竹原慎二の『最強の敵』癌との闘いに涙が止まらない…余命1年から救った最高のセコンド妻の助け…奇跡の回復劇がまさにボクシング世界王者だった!
皆さん、こんにちは。
元WBA世界ミドル級王者で現在は
人気YouTuberでとして活動している竹原慎二さんの
膀胱がんの再発、独自の食事療法、診療した病院と医療過誤で裁判中
豪華な自宅などの気になる話題について調査していきます。
竹原 慎二(たけはら しんじ)さんは
引退後に深刻な膀胱がんと告知をされています。
医師から余命1年と言われましたが、
不屈の男はそう簡単にダウンしませんでした。
まずは、竹原慎二さんのプロフィールです。
本名:竹原 慎二 (たけはら しんじ)
身長:186cm
出身地:広島県安芸郡府中町
生年月日:1972年1月25日
主なタイトル:元WBA世界ミドル級王者(日本人初)
引退後は同じボクサーの畑山隆則さんと一緒に
ジムを開業したりタレント業をしていますが、
最も注目を集めているのはYoutuberとしての竹原さんです。
2020年4月21日に自身のチャンネル「竹原テレビ」を開設して
Youtuberデビューを果たし、
不良更生企画や人気Youtuberとのコラボで
登録者数も2021年9月時点で49万人になりました。
中でも配信者であり総合格闘技家という顔を持つシバターさんとの対決は
ネットで話題となり、肝心の再生回数も
880万回を超えるという大ヒットを記録しています。
元世界チャンピオンという肩書をフルに生かした
独自の動画作りで人気を集めています。
また、初期からコンビを組んでいたマッコイ齋藤さんから
再生回数の低迷を理由に戦力外通告を受けたものの、
新体制の方が再生回数が伸びるという皮肉な結果になっていました。
マッコイさんが数々のヒットを生み出した
クリエイターなのは間違いありませんが、
演者と裏方というのは才能だけでなくコンビネーションなどの
相性が大事なのかもしれませんね。
ちなみに、竹原さんの配信コンセプトは
「笑いと感動をお届けする」なので、
色々と生きづらい今の世の中を少しでも明るくしてくれると
心から期待したいところです。
次は竹原慎二さんの膀胱がんの経過や食事療法を見ていきます。
竹原さんが膀胱がんの「ステージ4」と診断されたのは2014年2月のことで、
約2ヶ月の抗がん剤治療を経て
6月に東大病院で膀胱の摘出手術を受けていました。
膀胱を全摘出したので自分の小腸を使用して
新しい膀胱を作って生活をしています。
また、膀胱がんは再発していませんが
経過にはとても気を使っているらしく、
摘出手術から7年が経った2021年現在も
定期的に検査をしている様子がSNSで確認できました。
膀胱がんの場合は全摘した人であれば
「術後5年」がひとつの目安になっており、
5年の間に再発や転移が無ければ
ほぼ大丈夫だとされているので竹原さんも一安心でしょう。
竹原さんは膀胱がんを克服したことから独自の食事療法も注目を集め、
2018年に妻の香織さん名義で「夫・竹原慎二のがんを消した
カラダにいい食べ物と習慣43」を出版しています。
食事療法については自身のYoutubeチャンネル
「竹原テレビ」の動画でも紹介していました。
特製の野菜ジュースは多くのエキスが凝縮しているので健康に良さそうですが、
必ずしも”がんの予防や治療に効果が保証されているものではない”ことを記しておきます。
いずれにしましても、竹原さんのような膀胱がんに限らず
多くの病気を克服するには「健康的な食事と生活習慣が大事」であることだけは
間違いないところでしょう。
竹原慎二さんが膀胱がんを診療した
病院と裁判をしている件も見ておきましょう。
大事な点なので最初に触れておきますが、
ここでの「膀胱がんを診療した病院」は実際に治療をした病院ではなく、
初期症状を見落とした最初の病院のことを指しています。
竹原さんの体に異変が表れたのは2013年1月のことで、
頻尿が続いたことが気になって知人で内科医をしているAさんを尋ね、
そこで「膀胱炎」という診察を受けて帰りました。
処方された薬が効かないことから
再度診察を受けたものの改善が見られず、
Aさんから紹介された総合病院の泌尿器科で診察を受けましたが
異変は見つからなかったそうです。
その後もAさんによる診療や処方された薬を飲む日々を過ごしましたが
2013年の大晦日に大量の血が混じった尿が出てしまい、
翌年1月6日に再び総合病院を訪れて検査を受けました。
2月1日にも再び血尿が出たことで総合病院の医師に連絡して2日後に受診し、
そこで膀胱がんの可能性が高いこと、
そしてリンパ節への転移があることを知らされたそうです。
竹原さんは「自分のような被害者を二度と出したくない」と決意し、
