西郷輝彦の最期までの闘病生活や元嫁・辺見マリとの本当の離婚理由に涙が零れ落ちた…「星のフラメンコ」で人気の歌手の子供達の現在や職業に一同驚愕…
みなさん、こんにちは。
星のフラメンコなどの、ヒット曲やテレビ時代劇
江戸を斬る、などで人気を博した、歌手で俳優の西郷輝彦さんが
2022年2月20日に死法したと報道されました。
今回は、西郷輝彦さんの闘病生活と、現在の嫁と娘についてご紹介します。
まずは簡単に西郷輝彦さんのプロフィールからご紹介します。
名前:西郷輝彦(さいごうてるひこ)
本名:今川盛揮(いまがわせいき)
生年月日:1947年2月5日
出身地:鹿児島県鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)
血液型:A型
身長:176cm
歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に「御三家」と呼ばれ
芸名は維新の三傑の一人西郷隆盛とのこと。
それではさっそくですが、西郷輝彦さんの、闘病生活についてご紹介します。
西郷輝彦さんは、11年に前立腺がんを患い、手術を受けて幹部を摘出。
それから6年後の2017年11月に再発が発覚。
背中に激痛が走り、すぐさま検査をしたところ、
医師から告げられたのは「骨へのがん転移」。舞台の降板を余儀なくされた。
17年11月に再度、診断されたのは、去勢抵抗性前立腺がんでした。
17年にがんが、再発した際に、放射線と抗がん剤による治療をスタート。
あまりの進行の速さに、当時、主治医は緩和ケアをすすめたが、
西郷は完治を諦めず、積極的な治療を選んだ。
その日々は、決して穏やかなものではなかった。
2018年1月、自身のブログでこう綴っていました。
抗がん剤を2本投与しました。
昨日まではなんともなかった髪が、次の日にはどっさり抜けて。と
治療の辛さを、記しています。
それでも2019年にドラマに出演するなど、このままがんの進行を抑えながら
仕事を続けられるのではないかと、闘病を知る、身内や関係者、ファンの全ての方が
放射線の治療や抗がん剤の投与の効果を期待していました。
しかし、運命とは残酷なもので、医者から、がんが進行していると告げられる。
進行度はステージ4と告げられ、誰しもが緩和治療に移行するほど進行していたのです。
前立腺だけだったがんも、背中や胸の広範囲に転移していました。
しかしそんな絶望的な状況でも、西郷輝彦さんは諦めませんでした。
もう74才まで生きたんだ。あとは静かに面白おかしく暮らせって思うでしょ。
でもね、まだやりたいことがたくさんあるんだよ。
願いはただひとつ。なんとか、もう少しだけ好きな仕事をさせてほしい。
と、西郷輝彦さんのyoutubeにてこう語られていました。
本当に仕事が大好きで誇りに思っていたことが分かりますね。
ステージ4と宣告され、できる治療は全て受けてしまっていました。
どうするかと、考えていると日本ではまだ未承認の治療法が見つかり
一つの希望が繋がります。
選んだのは「PSMA治療」というもの。
オーストラリアに滞在しながら、
3回にわたって注射による薬の投与を行うというものでした。
西郷輝彦さんは、
2021年4月にオーストラリアへ渡り、日本ではまだ未承認の
最新治療を受け、がんが消えたと報告していました。
動揺していた。なぜなら、減るはずの数字が逆に増えていたからだ。
1回目で効果がないということは、体質的に合わないのか
残り2回で本当に効果があるのか?
オーストラリアでの治療が最後の希望だっただけに、
結果はとても重いものとなりました。
しかし、西郷輝彦さんは諦めませんでした。
2回目の投与に向けて、主治医たちとミーティングを重ね、
ほかの薬との併用や投与の方法など、成功する方法を模索しました。
そして迎えた2回目の薬剤投与。西郷輝彦さんは祈るような気持ちで結果を待った。
そしてCT画像を見た瞬間、こう叫んだようです。
がんが消えた!
オーストラリアでの治療は効果があったのでした。
西郷輝彦さんは、治療後、8月の24時間テレビに生出演し
笑顔で、がんが消えた画像をこの目で見たんです
奇跡は起こりますと報告していました。
その後、西郷輝彦さんの活躍をまた見ることができると思われていましたが
2022年2月20日に前立腺がんの再発により、お亡くなりになりました。
誰しもが、緩和ケアへと移行すると言われるほどの病状だったのに
抗がん剤治療を希望した、西郷輝彦さん。
諦めずに治療を行い、良い結果がでていただけに残念な結果です。
心から、心からお悔やみ申し上げます。
次は、西郷輝彦さんの元嫁、現在の嫁、子供の有無についてご紹介します。
西郷輝彦さんは、二度結婚されており、
嫁が二人、娘四人、息子が一人と言われています。
まずは、西郷輝彦さんの、元嫁からご紹介しますね。
元嫁は、歌手として有名な辺見マリさんです。
西郷輝彦さんと、辺見マリさんは、
1972年に軽井沢で電撃結婚し話題となりましたが、
1981年に性格の不一致により離婚しています。
そんな2人の離婚原因は、
当時、歌手に時代劇にと多忙だった西郷輝彦さんが
自宅に帰るのが、週に1度だけの
すれ違いの生活だったからと言われています。
そして、1990年に西郷輝彦さんが、所属していた、事務所に勤務していた
19歳年下の一般女性の方と、再婚をしています。
西郷輝彦さんの再婚相手は、社長令嬢だと言われており
再婚当時は、二人で会見も開いていたそうです。
次は、西郷輝彦さんの子供についてご紹介します。
西郷輝彦さんと、最初の嫁、辺見マリさんとの間には
娘が一人、息子が一人います。
西郷輝彦さんと辺見マリさんの長女は、
現在タレント・女優として、活躍している辺見えみりさんで有名です。
そんな辺見えみりさんは、自身が4歳の時に両親が離婚していることから、
子供の頃は、父親のことを覚えていなかったそうです。
そして母親である辺見マリさんからは、
お父さんは西っていう漢字がつく、歌を歌っている人と説明されていたことから、
昔は父親を別の人と勘違いしていたとのことです。
また、西郷輝彦さんと辺見マリさんとの間にはもう一人、子供がいます。
それが長男、辺見鑑考さんです。
18歳の時からタレントのマネージメント業を始めています。
また、2001年には『Changin’ My Life』
2003年に『爆音カフェ』のバンドでリーダーとして活躍し、
現在は、『辺見プロモーション』の代表を務め、実業家として活躍しています。
そして1990年に再婚した、一般女性との間には三人の娘がいます。
次女が貴恵(きえ)さん、
三女が朝佑衣(あゆき)さん
四女の雅梨乃(まりの)さん
四女の今川雅梨乃さんは、今川宇宙という芸名で、芸能活動を行っています。
そして、次女の貴恵さんと、三女の朝佑衣さんは一般人なため
名前しか公表されていませんでした。
ちなみに、娘3人とも難しい読み方の名前ですが、
西郷輝彦さんが、親孝行の一貫として、
お父さんに頼み、名付けてもらったそうです。
お父さんは、夜も寝ずに画数を考えて
名前をつけてくれたそうですよ。
西郷輝彦さんは、どんな状況でも諦めず
治ることを信じ、とても辛い治療に挑んでいました。
そんな強い精神力を受け継いだ、息子さんや娘さんの
活躍をこれからも期待したいですね!
最後までご視聴ありがとうございました。
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それでは、また。