早乙女愛の謎に包まれた本当の最期…元夫との切ない離婚理由に涙腺崩壊…『西城秀樹』が最初から最期まで見守った『愛と誠』で有名な女優の息子の現在に一同驚愕…

早乙女愛の謎に包まれた本当の最期…元夫との切ない離婚理由に涙腺崩壊…『西城秀樹』が最初から最期まで見守った『愛と誠』で有名な女優の息子の現在に一同驚愕…

みなさん、こんにちは。

映画『愛と誠』で一躍人気女優となった早乙女愛(さおとめ あい)さん。

1日に400通ほどのファンレターが届くなど

全盛期の人気の高さは伝説的でした。

結婚後は徐々に芸能界から離れて行った早乙女さんですが

現在はどうしているのでしょう。

今回は、そんな早乙女愛さんの現在や結婚、夫、子供について迫っていきます。

まずは、早乙女さんのプロフィールをご紹介します。

本名:瀬戸口さとみ

生年月日:1958年12月29日

出身地:鹿児島県

身長:166cm

最終学歴:鹿児島県立高山高等学校

早乙女さんは印刷屋の長女として生まれ、6人の弟妹と暮らしていました。

中学時代は陸上部で活躍。

3年生のとき、地元のカメラマンから聞かされ

映画『愛と誠』のオーディション情報を知ります。

主演の西城秀樹さんの相手役を選ぶオーディションに

早乙女さんは友達と共に応募しました。

「東京へ行けて、西城さんに会える」というややミーハーな動機でした。

そんな彼女ですが、見事4万人の中から選ばれ松竹専属の女優となります。

1974年、『愛と誠』の役名と同じ「早乙女愛」の名前でデビュー。

大人気女優となり、仕事の傍ら高校を4年で卒業します。

1983年に成人映画『女猫』で主演を務めて以来

大胆なヌードにも果敢に挑戦しました。

そんな早乙女さんは1985年5月

青年起業家だった江原春義さんと結婚しました。

江原さんは早乙女さんより7歳年上の33歳で

すでに5つの会社を経営する実業家でした。

2人は人気女優と映画スポンサーという立場で出会います。

元々彼女のファンだった江原さんは

自ら映画を企画してスポンサーを名乗り出たのです。

映画企画は結局実現せず、2人はしばらく疎遠になります。

しかし1984年末頃、2人はマンションで会うようになり

翌年には交際を報じられてしまいました。

こうして2人は記者会見を開き、挙式を宣言します。

江原さんによるプロポーズの言葉は「早起きして区役所に行こう」でした。

言葉の意味がわかった瞬間の早乙女さんは

きっと舞い上がったに違いありませんね。

ただ江原さんは前妻と離婚したばかりで

慰謝料や養育費の問題を抱えていました。

前妻に配慮した結果、挙式は延期になります。

1985年5月4日に極秘で入籍した2人は、アメリカ旅行へ出発。

ロサンゼルスとニューヨークで2週間を過ごし

ミュージカルも楽しんだそうです。

そして帰国から半年後の11月22日

離婚トラブルも片付いたためか、ようやく挙式。

早乙女さんは徐々に芸能界から遠ざかり

映画『新・仁義なき戦い』に出演後、2000年に女優業を引退しました。

大胆な演技で知られただけあり

往年のファンたちにとって彼女の引退は残念だったはずです。

2002年には江原さんの仕事の都合でアメリカへ移住します。

しかし江原さんは2008年に単身帰国し

クリエイティブ系メディア「greenz.jp」を設立しました。

同年に2人は離婚しているため

江原さんがどうしてもやりたい仕事のため帰国した結果

別れざるを得なくなったのでしょう。

早乙女さんはアメリカに残りたがったため

離婚を決意したのかもしれませんね。

しかし女優業を捨ててまで一緒になった江原さんと別れるときは

胸が痛んだことでしょう。

江原さんはその後、再生可能エネルギーのR水素の普及活動に取り組み

「R水素ネットワーク」の代表も務めてきました。

さて気になる早乙女さんの現在ですが

残念なことに、2010年7月20日に51歳の若さで亡くなってしまいました。

死因は多臓器不全だったそうです。

「死因がエイズ」という噂も流れましたが、こちらはデマです。

2002年頃からアメリカ合衆国で暮らしていたため

亡くなったのはシアトルのワシントン大病院だったとのこと。

早乙女さんは亡くなる9日前に

「体がだるい」「疲れやすくなった」と体調不良を訴えて

シアトル市のワシントン大病院で診察を受けた。

体調不良を訴え、同病院へ入院しました。

医師から即入院を指示されたとき早乙女さんは

「大げさなのね」と周囲に話したそうです。

入院するほどの重病だとは考えていなかった様子がうかがえます。

しかし数日後に容体が急変し

20日の未明に親族が見守る中で亡くなりました。

映画『愛と誠』で共演していた西城秀樹さんは当時

「突然の訃報に驚いております。

1974年、彼女のデビュー作となった『愛と誠』の

早乙女愛役のオーディションのとき、初対面の彼女を見て

劇画からそのまま抜け出してきたような存在感に驚いたのを

今でも鮮明に覚えています。

清純さと強さを兼ね備えた数少ない女優さんでした。

もう何年もお会いしておりませんでしたが、残念でなりません。

心よりご冥福をお祈りいたします」とコメントを発表しています。

早乙女さん自身も予想していなかったであろう突然の死でしたが

もっと家族との時間を過ごして欲しかったですね。

早乙女さんが亡くなった際は早乙女さんもアメリカに駆け付け

元妻の最期を看取っています。

2人はやむを得ない事情で離婚したものの

心の中では変わらず愛し合っていたに違いありませんね。

早乙女さんは1997年に長男を出産しており

離婚後は息子さんと2人で暮らして、最期も彼に看取ってもらっています。

最期の瞬間に、元夫と息子に看取ってもらえたのは

せめてもの救いでしたね。

当時息子さんは13歳だったため

早すぎる母との別れから立ち直るのにきっと時間がかかったはずです。

江原さんからも支えられながら生き続け、2022年には25歳を迎えます。

きっと母との思い出を胸に社会人として懸命に活動していることでしょう。

今回は、早乙女愛さんの

現在や結婚、夫、子供について迫っていきました。

最後までご視聴ありがとうございました。

コメントを残してくれると嬉しいです。

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それでは、また。

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