一同驚愕…

小田和正を突然襲った事故…今なお働き続ける理由に涙が零れ落ちた…『たしかなこと』で老若男女から愛されるアーティストの妻の正体に一同驚愕…

みなさん、こんにちは。

70歳を過ぎても日本の音楽シーンの第一線を走り続ける、小田和正さん。

1970年にバンド・オフコースとしてデビューしてから、

ソロアーティストになった現在まで

半世紀以上にわたって活躍し続けています。

その歴史の中には

交通事故で生死を彷徨った経験もありました。

今回は、

歌手・小田和正さんについて、

交通事故を中心に

紹介していきたいと思います。

はじめに、

小田和正さんのプロフィールを紹介します。

小田和正さんは、

1947年9月20日生まれ、横浜市金沢区出身です。

1969年オフコースを結成、

翌年1970年にプロとしてデビューしました。

『愛を止めないで』『さよなら』

『Yes-No』など、ヒット曲を連発しました。

1982年に日本武道館連続10日間公演を実施するなど、

日本の音楽シーンに様々な記録を残しながらも

1989年に解散。

その後、ソロアーティストとして音楽活動を再開すると、

アルバムチャート週間1位の獲得最年長記録や

年間10位以内獲得の最年長記録など、

多くの最年長記録を樹立。

『ラブ・ストーリーは突然に』

『たしかなこと』など、

時代を超えて愛される大ヒット曲を数多く発表しています。

また、毎年開催している全国ツアーのチケットはすぐに売り切れ。

かつて月刊誌の「日経エンタテイメント!」が発表した

コンサート動員力ランキングでは、

総合10位、ソロアーティスト2位にランクインしています。

70歳を過ぎても全国アリーナツアーを完走するなど、

年齢を感じさせないパワフルなパフォーマンスが人気です。

小田さんですが、

過去にアーティスト生命を脅かす自動車事故を起こしています。

ソロ活動も順調だった1998年7月22日。

その日、小田さんは

関係者との恒例行事であるゴルフコンペの会場へ向かうため、

栃木県都賀町の東北自動車道を

愛車セルシオで走行していました。

当時、現場付近は雨が降っており、

時速80kmの速度規制が出されていたところを

20kmオーバーの時速100km前後で走行。

車はスリップしてコントロールを失い、

ガードロープに激突しました。

車は大破。

衝撃で後部座席に飛ばされた小田さんは、

横たわった状態で救出されました。

小田さん1人で運転しており、

同乗者はいなかったそうです。

幸いにも、

後続車による追突や横転、

反対車線への飛び出しといったことがなかったため、

一命を取り留めたものの、

この事故で全治4週間の重傷を負い、

約2週間入院。

最初の夜は痛みで一睡もできなかったそうで、

病室でうめき声を上げていたとの証言もあります。

当時の心境について、

小田さんは次のように語っています。

「ともかく最初の晩は、痛くて一睡もできなくて、二日目はちょっと寝たのかな?

