みなさん、こんにちは。 澄んだ歌声が「天使の声」と評される本田美奈子さん。 愛らしいルックスと慈愛に満ちた精神を持つ本田美奈子さんは 本当の天使だったのかもしれません。 今回は彼女の家族関係や、 熱愛報道、闘病の経緯などについて調べました。 1985年にアイドル歌手としてデビューした本田美奈子さん。 原宿でスカウトされたことで芸能界入りをしたそうです。 スカウトしたスタッフは本田さんを アイドルグループ「少女隊」のメンバーにするつもりだったのだとか。 ですが、歌声が素晴らしかったために ソロデビューが決まったというエピソードがあるほど。 抜群のルックスと歌唱力を兼ね備えた本田さん。 アイドルに必要な資質を持つ彼女が 人気が出ないはずがありません。 当然のように多くの賞レースで新人賞を受賞します。 更には、デビュー1年目で日本武道館でコンサートを行うなど 瞬く間にトップアイドルの仲間入りを果たします。 1990年代になると、活動の中心をミュージカルに移しました。 1万人以上が応募し、半月にも及ぶオーディションで 「ミス・サイゴン」の主演に選ばれます。 当初は元アイドルに主演が務まるのか、 という声もありましたが、 そんな声を見返すかのように1年半ものロングランで 主演を演じきると評価が一変します。 その後、本田さんの元には 多くのオファーが舞い込むようになったそうです。 こうしてミュージカル界の新たなスターとなりました。 歴代のアイドルの中でも屈指の歌唱力を持つ本田さん。 彼女は幼少期から歌うことが好きだったそうです。 本田さんが歌を好きになったきっかけは 母親の存在だったといいます。 というのも、本田さんの母はかつて歌手を夢見ていたそうです。 母に影響を受けたためか、本田さんは当初、 高い歌唱力が求められる演歌歌手を目指していました。 なお、父親が芸能界入りを反対していたのに対して 母親は大賛成でした。 また、本田さんには4歳年下の妹がいるようです。 名前は岡村律子さん。 岡村さんは芸能界には進まず一般人です。 そのため詳細な情報を見つけることはできませんでした。 ただ、本田さんの追悼コンサートに出演した田村芽実さんのブログに 顔写真が掲載されていました。 本田さんの妹だけあってかなりの美人です。 高校生の頃にスカウトされて芸能界入りした本田さん。 そのため出身高校は芸能活動コースがある堀越学園に 編入しました。 当時の同級生には岡田有希子さんや長山洋子さん、 いしのようこさん等がいたそうです。 そんな中でも特に仲が良かったのは南野陽子さんです。 南野さんの方が1年早くデビューしていますが、 同い年の2人。 編入試験で隣同士の席になった事から仲良くなったそうです。 アイドルとしてデビューした2人ですが、 当初から女優業に重きを置いていた南野さん そのため番組などで共演する機会は多くはありませんでした。 お互いに多忙ながらも交流を深めた2人はその後 親友と呼べるほどの仲になりました。 公私にわたってなんでも話せる間柄だったそうです。 本田さんの闘病中は 何度もお見舞いに訪れていたそうです。 仲が良かっただけに、本田さんが亡くなったことに 大変なショックを受けた南野さん。 告別式の際には報道陣の前で涙を流して泣き崩れてしまっています。 次に本田さんの彼氏との熱愛報道についてです。 10代の頃は「20歳までに結婚したい」 と語っていた本田さん。 熱狂的な男性ファンも多く、 なかには婚姻届を手に楽屋を訪れた人もいたそうです。 しかしやがて、結婚の夢を自ら断ち切り 歌と結婚したから現世では結婚しないと 口にするようになりました。 言葉通り、生涯独身を通した本田さん。 歌に捧げた38年の人生だったと言えるでしょう。 結婚歴のない本田さんですが、 ロマンスが報じられたことはありました。 1990年に写真週刊誌が光GENJIの諸星和己さんとの 交際をスクープ。 諸星さんの自宅から2人が連れ立って 車に乗り込む瞬間を抑えられ、熱愛疑惑が浮上します。 破局の理由についても幾つかの説がありました。 週刊誌の記事では 事務所が交際・結婚に反対したとされており 諸星さんの自著では「歌と結婚したから誰とも結婚しない」 と彼女に告げられたことになっています。 また、諸星さんのプレイボーイぶりに 本田さんが疲れ果てたという見方もあるようです。 2人は結婚には至りませんでしたが 時代やそれぞれの立場を考えると どうにもならないものがあったのかもしれません。 次に本田さんの闘病生活について調べます。 ゴールデン・アロー賞の演劇新人賞を受賞するなど 更なる飛躍が期待された本田さんですが、 2004年末ころから体調を崩すと、 2005年1月に急性骨髄性白血病と診断され、急遽入院。 本田さんは骨髄バンクでドナーが見つかることを待てない程 症状が悪かったため同年5月に臍帯血移植を受けることになります。 おかげで7月には退院するも白血病が再発します。 9月に再入院した本田さんは輸入新薬の抗がん剤治療を開始。 すると翌月に再び退院が許可されますが、 翌月末には再入院。 その後、容態が急変し11月6日に38歳という若さで 亡くなってしまいました。 治療による激痛や抗がん剤の副作用で 髪が抜けても明るく振る舞っていたという本田さん。 ですが、闘病中に綴っていた日記には 「苦しいにはもう嫌」、「神様は歌はせてくれないのですか」 と書かれていました。 本田さんは亡くなる前に白血病患者を支援するNPO団体 「LIFE FOR LIFE」を設立します。 また、本田さんの死後 骨髄バンクのドナー登録者が急増したそうです。 自分が苦しい状況にありながらも、 同じ病で苦しむ人々のことを考えていた本田さん。 その意志は今も多くの人に受け継がれています。 本田さんの葬儀が行われた場所は 彼女の実家がある埼玉県朝霞市でした。 本田さんの葬儀には関係者やファンが2700人、 告別式には3700人もの参列者があったそうです。 本田さんの出棺の際に共に闘病を労う声がかけられました。 朝霞市に住み続け朝霞市を愛した本田さん。 その功績を称え現在は朝霞駅前に 記念碑が建てられています。 本田さんは本当に多くの人たちに愛されていました。 歌手として努力を重ね、 心から歌を歌えるように成長して 復帰することを強く望んでいた本田さん。 志半ばで夢が断たれてしまったのは残念ですが それでも歌姫という言葉がよく似合います。 最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価も是非おねがいいたします。 それでは、また。
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