横浜銀蝿 翔の素顔や三度の逮捕歴…その後に続く不幸に一同驚愕…『男の勲章』が大ヒットした銀蝿リーダーのまさかの現在に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
サングラス姿が特徴的な横浜銀蝿の翔さん。
私生活では、不良だったり、薬で捕まったりなど
荒れに荒れていますが、人気は高いようです。
今回は、そんな翔さんの
薬や現在について調査していきます。
まずは、翔さんのプロフィールからご紹介します。
本名:田宮将吉(たみやしょうきち)
生年月日:1958年6月8日
出身地:神奈川県横浜市
身長:170cm
血液型:B型
出身大学:関東学院大学
趣味:車・バイク、食べ歩き
翔さんは、高校時代にバンドをはじめ
卒業と同時に“横浜銀蝿”として本格的に活動を開始されています。
デビュー後、すぐに一躍若者の心を掴み
タレントやボーカルとして活躍しています。
そうした活動の忙しい傍らで
アメリカ車専門の中古車販売会社を経営していました。
またその他にも横浜銀蝿として活動しつつ
薬物撲滅を訴えるなど
自身の不良経験を通し
若者たちと向き合う活動を行っていたようです。
しかし残念なことに、14年後には
翔さん自身も薬物に溺れる結果になってしました。
さて、ずっとサングラス姿の翔さんですが
サングラスを外した姿はあるのでしょうか。
調べてみると、サングラスを外している姿は全くありませんでした。
学歴は、プロフィールから関東学院大学を卒業しています。
関東学院大学は、ラグビーの名門校として知られ強豪校で
あの五郎丸歩選手や日本代表選手で
笑わない男として話題をさらった稲垣啓太選手などがいます。
主な有名人では、タレントの石塚英彦さん
アジアン・カンフー・ジェネレーションのメンバー
そして小泉進次郎環境大臣です。
翔さんは、覚せい剤で3度逮捕されています。
最初に逮捕されたのは、1997年のこと。
翔さんが38歳の時でした。
始めたきっかけは、都内の路上で大麻を購入してしまったとのこと。
通りかかった外国人からだったようですが
初めは興味本位だった薬物も
その後どんどんエスカレートして
ついに覚せい剤に手を染めてしまいました。
翔さんは当時の自分を振り返って
「自分の体のことだから別にいいじゃないか」
と、軽い気持ちだったそうです。
そして1997年に、とうとう
覚せい剤取締法違反で逮捕されてしまいました。
甘えた感情にブレーキが利かなくなり
覚せい剤に溺れていったようですね。
当時の報道から経緯は
茅ヶ崎市在住の29歳の知人女性に翔さんが覚せい剤を注射して
その女性が神奈川県警に出頭し
女性の尿から陽性反応が出たために
翔さんが「覚せい剤使用・所持の疑い」で逮捕された
というわけです。
翔さん本人の尿検査の結果は陰性。
薬物も所持していなかったために、拘置期限切れで釈放されています。
結果的に証拠不十分で不起訴処分になりましたが、
翔さんは、兄と共に記者会見を開き、無実を訴えています。
しかし証拠がそろわなかったとはいえ
この会見が真っ赤な嘘であったことは明白でした。
運に助けられただけだったのですね。
翌年には、覚せい剤取締法違反で2度目の逮捕が決まりました。
今度は、横浜市の24歳の知人女性宅から
大麻と覚せい剤が見つかり
「翔と一緒に鼻と口で吸った」
と供述したことが決め手になり即逮捕されました。
翔さんの尿から陽性反応が出て
1年4ヶ月の実刑判決となりました。
1年4ヵ月後にはファンは離れ
出所した翔さんを待っていたのは兄だけでした。
お兄さんは翔さんの更生を信じて疑わずに
営業活動を続けてくれました。
お陰で、出所から2年後にはCD発売までこぎつげました。
そんなお兄さんの努力もまた翔さんは裏切ってしまいます。
2003年、なんと発売日前日に
覚せい剤による3度目の逮捕をされたのです。
判決は1年10ヶ月の実刑判決でした。
この逮捕でCDの発売は中止、奥さんは離れていき、とうとう離婚。
また兄の嵐さんが小脳梗塞で倒れてしまったのです。
離婚に加え、兄の病気と、この時ばかりは
「嵐が倒れたのは俺のせいに違いない」と感じとった翔さん。
