岡村孝子を突然襲った”病魔”の正体に涙腺崩壊…『あみん』のメンバーで有名な女性歌手の娘の現在や元夫・石井浩郎との離婚理由に驚きを隠せない…

岡村孝子を突然襲った”病魔”の正体に涙腺崩壊…『あみん』のメンバーで有名な女性歌手の娘の現在や元夫・石井浩郎との離婚理由に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

2019年4月に急性白血病であることを公表した、

音楽デュオ・あみんのメンバーで、

シンガーソングライターとしても活動している岡村孝子さん。

復帰後出演したラジオで、闘病生活を語りました。

今回は、元あみん・岡村孝子さんの経歴や家族との関係、

急性白血病の発症と現在の状況についてまとめました。

それでは、まず、岡村孝子さんの経歴からみていきましょう。

岡村さんは、1962年生まれ、愛知県岡崎市出身です。

愛知県立岡崎北高等学校卒業後、椙山女学園大学に進学。

大学在学中に同級生の加藤晴子さんと音楽デュオ「あみん」を結成。

1982年7月、『待つわ』で日本フォノグラムよりレコードデビューしました。

『待つわ』は102万枚もの売り上げを達成し、同年唯一のミリオンセラーを記録しています。

当時、あまりの有名さと分刻みのスケジュールにより、

大学の授業に出ると教授から、

「芸能人は来るな」と教室を追い出されることもあったそうです。

同年末には、この曲でNHK紅白歌合戦にも出場しています。

1983年、1枚目のアルバムをリリースし、

初の全国ツアーも行いました。

しかし、この頃から加藤さんが、

学業専念のためと「芸能界は自分の居場所ではない」ということで

活動辞退を申し入れるようになりました。

岡村さんが加藤さんの意思を受け入れる形となり、

1983年12月のコンサートを最後に「あみん」は解散(活動休止)します。

「あみん」活動休止後、

大学を中退し花嫁修行していたという岡村さんですが、

歌手活動再開を求める声に応え、1985年にソロデビューします。

そして、1987年に『夢をあきらめないで』をリリース。

この曲は応援歌的な内容から、幅広い層の指示を集め、

岡村さんの代表曲になりました。

彼女の作詞作曲する歌は、

次第にOLなどの若い女性から支持を集めるようになり、

1990年代初頭には、

「OLの教祖」と呼ばれるまでになりました。

そんな中、

「あみん」活動休止後も加藤さんとの交流を続けていた岡村さん。

2002年、岡村さんのリクエストに応える形で、

加藤さんが岡村さんのシングル曲にコーラスとして参加したことをきっかけに、

「あみん」は渋谷公会堂で一夜限りの再結成を果たしました。

その後も加藤さんとの交流は続き、

2007年には「あみん」再結成に至りました。

現在でも、岡村さんはソロ活動を続けながら、

あみんとしての活動も行っているそうです。

続いて、岡村孝子さんの結婚と離婚についてみていきます。

岡村孝子さんは、1997年、

元プロ野球選手の石井浩郎(いしいひろお)さんとご結婚されています。

交際から結婚までの期間は短かく、

また結婚後わりと早い段階で子供にも恵まれました。

しかしふたりの結婚生活は長く続かず、2003年に離婚しました。

岡村孝子さんは離婚後も独身のままですが、

2人の間には、1997年娘さんが誕生しています。

2018年には成人を迎えたようで、

岡村孝子さんが自身のInstagramにて報告しています。

岡村さんは娘さんのエピソードを、

ラジオやインタビューで次のように話しています。

「洋楽が大好きだが、母親の曲も「好きだよ」と言ってくれる。

家事の手伝いをしながら、

学校で習った政治経済のことも教えてくれます。

私が頼りないらしく、大丈夫かなって心配してくれていますよ」

また、2人で新しい生活をスタートさせた時、

まだ幼かった娘さんを「守っていかなくちゃ!」と

決意された岡村さんですが、

そのエピソードを綴ったエッセイをみた娘さんからは、

「私がママを助けてあげたでしょ?」と言われたそうです。

これらのエピソードを聞く限り、

とても仲の良い母と娘の姿が思い浮かびます。

プライベートも音楽活動も充実していた岡村さんですが、

