みなさん、こんにちは。 1976年に、映画「エデンの海」で女優デビューすると、 1977年、2作目の映画「聖母観音大菩薩」では、 いきなり、体当たりの演技を披露された、浅野温子さん。 今回は、そんな浅野さんの、生い立ちから ブレイクまでの経緯について 夫や息子の情報も踏まえてご紹介します。 浅野さんは、1961年3月4日生まれ、 東京都大田区蒲田のご出身、 身長163センチ、 血液型はA型 学歴は、 大田区立大森第八中学校 ⇒東京都城南高校 ⇒東京都立代々木高等学校(転校) ⇒東京都立上野高等学校(転校)卒業 趣味は、読者、ウォーキング、 ちなみに、本名は「魚住 温子 (うおずみ あつこ)」です。 こうして、浅野さんは、1976年、 高校1年生(15歳)の時、 映画「エデンの海」(山口百恵さん主演)の、 山口さんのクラスメート役のオーディションを受けられると、 見事合格し、「エデンの海」で女優デビュー。 翌年の1977年、高校2年生の時には、 映画「聖母観音大菩薩」に出演されているのですが、 早くも体当たりの演技を披露されており、 浅野さんの役柄は、まだあどけない表情を した女子中学生にもかかわらず、 海辺の小屋の中で、神社のアルバイトで着ていた 巫女の衣装を脱いで、同級生に「抱いて」 と懇願するもので、激しいラブシーンを演じられています。 その後も映画「スローなブギにしてくれ」 「あぶない刑事」などの出演により、 大人気女優となりました。 しかし、その後、人気が低迷。 1998年には所属事務所を移籍し、 2003年には、その後のライフワークとなる舞台 「よみ語り」と出会われるのですが この「よみ語り」を巡り、当時の所属事務所と トラブルになっていたようです。 浅野さんは、トレンディー女優として一世を風靡されたものの、 その後、人気が低迷し、1998年には事務所を移籍。 ドラマ出演も激減する中、2003年に 「よみ語り」に出会われると、その後、 地道な活動を続け、4~5年経った頃、 「よみ語り」が世間で認知されるようになります。 すると、浅野さんは、 「私の女優人生で初めて自分発信で 企画した舞台ですが、いざ始めてみたら、 まぁタイヘン(中略) この舞台では何でも自分の手でやらなくちゃいけない」 などと、まるで、自分ひとりでこの舞台を考えて、 広めてきたともとれる発言をするようにされているのですが、 実際には、「よみ語り」を企画したのは、 浅野さんが1998年に移籍した所属事務所の 社長・A子さんをはじめとする事務所側だったそうで、 神社関係者は、 「A子さんが全国の神社を回り、頼み込んで、 何年もかけて地盤を整えて 『よみ語り』を実現させたんです。 浅野さんは舞台に立って演じているだけだったんです。 もちろん、それが認知されていったのには 彼女の力も大きいと思います。 でも、『よみ語り』にのめり込んでいった浅野さんが、 いつしか、自分の力だけでやっていると 言うようになっていって…。 あれでは、彼女を支えてきたスタッフがかわいそうですよ」 と、証言されているのです。 らに、それだけではなく、A子さんは、 2010年1月に、「乳ガン」を患い、 手術を受けられると、その後も、 半年間もの間、放射線治療を余儀なくされ、 一時は生命の危機もあったそうですが、 浅野さんは、一度もお見舞いに行かず、それどころか、 「あの人は重い病気だから、もう現場に戻れないのでは」 などと、周囲の人に言い、A子さんと 距離を置き始めたというのです。 そして、なんと、浅野さんは、 2010年の春、A子さんが まだ闘病中だったにも関わらず、 仕事の取引先やお世話になっている神社に、 自らの独立を知らせる手紙を送ると、 2010年4月の舞台を最後に、事務所を移籍。 しかし、そこでも、(詳細は不明ですが) ひと悶着を起こし、すぐに、現在の「生島企画」に移籍。 そして、そのまま、A子さんたちが企画した 「よみ語り」は続けられているというのです。 