柳生博に立て続きに起こった悲劇…切ない半生に涙腺崩壊…「ハンターチャンス」の名ゼリフで有名な司会者の晩年…息子との突然の別れに驚きを隠せない…

柳生博に立て続きに起こった悲劇…切ない半生に涙腺崩壊…「ハンターチャンス」の名ゼリフで有名な司会者の晩年…息子との突然の別れに驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは


俳優や司会者として活躍した


柳生博さんが亡くなりました。85歳でした。


関係者によりますと、柳生さんは4月16日、


老衰のため、北杜市の自宅で亡くなりました。


茨城県出身の柳生さんは、俳優やテレビ番組の司会者などとして活躍。


芸能活動を続けながら1976年に


現在の山梨県北杜市大泉町に移住し、1989年(平成元年)には


ギャラリー・レストラン「八ヶ岳倶楽部」を創設してオーナーを務めていました。


「八ヶ岳倶楽部」がある一帯は、柳生さんが


自ら木の剪定を行い遊歩道を整備し、


八ヶ岳の自然の魅力を大勢の人に発信し続けました。


「ハンターチャンス」の名ゼリフで世の人々に愛された柳生博さん。


今回は、その柳生博さんの生い立ちや、家族について調べてみました。


本名は柳生博さん、


1937年1月7日に生まれ、


身長:175cm


出身地は茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)


最終学歴は東京商船大学、現在の東京海洋大学を中退されてます。


かの有名な柳生一族の末裔にあたる柳生博さん。


フジテレビ系の人気番組『平成教育委員会』の解答者や、


NHKの人気番組『生きもの地球紀行』のナレーションでも


長く活躍されましたね!!