自分の興味本位で手を出した薬物が
周囲の人の人生を狂わせていたことに
初めて気づいた翔さんでした。
薬物依存は本当に怖いものですね。
覚せい剤で3度逮捕された翔さんは当時は大スターでした。
若者は、横浜銀蝿の服装やスタイルを真似ていたのは
覚えている方もいると思います。
その翔さんが、2015年5月29日放送TBSの番組に登場して
胸中を語りました。
覚せい剤に手を出したきっかけを
「軽い気持ちだった」と当時の心境を語っています。
仕事も生活もマンネリ化していたときに
「『薬物やりませんか』というヤツと出会ってしまい
ついつい手を出した」
「どんなもんなんだろうね」というノリでいってしまった。
二度目の逮捕で実刑判決下った時も
「(当時)迷惑をかけたとは思っていなかった。
捕まらないと思っていたから」と
反省した様子は全くなかったといいます。
3度目の逮捕は、1年10か月の実刑判決。
刑務所内で、兄が倒れたことを知り
ようやく周りの人の人生を狂わせている自分に気が付き反省。
2004年に出所してからは、更生の道を歩むことを志したといいます。
スタジオにいたテリー伊藤さんはこの言葉に
「まだまだかっこつけている」と厳しい意見を浴びせた。
スタジオで横浜銀蝿のメンバーとともに
「ツッパリハイスクールロックンロール」の歌を熱唱した翔さん。
歌が終わり翔さんは
「このメンバーがいなかったら立ち直れなった。
感謝しているしこれから頑張ってやっていきます」
とコメントを残しています。
翔さんの元気な姿をステージで見られるのは
ファンにとってとても嬉しいことですよね。
すべてを脱ぎ捨てる“全裸俳優”として人気の原田龍二さん。
そんな原田さんと、デビュー40周年を迎えた
横浜銀蝿の嵐さんと翔さんのおふたりの対談が実現しました。
テーマは“反省”について。
このテーマに翔さんは抵抗があったことを明かし
「今日、原田君に会えるのはうれしかったけど
テーマに抵抗があったんだよな」と語っていました。
翔さん:今日のテーマは“反省”で
「原田に喝を入れてください!」って言われたけど
俺は覚せい剤で逮捕されちゃったから
偉そうなことは言えないよ。
冗談でも原田君に喝を入れる資格なんてないわけよ。
嵐さんが原田龍二さんの不倫したことに触れ
「やっちゃったもんはしかたねえよ!」というと
これに対して原田さんは
「いやいや、たくさんの人に
ご迷惑をおかけしたのでしかたなくはないです」と反省。
「俺たちは人に見られる仕事を選んだわけだから反省しなくちゃ」
と翔さん。
「事実は変えられないから一生
十字架を背負っていかなきゃならない。
でも、そのままずっと小さくなってても
何も変わらないじゃんか。」と前を向く翔さん。
原田さんも「もちろん深く反省はしていますが
今後、この不祥事の“傷”を強みに変えるしかない。」
と翔さん原田さん共に、お互いにこれからの前進を誓っている様子。
翔さんいわく
「山あり谷ありの人生っていうけど、俺は一生、上り坂だ」
「失敗しても、自分の足で登っていくしかないんだよな」
「俺みたいに逮捕されたりしたけど、死のうとは思わなかったよ。」
原田さん「僕も思わなかったです。
妻や子どもたちを巻き込んでしまったから
『この世から消えてしまいたい』という感情を抱きました。」
翔さん「俺も、君が家族に対してそう感じたように
メンバーに対して『裏切りたくない』って思うようになったよ。」
原田さん「グループならではのよさですね。いいなあ。」
原田さん「僕は、昔から反骨精神を持っているんです。
ロックのルーツも反骨精神ですよね」
翔さん 「そうだね。認定しましょう、原田君はロックンローラーです」
原田さん「ありがとうございます!」
すっかり原田龍二と意気投合した3人でした。
現在は、糖尿病を患う母の介護をしながら
横浜銀蝿で活動しています。
今回は、翔さんの
薬や現在について調査していきました。
順風満帆な人生が
薬物をきっかけに一気に変化してしまいましたが
現在は更生して、横浜銀蝿として活動している翔さん。
今後のご活躍を期待しましょう。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。