みなさん、こんにちは。 みなさんは、沢田知可子さんを ご存知でしょうか。 沢田知可子さんは、1990年代に活躍した歌手で 「会いたい」という楽曲が、有名です。 デビューから35周年が経っていますが 今もなお、精力的に活動を続けています。 そんな、沢田知可子さんですが 過去に「会いたい」を巡って 訴訟騒動が起きていました。 大ヒットした、楽曲の裏で いったい、何があったのでしょうか。 今回は、沢田知可子さんの 経歴を振り返りながら、その問題や 夫について、見ていきたいと思います。 ぜひ、最後までご視聴ください! 初めに、沢田知可子さんに プロフィールを見ていきましょう。 愛称:ちかちゃん 本名:小野澤千香子 生年月日:1963年8月4日 身長:166㎝ 出身地:埼玉県 さいたま市 所属事務所:ウォ-タ-プラネット *沢田知可子さんは、2022年5月22日に 名前を「澤田知可子」さんに 解明しています。 読み方は変わりません。 沢田知可子さんの、デビューのきっかけは 地元・埼玉県の、運転免許試験場に 勤務していた頃、ライブハウスで アルバイトの時に、歌っているところを スカウトされました。 その後、1987年にシングル 「恋人と呼ばせて」でデビューし 1990年に、アルバム「I MISS YOU」 からシングルカットされた 「会いたい」が、ロングヒットを記録し 130万枚を、売り上げました。 そんな沢田知可子さんの、現在の活動状況は 2018年6月に、ニューアルバム 『LIFE ~シアワセの種~』をリリース。 その他、栃木放送「沢田知可子 あなたに会いたい」 というラジオ番組を、レギュラーで持っていたり ミュージックバードと 世田谷エフエムにて 「アフタヌーン・パラダイス」 を放送していたりします。 また、2019年は コンサートを、数多く開催するなど ある程度のスケジュールが、入っているようです。 次に、「会いたい」の訴訟問題について 見ていきましょう。 1987年にデビューし、今もなお 活動を続けている、沢田知可子さん。 そんな、沢田知可子さんの デビュー曲「会いたい」は 作詞家の沢ちひろさんと 訴訟問題を抱えたことが、ありました。 一体、何があったのでしょうか。 沢ちひろさんが 2016年に亡くなってから、6年がたった現在。 沢田知可子さんは、当時の様子と 現在の心境を、語っています。 2人の訴訟の発端は「会いたい」 の歌詞をめぐって起きました。 沢田知可子さんは「さんまのからくりテレビ」 の替え歌コーナーに出て 歌詞を面白く変えて、歌いました。 題名は「会いたい」ならぬ 「安定したい」でした。 沢田知可子さんが、歌い上げたその替え歌は かなりの大ウケでした。 しかし、「会いたい」は 沢ちひろさんが、幼い頃に死別した 母親を思って書いた詩。 そのため、沢ちひろさんからすると 全く面白くありませんよね。 また、以前から あたかも沢田知可子さんが 亡くなった先輩に向けて、書いた詩のように 振舞っていたことにも、引っかかっていたようです。 ここに、さらに輪をかけたのが タイトルと歌詞を、無断で変更した 「会いたい〜with INSPi」 が収録されたアルバムを、発売したことでした。 これらのことから、沢田知可子さんにとって 自分の歌詞の価値が低いと感じた 沢ちひろさんは、訴えを起こすことになったのです。 内容は、著作者の人格を侵害したため 歌うことを禁じるものでした。 最終的には、2014年11月から始まった裁判は 2015年7月に、沢ちひろさんが 訴訟を取り下げて収束しました。 収束の2ヶ月前に、沢田知可子さんは 電話で 「会いに行って、土下座でもなんでもするから もう許して。もう仲直りしてよ」 と正直な思いを伝えたところ 沢ちひろさんからは 「私もやめたいの。私だって ちかちゃんと、仲良くしたいのよ」 という返信をもらっていました。 もしかしたら、この 正直に思いをぶつけあったことが 良い結果に、結びついたのではないでしょうか。 しかし、騒動が収まった 約半年後の、2016年2月に 沢ちひろさんは、病気のため 逝ってしまいました。 元々病気がちだったという、沢ちひろさんですが 死因は、心不全だったそうです。 次に、沢田知可子さんの 学歴と経歴について、見てみましょう。 このように、デビュー後に 複雑な経緯を持つ、沢田知可子さん。 デビューする前は、一体どのような 生活を送っていたのでしょうか。 沢田知可子さんは、さいたま市立鈴谷小学校と さいたま市立与野南中学校を、卒業しています。 出身高校自体については、情報がありませんでした。 ただ、高校ではバスケットボール部に所属していたことは 判明しています。 これは、沢田知可子さんが、高校の頃 あこがれていたバスケットボール部の先輩が 「お前がデビューしたら、俺が最初のファンになってやる」 と言って、その1週間後に 交通事故で亡くなってしまった という辛い過去を持っており ここから、先述したように 「会いたい」を自分の歌のようにしていた ということからもわかります。 最終学歴は高校で、進学はしていません。 高校卒業後は、埼玉県の 交通安全協会で、3年ほど勤務していました。 そしてこのままでいいのかと思い 若い頃からの夢だった、歌手になるため ライブ活動を始め、デビューへのきっかけを つまみました。 次に、沢田知可子さんの夫について 見ていきましょう。 さまざまな活動を行なっている 沢田知可子さんですが その隣には、公私共に サポートをしてくれる夫がいます。 沢田知可子さんの夫は、小野澤篤さん。 小野澤篤さんは、ピアニストでもあり 作曲や編曲も手掛ける、ミュージシャンです。 そしてなんと、事務所の社長でもあります。 一体、どのようにして、出会ったのでしょうか。 沢田知可子さんと、夫の出会いは 「会いたい」が売れた1990年。 初めてのコンサートツアーが決まり リハーサルをした時のことだそうです。 夫のピアノで初めて歌った時 どんどん歌が上手になるように感じ 息が合うことに感動したとのこと。 これが、運命の出会いとなり まもなく、交際に発展したようです。 事務所からは、2人の関係がバレたら困るといわれ バンドメンバーから外されることもあったそうですが 結局、1年ほどで また一緒にツアーを回ることとなったようです。 いつ結婚したかは、公表されていなかったのですが 2018年で結婚23年目、ということたったので 1995年位に、結婚したようです。 そんな素敵な出会いをした、沢田知可子夫婦。 出会いから30年以上たったいますが、現在 どのような暮らしをしているのでしょうか。 2021年には、夫婦で小田原に引っ越して 野菜中心の食生活をしており 健康的に過ごされているようです。 夫は、料理も掃除も得意で また、喧嘩してもすぐに仲直りするそうです。 日常生活では、このような感じですが ステージでは、ピアニストとしてサポート。 レコーディングでは、プロデュースと いつも一緒といった様子から 公私ともに、なくてはならない存在 ということがわかります。 今回は、沢田知可子さんについて 触れてきました。 トラブルを抱えましたが、今は解決して 個人的に思い入れもある 『会いたい』を歌うことが出来て 良かったなと思います。 沢田知可子さんはYoutube活動もしており デビューから何年も経った今でも その勢いを落としていません。 沢田知可子さんの、今後のさらなる活躍に 目が離せません。 最後までご視聴いただき、ありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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