緒形拳の命が燃え尽きるまで病魔と戦った俳優人生に涙腺崩壊…大河ドラマで活躍した大御所俳優の子供や孫の現在に驚きを隠せない…

緒形拳の命が燃え尽きるまで病魔と戦った俳優人生に涙腺崩壊…大河ドラマで活躍した大御所俳優の子供や孫の現在に驚きを隠せない…

みなさん、こんにちは。

今回取り上げるのは、昭和、平成をまたいで

比類ない存在感を示し、

多くの名演で観る者を魅了した

緒形拳(おがたけん)さんです。

俳優・緒形拳さんは2008年に肝臓がんで

死去していますが、2017年には

孫の緒方敦さんのデビューが話題になっています。
 
そんな緒形拳さんの死因や嫁と子供(長男・次男)の情報、

また息子が事故死したという

噂の真相など調査してみました。

緒形拳さんの基本プロフィールは

次のとおりです。

本名:緒方明伸(おがた あきのぶ)

生年月日:1937年7月20日

身長:173cm

出身地:東京都新宿区

まず経歴についてですが、

緒形拳さんは1937年7月20日に

東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)で

生まれましたが、その2年後には

第二次世界大戦が始まっています。

緒形拳さんの実家も空襲の被害で焼けてしまい、

小学校2年生の頃に千葉県千葉市登戸町に

家族全員で疎開したそうです。
 
そこで中学校まで過ごした緒形拳さんは東京へ戻り、

東京都立竹早高等学校を卒業すると

かねてから憧れだった俳優になるために

新国劇に入団しました。
 
緒形拳さんは新国劇の看板俳優だった

辰巳柳太郎さんに弟子入りしたいと

考えていたそうです。

緒形拳さんは辰巳柳太郎さんと並んで

新国劇の看板俳優だった島田正吾さんに

その才能を買われて舞台『遠い一つの道』で

ボクサー役で主演デビューを果たしています。

この舞台は映画化もされて緒形拳さんは

スクリーンデビューも果たしています。
 
緒形拳さんの演技力は瞬く間に注目され、

ドラマ『新国劇アワー』を始め作品に次々と出演し、

1965年にはNHK大河ドラマ『太閤記』で

主演の豊臣秀吉役に抜擢されています。
 
さらに翌年の大河ドラマ『源義経』では

弁慶役として出演し、2年連続大河ドラマに

出演したことで俳優としての

知名度は不動のものになったようです。
 
そして、1966年には新国劇でともに

活躍した女優の高倉典江さんと結婚しています。
 
緒形拳さんは2000年には紫綬褒章を受章しています。
 
近年では遺作となった2008年に公開された映画

『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』や、木村拓哉さんが

主演した2006年の映画『武士の一分』、

ドラマでは2008年に放送された中井貴一さんが

主演した『風のガーデン(フジテレビ系)』などに

緒形拳さんは出演していました。
 
『風のガーデン』は緒形拳さんの遺作となっています。

緒形拳さんは71歳で逝去されていますが

数々の名作ドラマ、映画などで活躍してきた

名俳優の緒形拳さんが2008年10月5日に

逝去したことが伝えられました。

死因は肝臓がんだと言われています。

緒形拳さんの告別式は都内の

大日本獅子吼会本堂で厳かに執り行われたようです。
 
緒形拳さんは約8年前から

慢性肝炎を患っていたそうですが、

緒形拳さんの意思で関係者には

黙っておくように周囲に通達していたようです。
 
それは緒形拳さんが役者魂により

病に打ち勝つという強い意思の表れだったようですが、

慢性肝炎から肝硬変に悪化し、

そして4年前からは肝臓がんに

病変していたということです。
 
緒形拳さんは亡くなる前日に腹痛を訴えて

都内の病院に搬送され、

肝臓からの出血があったことで手術を受けたそうです。
 
一時は病状が回復したかに見えたものの、

5日夜に容態が急変、肝臓破裂による

出血が起こりましたが緒形拳さんは

亡くなる直前までしっかりと目を見開いて

家族と会話をしていたということです。

息子の緒形幹太さんは『風のガーデン』のロケが

北海道・富良野であることから

緒形拳さんの体調を心配していたようですが、

撮影現場に出ると元気になる緒形拳さんの姿を見ると

止めることはできなかったそうです。
 
緒形拳さんは『風のガーデン』を最後まで

撮り終えて安心しきったことで

