林寛子の現在に驚きを隠せない…元夫である「黒澤明監督」の息子との離婚理由や子供の職業に一同驚愕…
みなさん、こんにちは
今回取り上げるのは、
バラエティやワイドショーで辛口トークを
展開する熟女タレント、
林寛子(はやしひろこ)さんです。
子役時代から始まり、アイドル、熟女タレントと、
芸能界で長く活躍してきましたが、
最近はあまり見かけません。
それには理由がありました。
そんな林寛子さんのプロフィールは次の通りです。
生年月日:1959年10月16日
出身地:東京都大田区
血液型:B型
最近見かけない理由、それはなんと、
テレビ出演をする代わりに、林寛子さんは、
スナックのママにおさまっていたのです。
林寛子さんは、東京都大田区に2007年に自らオープンした
カラオケサロン「ラブリー寛寛」で、
アイドル時代の持ち歌を披露し、
古くからのファンと交流しているのだとか。
現在では、ファンのみならず、
林寛子さんと同世代の50代~60代の歌謡曲ファンが集まり、
スナックは繁盛しているそうです。
林寛子さんは、スナックのママとして、
プチ成功を収めていますが、
そんな林寛子さんが、世界の黒澤こと、
黒澤明監督の息子である黒沢久雄さんと結婚していたことを
ご存じでしょうか。黒沢久雄さんと、
1980年に21歳で結婚した林寛子さんは、3人の子供をもうけました。
しかし、父・黒澤明監督の映画のプロデュース業と
タレント業を掛け持ち、飲食店の経営も行っていた
黒沢久雄さんは多忙を極め、林寛子さんとはすれ違いの
生活が続いたため、次女が成人したことをきっかけに
2003年離婚。
少年じみたところがあった黒沢久雄さんに対し、
子育てや主婦業で現実をシビアに見る林寛子さんでは、
価値観の相違もあり、
それも離婚の理由となったそうです。
林寛子さんから離婚を切り出し、
黒沢久雄さんもあっさり受け入れ、円満離婚となりました。
林寛子さんと黒沢久雄さんとの間に生まれた3人の子供のうち、
長女の黒澤優さんは、モデルとして芸能界デビュー。2000年には、
女優としても、映画「ISOLA 多重人格少女」でデビューしていました。
透明感あふれる美少女で、さらなる活躍を期待されていた
2002年、黒澤優さんは、ロックバンド「SOPHIA」の
ボーカル松岡充さんと結婚。
当時、妊娠2カ月のデキちゃった婚でした。
子育てと主婦業に専念するため、
20歳で芸能界を引退した黒澤優さんは、その後、
松岡充さんとの間に3人の子供をもうけ、
幸せな結婚生活を送っているようです。
娘・黒澤優さんのデキ婚で、林寛子さんは、
40代にしておばあちゃんになりました。
林寛子さんは、黒沢久雄さんとの離婚後、
スナックをオープンしたりと、
パワフルさに磨きがかかっています。
2014年には、タレントの大場久美子さんと、
お笑いコンビ「○1○2」を結成し、
キングオブコントに出場。結果は2回戦敗退でしたが、
熟女タレント2人のまさかのお笑いデビューは、
世間を驚かせたものです。
林寛子さんと大場久美子さんとは、アイドル時代からの親友で、
コンビ名は、林寛子さんは結婚を1回、
大場久美子さんは結婚を2回という、
2人の結婚の回数からきているのだとか。
大場久美子さんは、半年間のダイエットに励み、
コントの中では、アイドル時代以来封印していた
ビキニ姿を披露。
お笑いに向けた元アイドル2人の本気度は、
かなりのものだったようです。
林寛子さんは、若い世代にとっては、
熟女タレントというイメージしかないでしょうが、
林寛子さんが、その長いキャリアをスタートさせたのは
なんと4歳。
父のすすめで、1959年に、児童劇団
「劇団日本児童」に所属したところから始まりました。
現在、林寛子さんは56歳ですから、
すでに芸歴50年以上の大ベテランです。
1967年、7歳で、NHKの朝の連続テレビ小説
「旅路」に出演した林寛子さんは、
子役として注目を集めます。
13歳でオーディション番組「君こそスターだ!」に出演して優勝。
翌年1974年には、「ほほえみ」で、
歌手としてもデビュー。
すぐにトップアイドルにのぼりつめ、
特に「素敵なラブリーボーイ」は大ヒット。
当時の人気はかなりのもので、
林寛子さんの可愛さもピークに達していました。
自分でも、「私よりかわいいアイドルはいない!」と
思ったこともあったとか。CM契約が1年で
13本も決まったこともあり、
かなりの金額を稼ぎだしたようです。
本人は寝る暇もないほど多忙でしたが、
気が付くと、家が新築されていたり、
別荘が購入されていたりしていたといいます。
林寛子さんがアイドルとして稼ぎだした金額が
相当のものだったことは、間違いありません。
そんな中にあっても、親から厳しく
しつけられていたこともあり、
舞い上がって周囲が見えなくなるようなことはなかったそうです。
アイドルとしての自分を冷静に分析し、
「外側の林寛子は虚像だ。虚像の中に私はいる、
外側の私に巻き込まれてはいけない」と、
当時の日記に綴っていたといいますから、
かなり大人びた少女だったのでしょう。
また、両親からは、「大根1本、ネギ1本の値段を
知らないような女性に育っちゃいけない」と
言われて教育され、アイドルといえども、
かなりのリアリストであったことも間違いありません。
しかし、林寛子さんのアイドル時代は、
黒沢久雄さんとの出会いであっけなく終わりを迎えます。
アイドルとして絶頂を迎えていた18歳の林寛子さんは、
番組収録で黒沢久雄さんに出会い、交際がスタート。
芸能活動で多忙で、他の男性との恋愛経験もなかった
林寛子さんでしたが、交際2年で結婚。
結婚、出産後は、生来のリアリストぶりに磨きもかかり、
黒澤ファミリーの一員となった後ろ盾もあってか、
辛口トークで、タレントとしてもてはやされるようになります。
若い世代には、子役時代、アイドル時代の林寛子さんの活躍ぶりは
ぴんとこないかもしれませんが、
林寛子さんが現在貫録たっぷりの熟女タレントになったのには、
これだけの実績があったからなのです。
現在は、スナックのママとして活躍する一方で、
アイドル時代の仲間と、同世代に向けた舞台
「昭和歌謡コメディ」を旗揚げしている林寛子さん。
アイドル歌謡を披露するコメディタッチの舞台を披露し、
好評を博しています。
現実をしっかり見るリアリストだからこそ、
同世代のファンが欲しているものが分かったのかもしれません。
芸歴50年は伊達ではないのですね。
頼もしいばかりの林寛子さんです。
今後も林寛子さんの活躍には目を見張りたいですね。
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