テレビ朝日で放送されていたクイズ番組


「100万円クイズハンター」での名ゼリフ「ハンターチャンス」は


あまりにも有名ですね。


柳生さんは、1989年に、山梨県北杜市大泉町の西沢に「八ヶ岳倶楽部」という


ギャラリー・レストランをオープンしました。


男子は12歳になったら一人旅をさせる


という柳生家のしきたりによって


中学生の頃に一人旅をした柳生博さん。


この時に西沢を訪れていたことから


西沢に「八ヶ岳倶楽部」を開設したそうです。


さいごは芸能活動よりも八ヶ岳倶楽部に重点を置いていたようで、


レストランにもよく顔を出していたんだとか。


あくせく働くよりも自然に囲まれて


ゆったりと生活するほうが性に合っていたのかもしれません。


2004年4月17日からは、


『日本野鳥の会』の第5代会長に就任し、


2004年12月12日には、


『コウノトリファンクラブ』の初代会長も務めていました。


芸能界で活躍し、悠々自適な毎日を送っていた柳生博さんは、


女優や声優として活動していた


二階堂有希子さんと結婚しています。


柳生博さんも二階堂有希子さんも、


有名人ですが、実は結婚した時期は不明なのです。


きっとお二人とも、プライベートを公にしたくなかったんでしょうね。


二階堂有希子さんは、ルパン三世のTVアニメ第一弾で


峰不二子の声を担当していたことでも知られています。


また、グレース・ケリーや


オードリー・ヘプバーンの吹き替えもしています。


既に芸能界からは引退している二階堂有希子さん。


柳生博さんと結婚したタイミングで家庭に入ったのでしょうか。


今は八ヶ岳倶楽部の運営に携わっているようです。


柳生博さんと二階堂有希子さんの間には、二人の息子がいます。


長男の名前は真吾さんで、次男の名前は宗助さん。


真吾さんは園芸家として活躍していました。


2000年から8年間、NHKの「趣味の園芸」で


メインキャスターを務め、年配の人が楽しむ印象が強かっ


た同番組を若い人にも普及させた功労者。


園芸家として活動しながら八ヶ岳倶楽部の代表でもあった真吾さん。


これから益々の活躍が期待されていましたが


2015年の5月に咽頭がんにより


47歳という若さで亡くなっています。


自然を愛する柳生博さんの血を色濃く継いで園芸家となった真吾さん。


一方、次男の宗助さんは園芸の道には進まず


商社マンとしてシンガポールに赴任していました。


ところが自分の命が長くはないことを悟っていた真吾さん。


2014年2月にシンガポールにいる宗助さんの元を訪れ、


八ヶ岳倶楽部を手伝うように頼んでいたそうです。


始めは難色をしめしていた宗助さんですが、


真吾さんが亡くなった後で、その意志を受け継いで


八ヶ岳倶楽部の社長に就任しています。


一流の商社から八ヶ岳倶楽部に転職するとなると


奥さんが反対しそうですが、


宗助さんの奥さんも八ヶ岳倶楽部で一緒に働いているそうです。


真吾さんの思いが宗助さんのみならず


奥さんの心も動かしたのかもしれませんね。


柳生博さんが1989年にオープンさせた『八ヶ岳倶楽部』は現在、


次男の宗助さんが代表取締役となりバトンタッチ。


八ヶ岳で悠々自適な生活を奥さまと満喫していたのかと思いきや。


どうやら奥様である元女優の二階堂有希子さんは、


認知症を患ってしまったようです。


二階堂有希子さんといえば、


『ルパン三世』の峰不二子の初代の声を担当したことで知られています。


二人は、1959年に劇団『俳優座』の養成所で出会ったそうです!!
 
茨城から東京へ出てきた柳生博さんは、


東京出身の二階堂有希子さんに一目惚れしたそうです。


柳生博さんと結婚する際は、


まだ無名の俳優と人気女優の結婚に周囲から反対されたそうですが、


柳生博さんの猛アタックにより2人は結婚。


しかし、柳生博さんはデビュー後は


ほとんど仕事がなく、一方で、


二階堂有希子さんはデビュー後に女優として大ブレイク!!
 
彼女の収入で生活するようになり、


一部では、柳生博さんは『大女優のヒモ』だという噂もされるような


辛い時期だったそうです。
 
柳生博さんは、『30代まで全く売れないヒモ俳優』だと


世間から噂される中、二階堂有希子さんは、


『あなたならきっと大丈夫よ。私はあなたの才能を信じているから』


と言い続けたそうです!!
 
そんな中、柳生博さんは自宅で麻雀三昧。


その時のメンバーが超豪華で、


俳優の児玉清さんや作家の早坂暁さんだったそうです。
 
毎日のように朝まで麻雀していたそうですが、


それでも、二階堂有希子さんは


麻雀をする柳生博さんにくっついて眠っていたそうです。
 
昔から、本当に仲が良かったようですね!!


二階堂有希子さんは1940年生まれですので、


2021年現在は81歳ですが、


認知症を患ったのは2013年の73歳。


人生100年時代といわれる現代、


子育てや仕事から解放されこれから人生を楽しむ年齢ともいえます。


認知症を患ってしまった原因はわかりませんが、


二階堂有希子さんは、長男を亡くしたことのショックで


『解離性健忘』を併発していました。


解離性健忘とは、ストレスやトラウマにより、


自分にとって重要な記憶が思い出せなくなる記憶障害です。


この病気が併発したことで、さらに認知症の症状が悪化してしまったといわれています。


長男のお別れ会にも出席できなかったそうです。


2021年現在は、特別養護老人ホームに入っているそうで、


柳生博さんは週に3回ほど奥さまに会いにいっていたとのこと。


空気の綺麗な八ヶ岳で、


最愛の奥様とのんびり過ごしてほしかったですが、


こればかりは仕方ありませんね。


俳優活動としては、2019年、


実に20年ぶりとなる連続ドラマ『やすらぎの刻~道』に出演しました。


しかし、本人は生前、これが最後のドラマ出演と語っていました。


本人の言う通り、ドラマ、バラエティやトーク番組に出ることは


その後なかったようです。














今後の予定として、柳生さんの告別式は20日に親族だけで行い、


後日お別れ会の開催を予定しているということです。


いかがだったでしょうか。


調べて見ると、柳生さんは


家族にとても愛されていたことがわかりますね、


突然の出来事、お悔やみを申し上げます、


最後までご視聴いただき、ありがとうございました。


コメントを残してくれると嬉しいです。


高評価、チャンネル登録も是非お願いいたします。


それでは、また。

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