笠浩二の病状に涙が零れ落ちた…『Romanticが止まらない』で人気の『C-C-B』メンバーの現在の職業…メンバー達との切ない別れに涙腺崩壊…
みなさん、こんにちは。
1980年代に人気を誇ったバンド『C-C-B』
のメンバーとして活躍した笠浩二さんですが
現在は杖の生活だと噂されています。
今回は、笠浩二さんの性格や若い頃・結婚の有無
そして体調や脳梗塞・杖生活の噂の
真相などについてまとめました。
まずはプロフィールと経歴を紹介します。
名前:笠 浩二
生年月日:1962年11月8日
星座:さそり座
血液型:AB型
ジャンル:歌手・アーティスト 、タレント
デビュー年:1982年
デビュー作:Coconut Boys結成、ドラム、ヴォーカルを担当。
福岡県に長男として生まれた笠浩二さんは
中学校の時にブラスバンド部に入ったのが
音楽との出会いで当時はホルンを吹いていたのです。
しかし先輩のドラムを叩く姿に憧れた笠浩二さんは
中学3年生の時に両親に頼み“TAMA”のドラムセットを入手し
アマチュアバンドでの活動を始め
『ステーション』というバンドで
渡辺英樹と田口智治に出会ったのです。
1982年に渡辺英樹さん、関口誠人さんと
『Coconut Boys(のちにC-C-Bへ)』
を結成した笠浩二さんは
翌1983年にシングル『Candy』で
メジャーデビューしています。
そして翌1984年には、田口智治さん、米川英之さんが加わり
5人メンバーとして活動を開始したのです。
そんなC-C-Bは、1985年にリリースした
3rdシングル『Romanticが止まらない』が
テレビドラマ『毎度おさわがせします』の
オープニングに起用され、ブレイクしたのです。
そして笠浩二さんはこの曲でメインボーカルを務めています。
その後もC-C-Bは、『スクールガール』や
『Lucky Chanceをもう一度』などのヒット曲が連発し
1985年の第27回日本レコード大賞で金賞を受賞し
紅白歌合戦にも出場しています。
こうしてピンクの髪にメガネが
トレードマークだった笠浩二さんは
とても愛嬌のある性格からお茶の間の人気者だったのです。
そんな笠浩二さんは
1989年のC-C-B解散後はソロとして活躍し
同年に『30センチでつかまえて』をリリースし
UCCコーヒーのCMにも起用されたのです。
また笠浩二さんは、音楽以外にも
プロデュース業やコンピューター関係の仕事も手掛け
専門学校で講師もしたりしたそうです。
こうしてC-C-Bとしてブレイクし
解散後もソロとして活躍した笠浩二さんは
多忙による不規則な生活とストレスからたびたび体調を崩し
十二指腸潰瘍や摂食障害、胃潰瘍や脚気などの多くの病気を患い
一時はドラムを叩くことも困難な状況により
音楽活動を休止せざるを得なかったそうです。
また笠浩二さんはプライベートでは1990年頃に結婚しますが
ちょうど体調を崩した頃に離婚したそうです。
そんな笠浩二さんの結婚した相手については
残念ながら情報はありませんでした。
C-C-Bの前後は多忙やストレスにより
体調を崩していた笠浩二さんは
1999年に祖父の出身地である南阿蘇へ移住し
両親と共に生活しています。
そんな笠浩二さんは、南阿蘇では農業に従事し
スローライフを送ることで体調も随分と良くなったそうです。
「祖父が南阿蘇村出身で、両親は埼玉にあった自宅を売り払い
平成9年に村へ移住しました。
少年時代、両親と弟の家族4人で、東京から会いに行きました。
南阿蘇鉄道が国鉄高森線だった頃です。
始発の立野駅から蒸気機関車に乗ったのを今も鮮明に覚えています。
野菜も新鮮でおいしかった。
祖父母は一度、テレビ番組の収録に
トマトを持って来てくれたこともありました。
僕も11年から一緒に住むようになりました。
移住前は体を壊していました。
僕が脚気で倒れたのを知った父は
「お前も阿蘇に住め」と、トラックを借りて東京に迎えに来たんです。
「脚気は戦時中になった人が多いんだぞ」と教えてくれ
荷物を全部運んでくれました。
阿蘇へ帰ってから2年ほど、のんびり過ごしました。
おじや両親が農業を営んでいたので
トマトやイチゴ、米の収穫作業を手伝いました。
阿蘇で暮らすようになり、随分と人間らしくなりました。
今も月に数回、上京するけれど、必ず阿蘇に帰ってくる。
最初は寂しさや不便さも感じましたが
徐々に身体も回復し、精神的にも楽になった。
手足が動くようになった。阿蘇の大自然
優しい人々に癒やされたのでしょう。」
と言われていたので体もだいぶ回復なされたようです。
しかし2015年7月に、C-C-Bのベースだった渡辺英樹さんが亡くなりました。
そして、2015年5月に、キーボードの田口智治容疑者が逮捕されました。
相次いで仲間を亡くし、裏切らたことは
笠浩二さんにとっては大きな痛手となりました。
そんな中でも笠浩二さんは南阿蘇でも音楽活動を続けており
Mr/K(ミスター・スラッシュ・ケー)というバンドで活動しており
2016年には統廃合で新設された
南阿蘇中学校の校歌を作曲しています。
こうして南阿蘇中学校の校歌を
手掛けた笠浩二さんでしたが
その後2016年4月14日、震度7の熊本地震で被災し
自身のTwitterやFacebookで情報を発信しています。
「今春、村の3校の中学校が統合し
南阿蘇中学校が創立し、校歌を頼まれた。
「校歌を作ってほしいと言われたのが、本当にうれしくて。
これでエセ熊本人が、阿蘇人になれたのかなって。」
作詞は阿蘇の友人の黒木よしひろさんに頼み、作曲を担当した。
4カ月かけて、黒木さんと議論しながら2曲を作り上げた。校歌はマーチ。
愛唱歌として、統合した3校の伝統のハーモニーを思い、ワルツ。
「11日の入学式には、中学のブラスバンドと一緒に
僕がドラムをたたいて演奏し、みんなで歌いました。
すごくうれしかった。」
5日後、大きな地震が南阿蘇を襲った。」
こうして熊本地震で被災した笠浩二さんは
自身が発起人となり、熊本在住のミュージシャンやタレントの賛同を得て
熊本復興応援プロジェクト『明日へのエール once again』を発足し
現在でも活動を続けています。
実は2018年11月、Twitter上で
『笠浩二さんが3か月前に脳梗塞で倒れて、現在リハビリ中』
だという情報が流れたのです。
そこでニュースなどを調べてみましたが
脳梗塞だと言う情報は見当たらず、真相については不明ですが
2時間も倒れて搬送されたとなるとニュースになってもおかしくないですよね。
笠浩二さんで検索すると
『杖』というキーワードが出てくることから調べてみたところ
2020年10月31日にNHKで放送された
『筒美京平からの贈りもの 天才作曲家の素顔』
に笠浩二さんが出演しており、杖をついていたと話題になったのです。
ただ笠浩二さんがなぜ杖をついていたかについては不明でした。
いかがでしたか
今回は笠浩二さんの性格や若い頃・結婚の有無
そして体調や脳梗塞・杖生活の噂の真相について
紹介していきました。
今後も笠浩二さんの活躍が楽しみですね。
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。