橋幸夫の本当の離婚理由に震えが止まらない…「御三家」と称された有名な歌手の元妻・橋凡子の47年間の苦悩や息子の現在に一同驚愕…

橋幸夫の本当の離婚理由に震えが止まらない…「御三家」と称された有名な歌手の元妻・橋凡子の47年間の苦悩や息子の現在に一同驚愕…

みなさん、こんにちは。

1960年、「潮来笠」でデビューし

その年の「日本レコード大賞」新人賞を受賞。

後に、舟木一夫さん、西郷輝彦さんとで、

「御三家」と呼ばれるアイドル的な存在の、橋幸夫さん。

離婚の理由や、離婚後すぐの再婚など

気になられている方がとても多いようなので

今回は、橋幸夫さんの本当の離婚の理由と再婚相手

息子の現在についてご紹介したいと思います。

まずは橋幸夫さんのプロフィールからご紹介します。

名前:橋幸夫(はしゆきお)

生年月日:1943年5月3日

血液型:A型

身長:167cm

出身:東京

デビュー年:1960年

1960年に「潮来笠」でデビューし、ヒットを記録。

西郷輝彦さん、舟木一夫さんと共に、「御三家」と呼ばれ人気を集めました。

1962年に吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」、

1966年に「霧氷」で共に『日本レコード大賞』大賞を受賞。以降、

多数の作品をリリースする傍ら、全国各地で講演活動も行っています。

早速ですが、橋幸夫さんの離婚理由に迫りたいと思います。

橋幸夫さんが今回、離婚にまで至った奥さんは、凡子さんという方です。

お二人の出会いは、1969年、ハワイ行きの飛行機の中だったそうです。

凡子さんは、日本航空国際線の客室乗務員で、橋幸夫さんの大ファンでした。

そのことを知っていた同僚が、乗り合わせていた橋幸夫さんに紹介したのが

きっかけだったそうで、お互いに一目惚れで、橋幸夫さんは、帰りの飛行機を

凡子さんが乗っている便に変更するほどだったそうです。

お二人は、1970年に婚約、1971年1月に結婚します。

そして、50年近く苦楽を共に過ごしてきたお二人ですが

2018年の3月に離婚が報じられました。

実際に離婚が成立したのは、2017年の末とのことでしたが

実は、2016年ごろから別居していたそうです。

世間では、熟年離婚であることから話題になっていました。

それでは、どうして50年近く苦楽を共にしてきたお二人が

離婚に至ってしまったのでしょうか?