緊張の糸が切れて病状が悪化したのかもしれませんが、

命が燃え尽きるまで俳優として生きたことは

本望だったのでしょう。
 
続いて緒形拳さんと嫁・高倉典江さんの馴れ初め、

そして息子たちや孫についてもご紹介していきます。

高倉典江さんは男ばかりの新国劇の中で

貴重な娘役女優だったことから

恋愛の競争率は高かったと思いますが、

当時俳優としてのキャリアは駆け出しに近かった

緒形拳さんにとって高嶺の花でしたが

楽屋で初めて会って恋に落ちてから

結婚を約束して交際をスタートさせたようです。

緒形拳さんと高倉典江さんは7年越しの恋愛を実らせて

結婚したということなので、馴れ初めは

1959年頃のまさに緒形拳さんが

新国劇に入団して翌年のことでした。
 
新人俳優ながらホープと期待されていた

緒形拳さんのカリスマ性に高倉典江さんも

一瞬で恋に落ちたのかもしれません。
 
緒形拳さんは高倉典江さんと1966年に結婚し、

1968年に新国劇を退団してテレビドラマや

映画の世界で活躍を続けてきました。
 
緒形拳さんと高倉典江さんの間には

2人の息子と1人の娘が生まれ、

長男の緒形幹太さんと次男の緒形直人さんは

ベテラン俳優として現在も活躍しています。
 
3人兄弟は年子であり、緒形幹太さんと緒形直人さんは

10ヶ月しか違わないため双子と勘違いされることもあり、

テレビで共演した時には年齢が同じだったりすることから

誤植を疑われることもあったようです。
 
10ヶ月違いだと兄弟でも学年が一緒になることが

あるのは面白いですが、緒形幹太さんと

緒形直人さんは学年は違うようです。

緒形幹太さんは日本大学を卒業後に緒形拳さんの所属する

事務所で小林稔侍さんのマネージャーをする内に

俳優を志すようになったそうです。
 
1989年にドラマ『淋しい女は太る(TBS系)』で

俳優デビューを飾っています。
 
緒形幹太さんの嫁は不明ですが、

子供は長女と次女がいるようです。

緒形幹太さんは緒形拳さんと2001年公演の舞台

『信濃一茶』や、2005年公開の映画

『蝉しぐれ』などで親子共演を果たしています。
 
また、ジャニーズの大御所である東山紀之さんとは

幼馴染であり、緒方直人さんを含めて

交流があるようです。
 
過去にトーク番組『A-Studio』に東山紀之さんが出演した際に

緒形幹太さんとのエピソードを語っており、

緒方家での鍋パーティに招かれてお酒が回ったところで

緒形幹太さんにふざけてヘッドロックをかけたところ

入りどころが悪くて

翌日レントゲンを取る羽目になったようです。
 
緒形幹太さんは緒形拳さんと同様に書家としても知られ、

緒形拳さんの作品と一緒に個展

「二人展」も開催したことがあるようです。

緒形直人さんは1987年に青年座研究所に入所し、

演技の勉強を学ぶ中で映画

『優駿』で俳優デビューを果たしました。
 
その後、緒形直人さんは1989年青年座へ入団して

舞台とテレビドラマ、映画において

現在まで第一線で活躍を続けています。
 
ただ、2015年以降テレビで姿を見かける機会が

減ったことからネットでは「干された?」とも

噂されたようですが、

2017年には藤原竜也さん主演のドラマ

『人間の証明』に出演し、

映画にはほぼ毎年出演しているようです。

孫の緒方敦さんはアメリカの高校を卒業後、

現地の大学へ進学が決まっていました。

しかし本気で俳優になりたいと思い帰国。

素性を伏せたままオーディションに挑み、

合格したそうです。

緒形拳さんが他界した時は

まだ小学6年生だった敦さん。

敦さんにとってはいつも優しい祖父であり、

かたや緒形拳さんは、敦は目鼻立ちがいいから

俳優になるかもと笑っていたそうです。

最近では2世、3世を名乗ることは

マイナスポイントにしかならないと

みる向きもあるようですね。

優遇されているというイメージや

下積みを経ずにデビューすることへの

不安視があるのでしょう。

敦さんも仕事で結果を残せなければ

七光りの印象は拭えないかもしれません。

俳優としての真価が問われるのはこれからですね。

最後までご視聴ありがとうございました。

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それでは、また。

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