若尾文子の亡くなった夫との最期の会話に涙腺崩壊…”着物”が日本一似合う大女優の元夫に離婚時支払った慰謝料額に耳を疑った…
みなさん、こんにちは。
戦後の日本映画界を代表する女優であり、大映の看板女優として
名だたる巨匠の名作や、文芸映画に数多く出演した
若尾文子さん。
ソフトバンクのCMでは、コミカルかつシュールな世界観を
さすがの貫禄で演じて、若い世代にもファン層を広げました。
そんな若尾さんですが、バツイチだったことを知っていますか?
2007年に死別した夫・黒川紀章さんは、
再婚相手ということになりますが
初婚の夫はどんな男性だったのでしょう。
前夫と結婚した理由として取り沙汰される
「菅原謙次」という人物は誰なのか、
そして、若尾文子さんに子供はいるのかについても調べました。
さらに2022年現在、若尾さんが住んでいるマンションの住人が
超大物だらけと噂されています。
居住者はどんな顔ぶれになっているのでしょうか?
また、着物を美しく着るための秘訣や
若尾さんの性格についてもみていきます。
近年はソフトバンクのCMの「白戸家のおばあちゃん」として
若者にもすっかりおなじみになった、若尾文子さん。
ファン層が一気に広がり、平成世代には「あやや」 と呼ばれ
親しまれるようになりました。
日本映画黄金期には、そのあどけなさとクールさ、
可憐さと妖艶さ、聖と俗といった二面性を
三島由紀夫さんが「氷いちごのよう」と例えています。
そんな大映の看板女優も
1971年に大映が倒産してから関わった映画は、わずかに3本。
三島由紀夫原作の『春の雪』を最後に、
残念ながら映画の出演情報が聞こえてこない若尾さん。
高齢とはいえ、寂しく感じる往年のファンは多いでしょう。
2022年に89歳を迎えることもあり、
近年は表舞台で活躍することはあまりないようです。
2020年開催の「若尾文子映画祭2020」に登壇された際は
「かつて仲間たちとともに作り上げた作品は、
大切な宝物であり、映画のすばらしさを感じて頂ければ幸い」と
コメントを寄せました。
そんな、現在でもご健在である若尾さんの夫が、
建築家の黒川紀章さんであることは有名ですが、
両者ともに再婚だったことは
あまり知られていないかもしれません。
2人の出会いは、
1976年のテレビ番組『すばらしき仲間』での対談でした。
黒川さんは若尾さんの熱烈なファンで、
その美しさを「ヨーロッパのバロック美術」に例えています。
しかし、その当時黒川さんは妻子がいる身。
二人は同棲をはじめますが、晴れて夫婦になったのは7年後。
すぐに入籍できなかったのは、
黒川さんの妻が、娘が成人するまで離婚に応じなかったためです。
「若尾文子は日本の宝、僕が独り占めしてはいけない」
という持論をもっていた黒川さん。
女優としての妻をリスペクトしていたことがわかりますね。
お互いの生活リズムが違うため、
別々に暮らしていたこともありますが
夫婦仲はいたって円満でした。
黒川さんは2007年に、すい臓がんでこの世を去りますが、
最後の最後まで、がんであることを妻に伏せていたそうです。
息をひきとる2日前、若尾さんが、
「自分は良い奥さんではなかった」と告げると、強く否定し、
「本当に好きだったよ」と言われたのが
最後の会話になったそうです。
最期まで仲睦まじかった黒川さんと結婚する前、若尾文子さんは
1963年に商業デザイナーの西舘宏幸さんと、
最初の結婚をしています。
西舘さんと出会ったのは1959年の春で、場所はパリ。
まだ海外渡航が自由化されていなかった当時、
ドイツで開かれる映画祭に出席するため、渡欧。
ヨーロッパ訪問の最後に立ち寄ったパリで、
ガイドを担当したのが西舘さんでした。
帰国後に文通がスタートし、若尾さんは3年後に再びパリへ。
二人で旅行したローマで、西舘さんのプロポーズを受けました。
「完璧に私の理想の男性」と、のろけていた若尾文子さん。
しかし結婚生活はまもなく破綻し、
1968年、離婚が未成立のまま離婚を発表。
離婚を渋る夫に業を煮やした若尾さんが、
既成事実を作るため、開いた離婚会見といわれています。
離婚劇は泥沼化して調停に発展し、
結局、夫に1000万円の慰謝料を払って、翌年に離婚が成立。
ここで誰もが気になるのが、
不貞を働いたわけではない若尾さんが、
なぜ慰謝料を払ったのかということです。
当時の1000万円は、公務員の初任給で比較すると、
2020年代では約7000万円。
いわゆる高額の「手切れ金」を払ってでも、
とにかく別れたかったのではないか という見立てが強いですね。
気になる若尾文子さんの子供についてですが、
黒川紀章さんと再婚したのは50代を迎えた頃で、
この結婚生活で子供はもうけていないようです。
