山本圭の兄弟や亡き妻の職業に驚きを隠せない…「若者たち」で人気を博した俳優の幸せすぎる晩年…娘との絆に涙腺崩壊…
みなさん、こんにちは。
1966年、テレビドラマ「若者たち」でブレイクされた
俳優の山本圭(やまもと けい)さん。
かつては映画を中心に出演されていましたが
近年では、テレビドラマで
重要な脇役を数多く演じられていました。
さて、そんな俳優の山本圭さんですが
2022年3月31日、肺炎のため81歳で死去されていたことを
所属事務所が、2022年4月25日に発表しました。
所属事務所によると、通夜・告別式は、遺族の意向で
近親者だけで執り行ったそうです。
今回は、そんな山本圭さんのこれまでについて迫っていきます。
まずは、山本圭さんのプロフィールから見ていきましょう。
名前:山本圭
生年月日:1940年7月1日
出身地:大阪府
身長:167cm
血液型:O型
職業:俳優
山本圭さんは、中学、高校と演劇部で活動され
高校卒業後は、一旦大学へ進学するものの中退。
大学中退後の1960年「俳優養成所」に入所されます。
そして、1962年
「乳房を抱く娘たち」の準主役で映画デビューを果たすと
翌年の1963年には正式に「俳優養成所」に入団し
映画を中心に出演を重ねていきます。
映画「乳房を抱く娘たち」なのですが
この作品は、山本圭さんの叔父である山本薩夫さんが監督され
山本圭さんは、準主役の「力」役に抜擢されています。
ただ、撮影の初日は、悔しくて
山本圭さんにとって
忘れられない1日となっていたそうです。
というのも、監督からは、なかなかOKがもらえず
”お前、養成所で何を勉強してきたんだ!もう一回!”
と、怒鳴られ、何度もやり直しをさせられたというのです。
撮影は朝の8時からスタートしたにも関わらず
山本圭さんのせいで、撮影は進まず、
しかも、撮り直しの間は
ずっと監督から罵声を浴びせられ続けたのだとか。
結局、午後の3時になり
太陽が陰って撮影ができなくなるまでそれは続き
とうとう、その日はワンカットも撮れず終了したそうで
山本圭さんは、いてもたってもいられなくなり
初めての撮影現場で、涙したそうです。
山本圭さんは、後に
「プロの俳優の世界は甘いもんじゃないぞ」ということを
叔父である監督が、新人で準主役の甥に対して
伝えたかったのだろうと悟られたそうですが
どちらかというと
甥っ子を準主役に使っている監督の立場として
身内をえこひいきしていると思われたくないあまりの
行き過ぎた仕打ちにのようにも見えますよね。
しかし徐々に力をつけていき
1966年には、テレビドラマ「若者たち」で
佐藤三郎役を演じられると、一躍人気者に。
この作品はテレビドラマ終了後も
1967年「若者たち」
1969年「若者は行く-続若者たち-」
1970年「若者の旗」
と、劇場版が3作品制作されているのですが
「毎日映画コンクール助演男優賞」を受賞するなど
山本圭さんはこの映画で、人気、実力ともに認められたのでした。
その後は、映画では
「君が青春のとき」「陽のあたる坂道」
「小林多喜二」「新幹線大爆破」
ドラマでは
「ひとつ屋根の下」「白線流し」
「SP 警視庁警備部警護課第四係」「天地人」
「花嫁のれん」「高校入試」
と、数多くの作品に出演されています。
ドラマに多く出演しているイメージですが
山本圭さんは元々劇団俳優座に所属していました。
そのため舞台にも多く出演しています。
1972年と1980年には
劇団俳優座主催で公演が行われた「ハムレット」に出演しており
仲代達夫さんが主催を勤めている無名塾の舞台にも多く出演していました。
そして山本圭さんは俳優としての活動のみならず
声優やナレーターとしても活動し
過去にはフジテレビで放送されていた
「ムツゴロウと愉快な仲間たちシリーズ」や
2005年に放送された
「終戦60年企画 ZONE・核と人間」などでナレーションを務めました。
声の仕事はナレーションだけではなく
アニメの声優としても活動していました。
テレビアニメ「青春アニメ全集」では井上隊長役の声優を演じています。
劇場アニメの声優もしており
1996年に公開された
「金田一少年の事件簿 オペラ座間・新たなる殺人」では
黒沢和馬役として出演しました。
それでは、ここで
山本さんのご家族を紹介しましょう。
父親は建築家の山本勝己さんです。
1930年に東京美術学校を卒業して建築家になりました。
1950年には独立して活動していたので経営者でもあります。
父の山本勝己さんが携わった建築物は非常に多く
有名なものだと富士市郷土博物館や天山文庫
美カ原高原ホテルなどの建築に山本勝己さんは携わっています。
お兄さんは、俳優の山本學(やまもと がく)さんです。
主な代表作品は
ドラマ「愛と死を見つめて」「白い巨塔」「八代将軍吉宗」などです。
最近では2017年に放送された大河ドラマ「おんな城主 直虎」や
2018年に放送された「下町ロケット」です。
弟さんは、俳優の山本亘(やまもと せん)さんです。
兄弟たちと同じで脇役として出演することが多いですが
これまで「柳生十兵衛」「白い影」「水戸黄門」などに出演しています。
映画にも出演しており
1983年に公開された「この子を残して」や
2011年に公開された「ステキな金縛り」などにも出演しています。
そして、お2人とも「俳優座」に所属されていたそうです。
お父さんが建築家でありながら
息子さんが3人とも俳優というのは不思議な感じがしますが
叔父さんの山本薩夫さんが、映画監督ということで
その影響を受けられたのかもしれませんね。
続いて妻について見ていきましょう。
山本圭さんの妻は囲碁棋士の小川誠子さんという方です。
妻の小川誠子さんは14歳で
「全日本女流アマチュア囲碁選手権大会」で優勝しているほど
実力を誇っており、プロとして活動するようになりました。
女性囲碁棋士として2人目となる通算500勝も達成しており
2010年には棋士会の会長も務めており
小川誠子さんは日本を代表する女流棋士でした。
小川誠子さんとの馴れ初めですが
山本圭さんの趣味は囲碁でもあります。
小川誠子さんはよく俳優座に遊びにきていたそうで
それが出会いのきっかけだったそうです。
囲碁が趣味の山本圭さんと次第に意気投合するようになり
交際に発展していったそうです。
夫婦で徹子の部屋にも出演しており
夫婦仲は非常に良買ったそうです。
しかし、小川誠子さんは2019年に亡くなられています。
そんな2人には子供がいるのでしょうか。
山本圭さんには娘さんがいるそうで
名前は慧美(えみ)さんだそうです。
2017年には結婚をされたそうで
1人娘だったので子供が結婚するのが寂しかったと
山本圭さんは語っていたそうです。
なんでも、慧美さんがまだ子供の頃
囲碁の対局で帰るのが遅いこともあった妻の小川誠子さんの代わりに
子育てを山本圭さんがすることもあったそうです。
その経験から娘さんが巣立っていくのは
非常に寂しかったのかもしれませんね。
しかし、最後は慧美さんにも見送られて
幸せだったのではないでしょうか。
今回は、山本圭さんのこれまでや家族について迫っていきました。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。