でも人間は、痛いとドーパミンを出すからか、幻覚みたいなのを見たんだよ。

何しろ顔は両側で固められている。

なので見るところといっても真上だけなんだ。

小さなパンチ穴が開いた正方形の白いパネルがいくつも嵌まった、どこにでもある天井だよ。

すると、最初はいろんな色に変化しだしたんだな。

オーロラみたいに。

そのうち、色々なものが見え始めてね。天井にメガネの男がいて、こっちを見てたりもした。

それが、俺が昔から知ってるテレビ局のヤツにそっくりでさ。”あー、こっち見てんなぁー”って。

でも気持ち悪かったり、怖かったりはしないんだ。

で、いったん目を閉じてウトウトとして、また開けると、まだ見てる。」

小田さんの事故を知ったファンから、

熱いメッセージがたくさん届きました。

「生きていてくれただけでよかった」という

小田さんのことを心から想うファンからのメッセージに、

小田さんの心は動かされたといいます。

「ただ自分が好きでゴルフやりに行って、

大事故を起こした。

そのことに対して、身内でもないのに、

そんな言葉をかけてくれた。

その時、

これまで味わったことのないような感情が、湧き上がったんだ。」

孤高のアーティストと呼ばれていた小田さんは

この出来事をきっかけに自分をさらけ出すようになったそうです。

さて、

2022年に75歳を迎える小田和正さん。

自身の中に引退のイメージはあるのでしょうか。

過去に、「引き際」について語ったことがありました。

「オリジナルに近い感じでファンの方は聞きたいわけだから、

その期待は裏切りたくない。

キーを下げなきゃ歌えなくなったら、

潔く身を引くのがいいなってぼんやり思っているんだけど」

キーを下げないと歌えなくなったら

引退するかもしれないとのことです。

驚くことに、

75歳となった今でも原曲キーで歌い続けています。

この発言は、

死ぬまで歌手・小田和正であり続けるという

小田さんなりの決意表明なのかもしれませんね。

続いては、ファンなら一度は行きたい

小田和正さんの聖地とも言える場所を紹介します。

アンテナショップ「Far East Cafe」は

表参道駅から徒歩約5分、

青山学院大学のすぐそばにあります。

店名の由来は同名のアルバムです。

コンサートが首都圏で開催される日には

ファンでごった返すことも。

また、

小田さんの誕生日である9月20日には、

お祝いの色紙を書くことができるサービスも実施されています。

もちろん、

オリジナルグッズや最新情報も提供されているので、

興味のある人はチェックしてみてくださいね。

小田和正さんの代表曲といえば

『たしかなこと』です。

2005年に発表された『たしかなこと』は

数多くのCMソングやテレビ番組に起用されているだけでなく

駅メロにもなっているため、

聞いたことのない人はいないのではないでしょうか。

バラエティ番組『関ジャム完全燃SHOW!』(テレビ朝日)における

若手アーティストの選ぶ平成ソングランキングでは、

Voundyが1位に挙げた曲として紹介されています。

クリス・ハートさんをはじめとした

多くのアーティストにカバーされていることも

時代を超えて愛される名曲であることを証明しています。

実はこの曲、

歌詞に深い意味が隠されているのでは、と

考察する人が絶えないのです。

「愛する人への告白」や

「子供へのメッセージ」など

解釈は様々。

政治家の麻生太郎さんは、

「歌詞に共感を受けた」との理由で

自民党総裁選の候補者討論会の入場曲として使用されていました。

リスナーによって、

いろいろな受け取り方ができる楽曲。

そんな曲を生み出し続けるからこそ、

小田和正さんは

多くの人々に支持されているのかもしれませんね。

最後に、

小田さんの結婚相手について紹介しておきます。

自身のプライベートについては、

メディアではほとんど語らない小田和正さん。

実は、

1982年9月3日

ご自身が35歳の時に、

新井恵子さんという

一般女性の方とご結婚されています。

入籍にあたっても

「私的な事だったので公表することを迷った」とのこと。

1982年といいますと、

小学生時代からの友人であり、

オフコースのオリジナルメンバーでもあった

鈴木康博さんがグループを脱退した年です。

それに伴い、

オフコースの解散がよぎった時期でもありました。

そんな試練の日々を支えたのが

妻である新井恵子さんだったのでしょう。

稽古さんは小田さんより6歳年下で、

小田さんと同じ

横浜市出身です。

横浜共立学園、女子美術大学短期大学部へ進学、

卒業しています。

2人の出会いは中学時代に遡りますが、

実際に交際に発展したのは

小田さんが「オフコース」を結成してからだったそうです。

小田さんの幼少期からの知人だった恵子さんは

オフコースのファンでした。

また、

ファンクラブの会報の制作担当者が

恵子さんの友人だったため、

恵子さんもたびたび

事務所にお手伝いに来ていたそうです。

こうして2人の距離が縮まり、

交際に発展したと言われています。

1981年に発表された名曲『i LOVE YOU』は

小田さんが恵子さんのために書いた曲なのです。

「ああ 早く 九月になれば」というフレーズは

9月に入籍することを心待ちにしていた

小田さんの心境を綴っているといわれています。

2022年で結婚40周年を迎えますが、

今でも2人は夫婦円満に暮らしているのでしょう。

これからも素敵な夫婦でいてほしいですね。

いかがでしたか?

今回は、

歌手・小田和正さんについて紹介しました。

本年75歳を迎えられる小田さんですが、

まだまだその勢いはとどまるところを知りません。

これからも筋の通った姿勢を貫いて、

音楽活動に邁進してほしい限りですね。

最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。

それでは、また。
芸能LAB編集部

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