ですが最初の結婚は30歳頃なので
出産するチャンスはあったはず。
情報を非公開にしている可能性もありますが、
二度の結婚を通じて、
子供はもうけていないという見方が多いようです。
西舘宏幸さんとの離婚の理由については、
夫側からも妻側からもはっきりした説明はありませんでした。
よくわからないのが破局に至った真相です。
格差婚もひとつの原因と推測できますが、
わかっているのは数回会っただけで
若尾さんが結婚を決めたこと。
結婚を急いだ理由としてささやかれているのが
菅原謙次さんの存在です。
菅原謙次さんは1951年に大映から映画デビューし、
二枚目スターとして、数多くの映画に主演した俳優。
菅原さんの主演映画に若尾さんは相手役として出演しており、
ともに勉強会も立ち上げていました。
二人は同じ大映の俳優であり、
恋人同士だったのですが、
会社に無理やり別れさせられることに。
ヨーロッパ訪問は、その直後のことでした。
帰国した若尾さんは、菅原さんの結婚を知って愕然とします。
西舘宏幸さんとの結婚は、
女性としてのプライドを傷つけられた若尾さんの、
当てつけ結婚だったのではないかと考える関係者も多いようです。
2007年に夫の黒川紀章さんと死別し、
未亡人となった若尾さんは、
それまでのマンションが独りで暮らすには広くなり、
老朽化が進んだこともあって引っ越しをすることに。
その時に選んだ物件が
2022年現在も暮らしているマンションです。
テレビプロデューサーの石井ふく子さんや、
女優の奈良岡朋子さんも住んでいることで話題のこのマンション。
彼女たちだけでなく、
2019年に他界した京マチ子さんもかつての住人でした。
まず奈良岡さんが新聞の広告で見つけて石井さんにすすめ、
モデルハウスを見に行った石井さんが即決。
そのあとに奈良岡さんが越してきて、
若尾さんは不動産関係者の紹介で決めたとのこと。
3人とも独り暮らしということで、
お正月には石井さんの部屋に集まって
お祝いをするのが恒例になっているそうです。
大物プロデューサーに大物女優という豪華すぎる顔ぶれですが、
女子会トークに花を咲かせることもあるのでしょう。
マンションは24時間対応の有人管理サービスがあり、
近くには区役所、郵便局、病院もあるそうです。
これらの条件に該当する高層高級マンションとして、
千代田区の東京パークタワーと、
中央区の銀座タワーが挙げられています。
そして、着物姿の美しさから海外での人気も高い若尾文子さん。
そもそもひと昔前の日本映画は、
女優の着物着用率が高いのですが、
それを差し引いても若尾さんは
着物姿の印象が強く、洋装のイメージが希薄です。
人それぞれだとは思いますが「着物姿が絵になる大女優」
というと真っ先に思い浮かぶのがこの方
という視聴者も多いのではないでしょうか。
その着こなしはまさにお手本にしたいところ。
銀幕のなかの女優たちの着物の着こなしを研究した
『着物女のソコヂカラ』という本には、
若尾さん流の着付けや、着こなしの秘訣が
ご本人の言葉で紹介されています。
着物姿で自由に動けるようになるには、
まずは着物を身につけて動く練習をすること。
常に背筋を伸ばすこと。
背筋に気をつけてさえいれば、
衿が多少崩れても見栄えが悪くならないこと。
「着物を着こなす」というのは単に着ることではなくて、
着物姿で自然に動けるようになった時が出発点であること。
日常生活から着物が消えてしまった今どきの女性にとっては、
往年の日本映画は生きたお手本の宝箱といえそうです。
そして若尾文子さんは
過去に自身の性格について語ったことがありました。
子供の頃はおとなしく、
学校でもほとんどしゃべらず読書ばかりしていたため、
ついたあだ名は「石仏」。
女優を志した理由は、
読書をすると主人公の気分になれるのと同じように、
自分ではない誰かになりたかったから。
「あなたには白と黒が似合う」と夫に言われてからは、
私服はほとんどモノトーン。
生まれて初めて料理をしたのも黒川さんのためでした。
再婚後は仕事をセーブして主婦業に努め
夫に尽くしていたという若尾さん。
妻として、夫の健康を最優先していたことがうかがえます。
昭和の大女優である若尾さんが
「犬のお母さん」という奇抜な役を演じることに
抵抗はなかったのかが気になりますが、
意外にも「面白い」と思ったとのこと。
文子おばあちゃん役はオファーを断る女優もいそうですが、
若尾さんは快諾したそうです。
そういう好奇心を持ち続けていることが、
今の若者にもウケるポイントなのかもしれませんね。
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