しかも、それだけではなく、今では、 「よみ語り」と呼ばれている舞台ですが、 実は、浅野さんが移籍される前までは、 「語り舞台」というタイトルだったそうで、 2007年に、A子さんが商標登録しているため、 事務所を移籍した浅野さんにはその名称が使えず、 内容は同じまま、勝手に「よみ語り」と 名称を変更したという経緯があったのだそうです。 それでも、「生島企画」のホームページにある、 浅野さんのプロフィール欄には、移籍後の舞台も 「語り舞台」という名称のままで、 しばらくは紹介されていたようで、 前述の神社関係者は、そのことについて、 A子さんの事務所は、このホームページの “詐称”に、近々抗議を考えているようです。 こういった浅野さんのデリカシーのなさにも、 怒っている神社は多いんです。 と、明かされています。 そこで、この騒動を巡り、「女性セブン」の記者が、 浅野さんの現在の事務所「生島企画」に取材をしたところ、 「生島企画」は、 「縁あって、弊社に所属しました浅野温子ですが、 女優業及び古事記の『よみ語り』の活動も 一歩一歩着実に進んでおります。 今後の浅野温子の活動を温かく見守っていただければ幸いです。」 とコメントしたのみ。 また、A子さんに直撃取材すると、A子さんは、 「何も話せません…」 と、言うだけだったそうです。 ちなみに、現在、A子さんは、ガンを克服し、 浅野さんの代わりに水野真紀さんによって、 「語り舞台」を継続されており、 一方、「生島企画」の浅野さんの プロフィール欄(2019年12月現在)は、 2003年より古事記を題材とした 一人語りの舞台を全国の神社などで開催 と修正され、現在は「語り舞台」の名称は使われていませんでした。 次に、浅野さんのプライベートについて 深堀してみました。 浅野さんは、1983年、22歳の時に、 作詞家でコピーライターの魚住勉さんと結婚されています。 魚住さんは、1986年に大ヒットした 「男と女のラブゲーム」や、 「WANDS」のミリオンヒット曲 「もっと強く抱きしめたなら」などの作詞を手がけられたほか、 コピーライターとしても、 男の気持ちです。 (サントリー・ギフトCM) みんな、ひとりなんだ。 (サントリー・オールド) はじめは恋、あとで愛。 (パルコ) ヒップとヒップとヒップとヒップとヒップとヒップ。 (伊勢丹) ひとりよりふたり。 (丸井) もうクラブ行かない。 (高橋酒造・白岳しろ) など、一度はどこかで聞いたことのある、 有名なキャッチコピーを手がけられています。 ちなみに、魚住さんには、ネット上で、 「認知症」と噂されていますが、 特にそれを裏付ける証言もありませんので、 デマだったようです。 近年は、作詞家としても、コピーライターとしても、 表立った活動をされていないことから、 このような噂がたってしまったのかもしれません。 浅野さんは、魚住さんとの間に、 1984年に男の子を出産されているのですが、 その息子さんというのが、現在、 NHKのアナウンサーとして活躍されている、 魚住優(うおずみ ゆう)さんです。 優さんは、慶応大学を卒業後、 「日刊スポーツ新聞社」に就職されると、 2008年には、NHKに転職。 NHKに入局後も、親の七光りと 騒がれることを危惧してか、 浅野さんの息子であることは、 ずっと伏せておられたのですが、 2018年11月15日、NHKの情報番組 「あさイチ」で、博多大吉さんとともに、 1990年代のファッションを紹介される中、 博多さんが、言っていいんでしょう と、確認したうえで、 浅野温子さんの名前を明かされると、 優さんは、ワンレングスの髪をかきあげる、 お母さんのマネをし、ついに、 浅野さんの息子であることを明かされています。 いかがでいたでしょうか これからの、浅野さん一家の活躍にも期待したいですね。 最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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