世間では、橋幸夫さんの浮気が原因なのでは?と言われています。

橋幸夫さんと、凡子さんは、結婚3年目の1973年に長女の奈央さん

7年目の1977年に、長男の龍吾さんが生まれます。

長男の龍吾さんが生まれた頃から、橋幸夫さんの浮気が始まったそうです。

それまでは、ゴルフに行っても、家庭があるからといつも日帰りで帰宅していました。

しかしある日から泊まりがけで出かけることが多くなり

しまいには、「外に好きな人ができた。」と堂々と告白することがあったそうです。

子供を産むと嫁は、彼女ではなく、母親となってしまうのでしょうか。

その他にも、橋幸夫さんの浮気エピソードがいくつかあります。

お葬式の弔問に出かけ、自宅に戻ったのは翌朝でした。

凡子さんは、それを不審に思い、何をしていたのか。と聞いたところ

橋幸夫さんは、故人の枕元にいた。と説明をしますが

故人は有名人だったため、お葬式の様子がテレビで放送されていました。

そして、橋幸夫さんが弔問に訪れ、その場から帰る様子がばっちり放送されていたのでした。

弔問の日まで浮気とはかなり重症にも思えますし

なんとも、脇の甘いエピソードですよね。

またこんなエピソードもあります。

橋幸夫さんの実母のサクさんが認知症となった時に

介護をしてくれたのは、凡子さんでした。

介護のために、サクさんと橋さん家族は同居を始めますが

徘徊などの症状を見せるサクさんの介護を、凡子さん一人で看続けたそうです。

橋幸夫さんは、何をしていたのかと言うと

凡子さんが介護をしている間も、浮気を繰り返していたそうです。

そして、1990年に母親のサクさんは享年88歳で亡くなります。

介護から解放された凡子さんでしたが、すでに限界がきていました。

それでも、まだ子供が小さかったことから我慢を続けます。

そして、結婚29年目の2000年、親の見送り、子供も独り立ちしたことをきっかけに

橋幸夫さんに、「あなたは、私と一緒に生きようという気がないのよ」と

自分の気持ちを告げたのでした。

しかし、橋幸夫さんは「浮気はあったものの、生活を困らせたわけじゃない。」と取り合わず

話し合いは、1年以上続くこととなりました。

後に、橋幸夫さんは凡子さんが浮気が原因で深く傷ついていることに気付き

「結婚30年目にして、本当の夫婦を始めよう」と土下座して告げたそうです。

ですが、今回、結婚46年目の2016年に別居となり、

その1年後の2017年の年末に、

47年間の結婚生活に終止符を打ち離婚が成立することとなりました。

橋幸夫さんは財産分与の代わりに都内の貸しスタジオや

自宅の入るビルなどの不動産を凡子さんの名義とすることで、

円満離婚となった。と報じられていました。

離婚については、嫁の凡子さんから切り出したことだそうで、

そろそろ自由になりたいと橋幸夫さんに告げたといいます。

橋幸夫さんも凡子さんの意思を、最大限尊重する形での離婚だったとのことです。

長年連れ添ってきた、凡子さんもついに、家庭を返り見ず、浮気を続けてきた

橋幸夫さんに愛想がつきたのか。と思われましたが実は、こんな話があったのです。

凡子さんが、宗教にどハマりしており、それに橋幸夫さんが嫌気を刺したそうです。

事務所に行くと、凡子さんによって置かれた水晶玉や壺、怪しげな宗教画が

多く飾られていたそうです。

当時の、橋幸夫さんの個人事務所の名前を決めたのも

凡子さんに宗教を勧めた、霊媒師さんだったそうです。

凡子さんは、どんどん、宗教にのめり込む一方だったそうで

そんな彼女に、嫌気が刺していたのではないかとのことです。

橋幸夫さんは、周囲の関係者に「早く一人になりたい。」と漏らしていたそうです。

そして、凡子さんと2017年に円満離婚をし、「早く一人になりたい。」と言っていた

橋幸夫さんですが、なんと離婚の報道からわずか3ヶ月後に、再婚の報道があったのです。

こっちが本当の離婚理由だったのではないか。と思ってしまうほどびっくりでした。

50代の一般女性と再婚していたことが、報道されると

橋幸夫さんの所属事務所は、全て事実です。と再婚を認めていました。

所属事務所は、橋さんから事前に再婚の報告を受けておらず、

文春からの問い合わせが来るまで知らなかったそうで、

橋さんの密かに進められた再婚について、戸惑った様子を見せていたそうです。

お二人の出会いは、橋幸夫さんの講演会を通じて知り合われたそうで

その後は、スタッフとして橋幸夫さんを講師共にサポートされていたそうです。

また、お二人は、東京近郊の温泉地にある高級マンションで、

新たな生活をスタートさせているそうですが、ここ最近、

このマンションと橋幸夫さんの都内にある仕事専用マンション周辺で、

お二人が一緒に歩く姿がたびたび目撃されているそうです。

また橋幸夫さんの浮気グセが治ったのかどうかは、不明ですが

そろそろ落ち着いて欲しいものですね。

次は、橋幸夫さんの子供についてご紹介します。

1974年に長女である、奈央さんが生まれています。

奈央さんは芸能界に入らず、弁護士として働いているそうです。

一般人であるため、生年月日や本名、写真など詳しい情報は出てきませんでした。

そして、もう一人の子供、1977年に生まれた長男の龍吾さん。

龍吾さんは9月20日生まれで芸能活動をされています。

しかし父親とは違い、歌手ではなく俳優として活動されています。

「踊る大捜査線」や「サラリーマン金太郎」など20作以上の作品に出演されています。

しかし、2005年頃から、俳優活動を休止しており

一般人としてサラリーマンとして働いている説や、橋幸夫さんの事務所でスタッフとして働いている説など

いろいろありますが、現在はどんな活動されているのか、公開はされていませんでした。

今後、またいつか復帰し、いろいろな作品で活躍する姿を見せて欲しいですね。

今回は、人気歌手である、橋幸夫さんについてご紹介しました。

離婚理由や、電撃の再婚など様々な経緯や理由などが分かりました。

これからも歌手として素晴らしい活躍をお茶の間に

届けて欲しいですね。

最後までご視聴いただき、ありがとうございました。

コメントをしてくれると嬉しいです。

高評価、チャンネル登録も是非よろしくお願いします。

それでは、また。

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