渥美二郎を襲った”生存率7%”の病魔の正体に一同驚愕…『夢追い酒』で有名な演歌歌手の闘病生活…まさかの現在が衝撃的すぎた…
みなさん、こんにちは。
昭和の演歌歌手、渥美二郎(あつみじろう)さんを知っていますか?
渥美さんは、『夢追い酒』や『忘れて欲しい』『釜山港へ帰れ』などを代表曲に持ち、
NHK紅白歌合戦にも出場した経験を持つ演歌歌手です。
渥美二郎さんは、昭和を代表する演歌歌手として大活躍の最中、
37歳の時にスキルス性胃がんの診断を受けました。
今回は、演歌歌手・渥美二郎さんの経歴と、
スキルス性胃がん闘病の経緯、
がんの発覚から30年以上が経過した現在の状況について
紹介していきます。
それでは、まず渥美二郎さんの簡単なプロフィールと初期の活動状況をみていきましょう。
渥美二郎さんは、1952年生まれ、東京都足立区出身の演歌歌手です。
16歳で駒込高等学校を中退した後、
地元・北千住で「流し」の歌手として活動を始めました。
「流し」とは、別名演歌師とも呼ばれ、
ギターやアコーディオンなどの楽器と歌詞本を持って酒場などをまわり、
お客さんとコミュニケーションをとりながら演奏する人のことをいいます。
お客さんからのリクエストに応えて、お客さんの歌の伴奏をしたり、
自分の歌を歌ったりします。
カラオケの普及していなかった1970年代前半までは人気が高く、
最盛期には新宿だけで100人を超える流しがいたといわれています。
演歌師からプロの歌手になる人も多く、
渥美さんの他に、北島三郎さん、五木ひろしさんなどの
有名演歌歌手を輩出しています。
演歌師として活動していた渥美さんは、
8年の演歌師生活を経て、
昭和歌謡を代表する作曲家の1人・遠藤実先生に弟子入りして教えを受けます。
1975年、「渥美健」名義で、東映映画『けんか空手 極真拳』の挿入歌『空手道』を
ワーナー・パイオニアからリリース。
翌年1976年『可愛いおまえ』でCBSソニーより歌手デビューしました。
1978年リリースの『夢追い酒』は、
1979年から1980年にかけておよそ280万枚の大ヒットとなり、
日本有線大賞を受賞、
NHK紅白歌合戦への出場も果たしました。
この『夢追い酒』大ヒットの影響はすさまじく、
プロモーションで全国各地をとびまわり、
日本の北から南を5往復する勢いだったそうです。
その後、
1979年リリースの『忘れてほしい』や、
1981年リリースの『他人酒』、
1983年にリリースされた『釜山港へ帰れ』など、
ヒット曲を連発し、演歌歌手としての地位を確立していきます。
順風満帆な演歌歌手人生を送っていた頃、
渥美二郎さんを病魔が襲いました。
スキルス性胃がんです。
スキルス性胃がんは、胃がんの10%前後を占めており、
胃がんの中で最も悪性度の高いがんとされています。
はっきりとした潰瘍やその周りの盛り上がりがなく、
胃の壁が硬く、厚くなるタイプ胃がんです。
がんの進行にともない、吐き気や上腹部痛、
上腹部膨満感など、様々な症状が出現します。
しかし、特有の自覚症状が存在しないことや、
胃粘膜の表面にはあまりあらわれないため、内視鏡検査でも診断が難しいことから、
早期の発見が難しい病気のひとつだといわれています。
また、通常の胃がんよりも進行が早いという点や、
腹膜播種(ふくまくはんしゅ)と呼ばれる
広範囲に小さく転移する特徴もあるため手術による切除が難しく、
治療が難しい胃がんの種類の1つとも言われています。
もともと胃に違和感を感じていた渥美さんは、
コンサートを翌月に控え、体調管理のために受けた検査で病気が発覚したといいます。
渥美さんが胃がんの宣告を受けた時は
ほとんど末期状態だったそうです。
現在では10〜20%程度に上昇していますが、
当時、ステルス性胃がんの5年生存率はたった7%。
診断結果を受け入れられなかった渥美さんは、
他の病院でセカンドオピニオンによる診断を受けました。
結果は同じでした。
『かなり難しい手術になる。覚悟してほしい』と医師から告げられた渥美さん。
それでも渥美さんは、
「とにかく元気になって歌うことができるなら」という想いで手術に臨みました。
1989年11月、手術が始まりました。
胃だけなく、免疫系における最大の臓器、脾臓も全摘出するという、
6時間に及ぶ大手術でした。
手術は、無事成功。
直後、渥美さんは無謀ともいえる挑戦をします。
医師に想いを伝えて説得し、
退院からたった2ヶ月後に、事前に決まっていたハワイでのコンサートを決行したのです。
「コンサートができるのは、これで最初で最後かもしれない」という
覚悟の上の決断でした。
2時間30分のステージは、病気のことを忘れるほど大成功しました。
このコンサートによって、今後の歌手活動としての希望を見出した渥美さん。
しかし、術後10年近くは、
傷口の痛みや腹痛など、日常生活において後遺症に悩まされたといいます。
それでも、幸いなことに、
その後の転移・再発などもなく、歌手活動に復帰することができました。
1995年からは、
阪神淡路大震災のチャリティーコンサートを毎年開催。
演歌師時代の経験を生かしたレパートリー1000曲と、
得意の楽器演奏を取り入れたコンサート活動を精力的に展開。
1997年には、がん闘病克服のエピソードを綴った自伝
『なみだの花』を発売し、話題を呼びました。
がんを乗り越えた渥美さんは、
音楽に対する強い想いを全国に届けるべく、
70歳近くになった今でも現役で活動されています。
いかがでしたか?
スキルス性胃がんは、他の胃がんと比較すると、
若年層や女性もかかりやすい胃がんです。
他の有名人においては、2012年に雨上がり決死隊の宮迫博之さんが
この病気により胃の摘出手術を行いました。
宮迫さんの場合は、幸いにも早期発見により克服することができたようです。
渥美二郎さんの場合は奇跡的に成功し、
再発にもいたっていませんが、まだまだ生存率や完治率の低い病気です。
現在では、
抗癌剤をお腹の中に直接注入する腹腔内化学療法により、
腹膜播種を強力に抑えるという新しい治療法も研究されており、
1970年代に比べると生存率は上昇しているといえますが、
胃がんの進行防止や早期発見のためにも、
まだまだ定期的な検査やバランスのよい食事が大切です。
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