みなさん、こんにちは。 昭和の大スターの一人である、舟木一夫さん。 橋幸夫さん、西郷輝彦さんと併せて御三家と いわれていますね。最近では橋幸夫さんが 46年連れ添った妻と熟年離婚し若い女性を 妻にしたことが話題ですが、 舟木一夫さんはそんなこと無いですよね? 舟木一夫さんの現在はどうなのでしょうか。 あまりテレビで見る機会もないので気になりますよね。 息子は慶応大学を卒業したといううわさもありますが、 本当でしょうか。また妻との関係は良好なのでしょうか。 橋幸夫さんのようにバッシングを受けるような 事態にならなければ良いですか。 ではまず、舟木一夫さんの プロフィールを見てみましょう。 舟木一夫さんといえば高校生活をテーマにした 曲が人気ですよね。 特に「高校三年生」は発売から1年で 100万枚を売り上げるほど。大記録でした。 第5回日本レコード大賞新人賞を受賞し、 大スターの道を歩むことになるのです。 舟木さんの、プロフィールを紹介します。 ・名前:舟木一夫 ・本名:上田成幸 ・生年月日:1944年12月12日 ・身長:172cm ・血液型:O型 ・出身:愛知県一宮市 舟木一夫さんの奥さんは、紀子さんという方。 1974年に結婚していますね。 一般の方なのであまり情報はありませんが、 この1974年という時期は舟木一夫さんが スランプに陥っている時期。 献身的に支えるタイプの女性なのかもしれませんね。 舟木一夫さんと妻の紀子さんの間には一人息子がいます。 上田純さん(舟木一夫の本名は上田)という名前です。 1980年に生まれて、現在は38歳ということになりますね。 慶応大学を卒業したという経歴を持ちます。 頭脳明晰な方なのかもしれませんね。 1970年までは大スターとして人気が 衰えることがなかった舟木一夫さん。 しかし1970年以降、徐々に人気は低迷していきます。 時代は移り、歌謡曲の人気は衰えていきます。 当然、仕事は激減。急激にスランプに陥った 舟木一夫さんは、1970年から3年間、 毎年自殺未遂をしています。 結局1973年に心身の不調を癒すために、 芸能活動を休止。 さらにこの時、年の離れた弟を亡くすという 不幸が襲います。まさに人生のどん底を味わっている ときだったのです。 しかし翌年、1974年に紀子さんと結婚。 奥さんとともに、このスランプと 戦っていたのが想像できますね。 舟木一夫の現在の復活!「これでいい」 そしてデビュー30周年を迎えたとき、 中高年の女性たちのアイドルとして再臨。 同じ時代を生きた人にしか共感して もらえない曲ではあるが、これでいいのだと、 改めて自分の歌に自身をもって歌うことができるようになりました。 現在もテレビや舞台でその活躍を見せています。 もちろん昭和の時のようには生きませんが、 共感してくれる人のためにと、 自分の居場所を見つけたのでしょうね。 根強いファンに支えられて、 これからも活躍を続けていくことでしょう。 舟木一夫さんは、幼少期の時から 波乱万丈な人生を歩んでいます。 父が事業に失敗して離婚。 父に引き取られて、極貧生活を送ることになります。 舟木一夫さん自身が子供を一人しかなさなかったのも、 そう言った苦労を経験してきたからこそ、 一人息子を大切にしたいという思いからではないでしょうか。 また、父の女性関係はあれていたそうです。 舟木一夫さんが母と呼んだ女性は合計で9人。 でもそのうち、心から母だと思って呼べた人は、 果たしていたのでしょうか。 子供の時からそう言った壮絶な経験をしているからこそ、 心に響く曲を歌うことができるのかもしれませんね。 また、舟木一夫さんはスランプを迎えているときに 弟を亡くしています。しかし弟といっても、 母は9人いたほどです。 当然、同じ母から生まれた兄弟ではありません。 年齢も、弟は13歳年下だったようですね。 そんな弟を養うために、舟木一夫さんは 新聞配達のアルバイトをしていたといいます。 お金がなく本人も極貧生活なのに、 さらに弟を作ってしまう父に恨みを 覚えたことでしょうね。 しかし罪のない弟を可愛がっていた 舟木一夫さん。 ところがその弟も亡くなってしまったのですから、 舟木一夫さんが自殺したくなるのも 仕方ないのかもしれません。 スランプの時に出会った奥さんですが、 どのような経緯があったのでしょうか。 残念ながら、この時の話はあまり出回っていないようです。 仕事が減っていた時期ですから、 仕方がないですね。 しかし仕事が無い時に出会ったということは、 仕事関係ではなく、別の場所で出会った可能性が高そうですね。 また、舟木一夫さんは息子さんである 上田純さんに、 「男同士の口約束は絶対に守れ」と 教育をしたそうです。 純さんが「自分の部屋が欲しい」といった時に 舟木一夫さんは「あと2年待てるか」といい、 実際に2年後に部屋を与えたそうです。 もちろん約束を守ることは大切なのですが 「男同士」に限定しているところが気になりますね。 別に女性との約束は破っていいという 意味ではないと思いますが、 おそらく幼少期の経験が関わっていると思います。 両親の離婚後父に引き取られて、 男同士で暮らして、その中で約束を守ってもらえず 悔しい思いをしたことがあるのかもしれませんね。 実は舟木一夫さんはファミコンをはじめとした レトロゲームが好きだそうです。 ファミコンが発売されたのは1983年。 まだスランプに悩んでいた時期でしょうか。 仕事が少なかったので、 家にいることが多かったのかもしれませんね。 息子さんが生まれた時期が1980年ごろですから、 親子で楽しんでいたのかもしれません。 父のおかげで苦労した舟木一夫さん。 早く自立してお金を稼ぎたかったから、 歌手の道を選んだそうです。 好きであるというより、苦労が産んだ結論だったんですね。 「松島アキラショー」にて「湖愁」を歌わないかといわれ、 名乗りを上げたのが舟木一夫少年だったのです。 そこの偶然居合わせたのが、 「週刊明星」の記者。橋幸夫さんの 対抗馬として選ばれることになったのです。 ちなみに本来舟木という名前は、 橋幸夫さんに与えられる名前だったそうです。 しかし橋幸夫さんは日本コロムビアの オーディションに落ちたため、 代わりに舟木一夫さんがもらうことになりました。 先ほども弟のために 新聞配達をしていたというエピソードを紹介しましたが、 まだあります。 PTAのお金が払えなかったり、 学校に弁当を持っていけないときは、 走って家に帰って、ごはんにソースをかけて 食べていたのだとか。 だからこそハングリー精神が芽生え、 歌手を目指すに至ったのでしょうね。 以上、舟木一夫さんの現在の妻や子供の情報、 またこれまで経験してきた苦節のエピソードを 紹介しました。 大スターと呼ばれる人も常に順風満帆というわけではなく、 山あり谷ありの人生を送っているんですね。 だからこその心に響く歌なのでしょう。 また、そう言った苦労を経験してきた成果、 スキャンダルのようなものはありませんね。 奥さんとも仲睦まじく暮らしているのではないでしょうか。 同じ大スターでも浮気を繰り返す 橋幸夫さんとはかなり違うようです。 これからも活躍を続けてほしいですね。 最後まで、動画をご視聴いただきありがとうございました。 コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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