松方弘樹の山本万里子と事実婚を続けた理由…『仁義なき戦い』などで人気を博した俳優の元嫁達に払った耳を疑う慰謝料や隠し子騒動に一同驚愕…
みなさん、こんにちは。
今回は俳優、松方弘樹さんのプロフィール、プライベートについて見て行きたいと思います。
まずは、プロフィールです。
松方さんは、1942年7月23日生まれ、東京市王子区のご出身です。
身長173センチ、血液型はA型、
本名は、目黒浩樹(めぐろ こうじゅ)さん。
趣味は、釣り
お父さんは、時代劇俳優の近衛十四郎さん
お母さんは、女優の水川八重子さん
弟には、俳優の目黒祐樹さんがいらっしゃいます。
俳優として、唯一無二の存在であった松方さんですが、もともとは、歌手を目指されており、
作曲家の、上原げんさんのもとで修行されていたのですが、
同じ生徒だった、五木ひろしさんの、歌のうまさに圧倒されて、半年で断念します。
その後は、時代劇俳優だったお父さんの近衛十四郎さんと同じ、俳優の道を目指し、
1960年に東映に入社されると、
映画「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で主演デビューされます。
そして、翌年1961年には時代劇に転身され、同じく2世スターの期待がかかる、
北大路欣也さんとともに、「水戸黄門・助さん格さん大暴れ」などに出演。
1962年には、「柳生武芸帳・独眼一刀流」でお父さんと共演され、
1965年には、テレビドラマ、「人形佐七捕物帳」の主演も務められています。
また、1960年代半ばからは、任侠映画が主流となったことで、
1966年「893愚連隊(やくざぐれんたい)」「兄弟仁義」など、時代劇と並行して、
若いヤクザ役でも活躍されたのですが、東映が、北大路さんの売り出しに力を注いでいたため、
松方さんは代表作に恵まれず、長い間、不遇な時代を過ごしたのでした。
そんな中、松方さんは、1969年、当時、京都撮影所長だった岡田茂さんから、
「大映へ行け。今は勝新しかおらん。大映ならテッペンを取れるで。」
と言い含められ、潰れかけていた大映に、レンタル移籍させられます。
実は、急死された市川雷蔵さんの、穴埋めを期待されてのことだったのですが、
松方さんは、見事、市川さんの当たり役を演じられ、大映が倒産寸前の1971年、
東映に復帰し、翌年の1972年には、「博奕打ち外伝」で、陰惨な悪役として異彩を放ち、
1973年には、「仁義なき戦い」で、広能昌三とともに山守組を興し、
やがて対立する、坂井鉄也役を好演。
その後、この「仁義なき戦い」がシリーズ化されると、
1974年「仁義なき戦い 頂上作戦」では、藤田正一役、同年「仁義なき戦い 完結篇」では、
市岡輝吉役と、松方さんは、同じ作品で3役を演じられ、脇役ながら、
ようやく代表作といえる作品に巡り会ったのでした。
松方さんは、その後も、沢山の任侠映画に出演し、1978年には、「柳生一族の陰謀」で、
時代劇にも復帰され、以降、任侠映画とともに出演されていました。
こうして、時代劇や任侠映画で、いかつい役を演じてきた松方さんですが、
1985年からは、バラエティ番組、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」
にレギュラー出演され、たけしさんのギャグにずっこけたり、声を裏返して笑うなど、
オチャメな一面を披露。
ちなみに松方さんは、その後も積極的にバラエティ番組に出演され、
ベテラン俳優が、バラエティに出演するパイオニアとなられています。
任侠物や時代劇、バラエティなど、多方面に渡り活躍された、松方さんですが、
私生活でも、なかなかのプレイボーイぶりで、結婚、離婚ともに2回。
そして、離婚の理由は2回とも、松方さんの不倫が原因だったそうです。
松方さんは、1968年に、夏子さんという、元ファッションモデルの方と結婚。
3人のお子さんをもうけられるのですが、1978年には離婚。
その離婚の理由というのは、女優、仁科亜季子さんとの不倫で、
松方さんは、1974年、自身が主演を務めた、
NHK大河ドラマ「勝海舟」で、仁科さんと共演されているのですが、
この共演で、仁科さんを気に入られたようで、翌年の主演ドラマ「けんか安兵衛」のヒロインに、
仁科さんを推薦し、再び共演されると、これをきっかけに親密になり、
なんと、夏子さんとまだ婚姻中の1977年に、仁科さんと同棲を開始。
そして、同年、夏子さんに離婚を切り出されるのですが、
仁科さんの存在を知った夏子さんは、すんなりとは離婚を承諾せず、
1978年6月、3億円という、当時、芸能界最高額の、離婚慰謝料を支払うことで、
ようやく、夏子さんとの離婚が成立したのでした。
こうして、翌年の1979年3月、松方さんは、晴れて仁科さんと再婚されると、
その後、二人のお子さんに恵まれ、幸せな結婚生活を送られていると思われていたのですが、
実は、松方さんは、1981年、当時アイドル歌手だった、千葉マリアさんと、
ショーでの共演で知り合われ、その1年後くらいから、男女の関係に発展したようで、
1984年にはお子さんが生まれていたことが、1987年10月に発覚。
松方さんは会見を開かれ、お子さんについては認知はせず、
経済的援助をすることで決着した、と発表されたのでした。
こうして、松方さんは、なんとか、隠し子騒動を乗り越えられたのですが、
1991年、客として訪れた京都祇園の高級クラブで、ホステスとして働いていた、
当時19歳の山本万里子さんを気に入り、口説き落として交際に発展されると、
1995年には、山本さんを芸能界にスカウトし、
松方さんが出演されていたテレビドラマ「HOTEL」で、女優デビューさせます。
これで、二人の関係をあやしんだ奥さんの仁科さんが、興信所を使って調べられたようで、
不倫が発覚。
1998年、仁科さんは自ら、松方さんの不倫を週刊誌に暴露し、離婚を発表されたのでした。
ちなみに、離婚発表時には慰謝料ゼロで、世間の同情を買った仁科さんでしたが、
実際には、養育費月50万円と、マンションの残債3000万円を、
松方さんが支払われていたほか、離婚前から仁科さんは、松方さんの生命保険や、
定期預金の解約を進め、社債などを合わせると、10億円近くも仁科さんの手に渡っていたようで、
離婚後、普段、弱音など吐かない松方さんが、親しい映画関係者に、
「前の女房には泣かされた」と、愚痴っていたことがあったそうです。
そんな松方さんですが、仁科さんとの離婚後も、山本さんとは籍を入れられず、
事実婚の状態が続きます。
松方さんは、その理由について、2011年、映画のイベントの際、
「なかなか正式に籍を入れてもらえないんだよ。籍を入れないのは、
介護要員になるのが嫌みたい。」
と、冗談を交えて語っておられたのですが、
山本さんは、雑誌のインタビューで、
「仁科さんに申し訳ないことをしました。ご迷惑をかけました。でも妻子ある人と承知していても、
魅かれていく気持ちや、相手の家族に対する罪悪感は、きっと仁科さんなら、
理解していただけると思います。」
と、おっしゃっており、
実際には、山本さんが、仁科さんとお子さんたちに配慮されているようです。
いかがでしたか。今回は松方弘樹さんについて見てきました。
最後までご視聴いただきありがとうございました。
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それでは、また。