2017年7月22日に東京地方裁判所へ
「内科医AとAが勤務する病院」を相手に
医療過誤の裁判を起こしました。
注目の裁判は2019年11月21日に判決が下り、
結果は「原告の請求をいずれも棄却」という敗訴。
2020年3月18日の控訴審判決でも
竹原さんの敗訴は覆らず終わってしまいましたが、
決して金銭目的での裁判では無かったことだけは
正確に記しておかねばなりません。
また、竹原さんは裁判や自身の闘病からセカンド(サード)オピニオンの重要性、
そして正しい知識を身につけて自分の身は自分で守る
という考えを世間に発信し続けています。
また、竹原慎二さんの自宅に関して
自身のYoutubeチャンネル「竹原テレビ」に投稿された動画によって
”豪邸だった”と話題になっています。
残念ながら内部は公開されていませんが、
自宅はガレージを含めた3階建てという見事な大豪邸です。
自宅の場所については東京都の大田区という情報が有力とされており、
ファンや近隣住民の目撃情報などによると「大田区千鳥」
という地区に住んでいる可能性が高いそうです。
竹原さんにこれほどの大豪邸を建てられる経済力があったことに驚くでしょうが、
現役時代のファイトマネーよりも引退後の
タレント活動による収入が大きかったのかもしれません。
ただ、引退直後は仕事が無くて
日焼けサロンのアルバイトをしていた時期もあったらしく、
2000年頃から始まった「ファイトクラブ」によって
人生が大きく変わったと言えるでしょう。
アスリートにとってセカンドキャリアの構築は
現役時代の勝負以上に困難なことですが、
竹原さんは自分に合った仕事に出会ったことで
上手く再スタートを切ることができたようですね。
それにしても、建物だけでなくガレージのベンツや
「MAZDA CX-5」などの愛車も凄いですね。
竹原慎二が畑山隆則とボクシングジムを開業
竹原慎二さんはボクサー仲間の畑山隆則さん
(元WBA世界スーパーフェザー級&ライト級王者)とタッグを組み、
2002年7月1日にボクシングを採り入れたトレーニングジムを開設しました。
正式名称は「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」ですが、
あまりに長いことから竹原&畑山ジム、
もしくは”T&Hボクサ・フィットネス・ジム”と呼ばれています。
ジムの場所は東京都新宿区にありましたが立ち退きに遭ってしまい、
2012年12月に竹原さんの自宅から近いという
驚きの理由で東京都大田区(大森北)にリニューアルオープン。
元々はジムの運営に乗り気ではなかったふたりですが、
次第にボクサー目線とは違うボクシングの面白さや可能性を感じるようになり、
プロ選手の育成にも取り組むようになりました。
ジムも2008年7月14日に東日本ボクシング協会への加盟が承認(プロ化)され、
日本人初の世界5階級制覇王者に輝いた藤岡奈穂子さんや
スーパーバンタム級を制した丸亀光さんを輩出。
2020年から始まったコロナウイルスの感染拡大によって
ジムの営業を控えていましたが、
2021年夏からは十分な感染症対策を採り入れて活動を再開させていました。
ちなみに、ジムの組織は竹原さんが会長で
畑山さんがゼネラルマネージャーだそうです。
広島のゴミと呼ばれた竹原慎二が故郷のPR大使に就任
中学生当時、手の付けられない不良だった竹原慎二さんは地元で
「広島の粗大ゴミ」と忌み嫌われた存在でしたが、
その後の活躍から2018年6月に府中町のPR大使に就任しています。
竹原さんは上京してからも故郷に対する愛着が強くあったらしく、
大使に就任する前から広島の方言「じゃあの。」をブログで使うなど
様々な形で地元の情報を発信していました。
いつかは故郷に恩返しをしたいとの思いを抱いていた竹原さんは
就任要請に大変喜んだそうで、府中町に関する仕事に取り組んでいる姿は
動画でも見ることができます。
プロボクサーとしての活躍はもちろんとして、
引退後のタレント活動や指導者として後進を育成するという
教育者の活動が評価されての起用だったのかもしれませんね。
また、竹原さんの場合は不良・非行からの更生という過去を持っているので、
順調な道を歩んだエリートには分からない
貴重な経験を持った大使であり大人と言えるでしょう。
有名なことわざに「故郷へ錦を飾る」という言葉がありますが、
竹原さんにとって地元から認められたPR大使という肩書は
チャンピオンベルトに勝るとも劣らない宝物かもしれません。
最後までご視聴いただき、ありがとうございました。
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それでは、また。