雪村いづみの現在…波乱万丈な半生や耳を疑う借金額に一同驚愕…美空ひばりと共に『三人娘』と称された人気女性歌手の娘の職業が衝撃的すぎた…

雪村いづみの現在…波乱万丈な半生や耳を疑う借金額に一同驚愕…美空ひばりと共に『三人娘』と称された人気女性歌手の娘の職業が衝撃的すぎた…

みなさん、こんにちは。

1953年、テレサ・ブリュワーのカバー曲

「想い出のワルツ」でレコードデビューされると、

たちまちヒットを記録し人気歌手の仲間入りを果たされた、

雪村いづみさん。

その後も、「青いカナリヤ」「オウ・マイ・パパ」などのヒット曲を連発し、

ポップス、ジャズ、カントリーなど

様々なジャンルを歌うことができる

実力派シンガーとして活躍されています。

今回は、そんな雪村いずみさんの

結婚や娘、また現在について

ご紹介していきましょう。

まずは、雪村いずみさんについて調べてみました。

雪村さんは、1937年3月20日生まれ、

東京府東京市目黒区大岡山のご出身だそうです。

本名は、朝比奈 知子 (あさひな ともこ)さんです。

愛称は、本名から「トン子」「トンちゃん」と言われ、

学歴は、川村女学院を中退されています。

趣味は、ビーズアクセサリー作り、囲碁。

特技は、絵画だそうです。

そんな雪村さんはどんな人生を歩まれたのでしょう。

雪村さんのお父さんは、終戦後、

通信社に勤められていたのですが、その一方で、

音楽を深く愛し、

ギターやウクレレはセミプロ級の腕前を持っておられました。

また進駐軍の関係者が家に出入りし、

生の英語が飛び交うような家庭だったため、

雪村さんは、日常的に音楽や英語に触れる環境で育たれました。

しかし、1946年、雪村さんが9歳の時、

お父さんが自殺し、雪村さんの生活は一転。

お母さんは洋裁店を開いて生計を立てようとするも、

経営はうまくいかず、生活は困窮。

雪村さんは、高校に通うことすらできなくなってしまいました。

高校受験には合格するも、学費が払えず、

入学を断念したとも言われています。

そんな雪村さんは、1952年の15歳の時、

麻布の知り合いの家で、

お手伝いさんを募集していることを知り、

家計を支えるために雇ってもらおうと訪ねられたそうですが、

か細く小柄だったことで断られてしまいます。

がっかりした雪村さんは、新橋にある「フロリダ」というダンスホールまで、

とぼとぼと歩いて行かれ、

お母さんの知り合いであるこのダンスホールのマネージャーに

アイスクリームをご馳走になっていました。

すると突然、

「あ、英語の『ビコーズ・オブ・ユー』なら唄えるかもしれない」

と、ひらめいたそうで、

このダンスホールで歌わせてもらおうとお願いされたそうです。

すると、マネージャーはすぐにOKしてくれたそうで、

雪村さんはぶっつけ本番で歌うことに。

雪村さんは、『それで大きいマイクを前に一生懸命歌ったら、

ダンスしていた人たちがみんな踊りを止めて、

ステージに寄ってきてくれて、拍手してくれちゃったの。

で、「明日からおいで」って言われたのよ。

だから、私はメイドさんになり損なった日に歌手になっているの。』

と、当時を振り返っておられます。

こうして歌手活動を開始された雪村さんは、

同年5月、日劇ミュージックホールのレビュー

「サンマー・スキャンダル」で、

煙草売りの少女役に合格。

7月には歌手として初舞台を踏まれると、8月下旬には、

芸能プロダクション「木倉音楽事務所」の社長である木倉博恭さんに見出され、

同プロダクションに入所。

秋には、日劇「秋のおどり」や進駐軍クラブにも出演し、

人気を博します。

そして、翌年の1953年4月、テレサ・ブリュワーのカバー曲

「想い出のワルツ」でレコードデビューされると、

たちまち20万枚の大ヒットを記録したのでした。

その後も次々とヒットを飛ばし、一躍人気歌手となられると、

当時の人気少女歌手であった、江利チエミさん、

美空ひばりさんとともに「三人娘」と呼ばれ、

その人気を不動のものにされたのでした。

そんな雪村さんは、1956年頃から、

俳優のミッキー・カーチスさんと交際されています。

ただ、ミッキーさんとはその後進展がなく、

1960年には、ミッキーさんに相談することなく、

アメリカ公演「ホリデイ・イン・ジャパン」のため渡米。

それを知ったミッキーさんがあわてて、出発直前に婚約指輪を贈られたそうです。

しかし雪村さんは、渡米後、テンプル大学に通う学生、

ジャック・セラーさんと知り合われ、

翌年の1961年、日本へ連れて帰ると電撃結婚。

そして、1962年には女の子を出産されています。

この雪村さんの一方的な婚約破棄後の結婚は、当時のマスコミから叩かれたのですが、

1966年には、セラーさんともあえなく離婚されています。

そして、離婚された同年の1966年、雪村さんは渡米されているのですが、

その翌年の1967年には、

アメリカでバリトンサックス奏者の原田忠幸さんと再婚。

雪村さんは、この頃、アメリカで活躍することを夢見ておられ、

その実現のため、当時日本でミュージシャンとして活動されていた

原田さんを同行する形で渡米されたようです。

そんなお二人は、サンタモニカのアパートで新婚生活を始めるのですが、

やはり、後には離婚。

ただ、原田さんはインタビューで、雪村さんとの思い出も交えながら、

当時のアメリカでの生活を楽しそうに語っておられましたので、

憎しみ合って別れたわけではないのかもしれませんね。

ちなみに原田さんとの離婚後は、1970年代、

「劇団四季」の俳優である飯野おさみさんと

事実婚状態にあったと言われていますが、

後に破局。現在は独身です。

ところで、雪村さんには最初の結婚で出産された娘さんがいらっしゃるのですが、

その方は、タレント、画家として活動されている、

朝比奈マリア(あさひな マリア)さんです。

雪村さんは、マリアさんとは仲が良いようで、

2008年頃はマリアさんと、マリアさんのご主人、お孫さん、

そしてマリアさんのご主人のお母さんと、一緒に住んでおられたそうです。

そんな雪村さんは現在

何をされているのでしょうか。

帰国後の1964年には、ミュージカル映画

「君も出世ができる」に出演されると、

映画への出演はいったん途絶え、

ミュージカルへと活動の場をシフトしていかれます。

ただ、歌手活動は依然と精力的に継続され、

1970年の「第一回東京国際歌謡音楽祭」では、最優秀歌唱賞を受賞。

さらに1972年には、「第1回東京音楽祭」

ではグランプリを受賞するなど、その実力を見せつけられています。

また、近年では32年ぶりとなる映画、「そうかも知れない」に出演。

2014年には、佐野元春さんとのコラボレーションアルバム、

「トーキョー・シック」をリリースされるなど、

現在も意欲的に音楽活動を継続中です。

さて、いかがでしたでしょうか?

2013年でデビュー60周年を迎え、

現在は80歳を迎えられている雪村さんですが、

佐野元春さんとのコラボは、

ご自分からファンレターを書いて実現したということで、

歌への衰えぬ情熱には驚かされるばかり。

そんな雪村さんからは、今後も目が離せませんね。

最後まで動画をご視聴いただき、ありがとうございました。

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それでは、また。

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