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新沼謙治の妻・湯木博江の切ない最期…残した遺言に涙腺崩壊…『嫁に来ないか』で有名な演歌歌手の子供達の現在に驚きを隠せない…

新沼謙治の妻・湯木博江の切ない最期…残した遺言に涙腺崩壊…『嫁に来ないか』で有名な演歌歌手の子供達の現在に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

東北なまりと朴訥とした風貌で、

70年代後半から大人気を博した

演歌歌手の新沼謙治(にいぬまけんじ)さん。

趣味のバドミントンが縁となり、

元バドミントン選手とゴールインしましたが、

嫁の命を奪った病気とは何だったのでしょうか。

夫妻の息子と娘についても取り上げながら、

再婚の可能性を探っていきたいと思います。

本名:新沼謙治(にいぬまけんじ)

生年月日:1956年2月27日

身長:170cm

血液型:A型

出身地:岩手県大船渡市

職業:演歌歌手、俳優、タレント

新沼謙治さんは、大船渡市立第一中学校を卒業後、

高校に進学せずに、地元の合板工場に就職しました。

東京に出稼ぎに行った友達の影響で上京するも、

そこでの仕事も長く続きませんでした。

その後、栃木県宇都宮市の左官会社に入社して、

3年間の社会人生活を送っています。

歌手を目指すようになったのは、

町内会ののど自慢で優勝した新沼謙治さんに、

左官仲間が、伝説のオーディション番組「スター誕生」

への応募をすすめたことがきっかけでした。

「テレビに出てみたい」という

軽い気持ちで挑んだ新沼謙治さんでしたが、

4度の落選にもめげず、

五木ひろしさんの「哀恋記」を歌った

5度目のチャレンジで見事に合格。

男性挑戦者では、

番組史上最多となる17社のプロダクションが、

新沼謙治さんの獲得オファーに名乗りを上げました。

そして1976年の『嫁に来ないか』で

日本レコード大賞新人賞に

輝いて紅白歌合戦初出場を果たしてから、

13年連続出場の常連組だった新沼謙治さん。

しかし、その後は目立った活躍がみられなくなっていました。

そんな中、2012年11月にリリースした

シングルのカップリング『ふるさとは今もかわらず』が

再び注目を集めることになりました。

東日本大震災による津波で大きな被害を受けた

故郷・岩手県大船渡市の復興を祈る会心の自作曲です。

同曲は合唱曲としても人気を呼び、

オリコンチャートでは実に36年ぶりにトップ30入り。

ジャケットはデビュー当時から親交のある横尾忠則さん、

コーラスには母校の大船渡市立第一中学校の生徒が参加しています。

元バドミントン選手だった嫁の博江(旧名・博恵)さんが

生前よく言っていた、

「勝ち負けがはっきりしているスポーツと違い、

あなたの仕事には周りの力も大切」という

言葉をかみしめたそうです。

新沼謙治さんは

1956年2月27日生まれで2022年に66歳を迎えます。

1986年に結婚した嫁・博江さんは

1948年11月15日生まれで8歳年上の姉さん女房。

後述しますが、バドミントンの元世界女王です。

結婚時にはすでに現役を引退しており、

バドミントン好きの新沼さんを

大船渡市で指導したのが縁となりました。

結婚から25年後の2011年9月7日、

博江さんががんのため

都内の病院で62歳で息を引きとった時、

新沼謙治さんは山形県で

震災のチャリティー公演を行っていたため

看取ることができませんでした。

博江さんは2004年に乳がんが発覚し、

手術を受けた過去がありました。

その後、2010年に悪性の腫瘍が見つかり、

さまざまな部位に転移したようです。

死因は甲状腺がんとも、肺がんともいわれています。

博江さんは「湯木博恵」として70年代を中心に

バドミントン界で一時代を築いた名選手です。

日本女子体育大学2年生だった1969年、

「世界一のバックハンド」と

呼ばれる高度なテクニックを武器に、

当時の女子バドミントン最高峰の

全英選手権シングルスを制覇し、

同大会では4度の優勝を飾りました。

名プレイヤーを物語るエピソードがあります。

バルセロナ五輪に出場した陣内貴美子さんが、

小学生時代に博江さんの練習試合を見学した時のこと。

博江さんがアウトと判断して

見送ったシャトルが二度続けてインになりました。

首をかしげながら試合を続ける博江さん。

同じことが三回起きた時、

コートの広さを測るように主審に要求したのです。

計測してみると、5㎝ほど広いことが判明。

後年、陣内さんがこの体験をご本人に伝えると、

「コートの広さは体が覚えているから」

という言葉が返ってきたのだそうです。

バドミントンの世界チャンピオンと演歌歌手という

めずらしい組み合わせの夫婦ですが、

新沼謙治さんにはバドミントンという

意外な特技がありました。

バドミントンに夢中になったのは中学卒業後。

教えてくれた大久保先生が仲人を務め、

故郷で挙式しています。

現在はバドミントンクラブの主宰者でもあり、

30代から80代のメンバーがいるそうです。

松居直美さんとは師弟関係にあり、

二人でトーク番組に出演してラリーを繰り広げたことも。

博江さんがいる時からのチームなので、

メンバーは博江さんの話をよくしてくれるそうです。

夫妻は一男一女を授かりました。

第一子の娘は文那さん、第二子の息子は翔大さん。

生年月日は明らかになっていませんが、

新沼謙治さんが2012年7月の

『徹子の部屋』出演した時点で

26歳と24歳だったことがわかりました。

翔大さんは2011年5月の

チャリティーコンサートに特別出演しており、

父のヒット曲『嫁に来ないか』を披露。

そのステージは博江さんも観にきていたそうです。

一時期は父と同じ歌手をめざしていたとのことですが、

2022年時点で介護の仕事をしており、

父と二人暮らしであることが判明。

文那さんはすでに結婚しており、

2017年3月には新沼謙治さんにとっての初孫も誕生したそうです。

他界した妻にも孫を抱かせてあげたかったという

気持ちが大きかったことでしょう。

ふたたび独身となってしまった新沼謙治さん。

将来再婚は視野に入れているのかというと、

どうやら考えていないようです。

博江さんはがん告知を受けたあと、

家族三人に手紙を残していました。

夫宛てのメッセージは、

自立して若い奥さんを迎えてくださいというもの。

自分亡きあと、悲しみに打ちひしがれる夫の姿が目に浮かび、

心が痛んだのでしょう。

妻のこの「遺言」に対して、

新沼謙治さんは「ばかを言うな」と返したのだとか。

故郷の大船渡市に南無博江観音を建立したのも、

博江さんを悼む心の表れといえるでしょう。

いかがでしたでしょうか。

今回は新沼謙治さんについてまとめてみました。

演歌歌手でありながら、

黄色い声援が飛び交うほど

アイドル的な人気を集めていた新沼謙治さん。

アイドル顔負けの演歌歌手といえば

演歌界のプリンスこと氷川きよしさんが第一号ですが、

本当の元祖は新沼謙治さんだったかもしれませんね。

最後までご視聴ありがとうございました。

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それでは、また。
芸能LAB編集部