2019年4月、急性白血病を患っていることを公表しました。

アルバムは予定通りリリースしたものの、

その後のコンサートツアーは中止となりました。

闘病生活について、岡村孝子さんが復帰後のラジオで語っています。

健康だけが自慢だった岡村さん。

ある日、だるさや動悸、疲れがとれないといった体調不良を感じました。

そこで検査を受けたところ、

血液の数値に異常が見られました。

その後の入院と検査によって、

「急性骨髄性白血病」に罹患したことが発覚したそうです。

その後、入院して長期治療に入りました。

突然病気になり、気持ちの整理がつかなかった時に支えてくれたのが

娘さんだったそうです。

「患者本人は白血病と言われても訳がわからない。

うちはシングルマザーの家庭。

『母に亡くなってもらっては困ります』と娘が先生に言ってくれた。

図書館で(病気のことを)いろいろ調べて質問もしてくれた。

私は(整理がつかず)ぼーっとしていたときにありがたいなと思いました」

と語っています。

また、娘さんから、

「かなりつらい治療になると思うけど、私のために治療してほしい」

という言葉をかけられたそうです。

「『大変な治療が始まるので、

もしかしたら起き上がることができない状態になるかもしれないけどいい?』って聞いたら、

『いてくれるだけでいいから』って。

まだ(娘を)残していくわけにはいかないので

頑張るしかないかなと覚悟が決まりました」と語りました。

入院中はずっと無菌室にいたため、

季節の移り変わりも感じることもなかったいう岡村さん。

春に入院し、5ヶ月後退院後外に出て風に吹かれた時、

「秋なんだ」と分かったそうで、

「風が吹いたり、鳥がさえずったりして、

生きてるってこういうことなんだって思いました。

それまで分かったつもりで

『風のささやき』とかいろんな言葉を詩に書いていましたが、

『私まだまだ分かってなかったんだ』って退院して気付きました」

と語っています。

5ヶ月間の治療を終えた岡村さんは、2021年9月

『35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again!”』を開催し、

久々にファンの前に立ちました。

その時の心境について、岡村さんは、

「コロナ禍だったので、会場まで足を運ばない人もいるだろうなと。

皆さん悩まれると思うので、たとえ会場がガラガラでもいいかなと思って向かったが、

3階までぎっしりとお客が入っていた」

と、その時の様子を思い浮かべながら語り、ファンの支えに感謝に意を表しました。

しっかりものの娘さんやファンの支えもあり、

5ヶ月間の長期治療を終えて復帰した岡村孝子さん。

最近では、自身のインスタグラムにて60歳の誕生日を迎えたことを報告しています。

「めでたいその日は、

コンサートでお世話になっているトレーナーさんのところで

娘と2人 整体を受け、

ゆっくり過ごし夜は家族と鯛しゃぶで還暦を祝いました」

と、家族で過ごしたことを綴っています。

「2年9ヶ月前はこの日を迎えることはできないかも…と思ったりしたので

無事に迎えられてとても嬉しいです

そしてSNSでも、たくさんの“おめでとう”にびっくり

みなさんいつもありがとうございます。ゆっくりお手紙も読ませて頂きます。

これからもみなさんと一緒に時を重ねていけたら…嬉しいです」

とファンに感謝しています

1月21日には、ピンク色のワンピース姿を公開し

「2019年に白血病になり、5ヶ月にわたる長くつらい闘病をしました。

が、その闘いの先で今 毎日を精一杯重ねています

たくさんの方に感謝です」と記していました。

いかがでしたか。

今回は、あみんのメンバーでソロ歌手の岡村孝子さんについて、

アーティスト活動、プライベート、闘病生活と復帰について

紹介しました。

最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントを残してくれると、嬉しいです。

チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。

それでは、また。

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