飯島愛が占い師に放った衝撃の”二文字”や晩年の『ASKA』との耳を疑う関係に一同驚愕!多くの人気バラエティ番組で活躍したタレントの謎置き最期の真相…ある事件との関係性に驚きを隠せない…!

飯島愛が占い師に放った衝撃の”二文字”や晩年の『ASKA』との耳を疑う関係に一同驚愕!多くの人気バラエティ番組で活躍したタレントの謎置き最期の真相…ある事件との関係性に驚きを隠せない…!

みなさん、こんにちは。


明るい性格と頭の回転の速さから、


数々の人気バラエティ番組に出演し


女性の支持も熱かった


タレントの飯島愛さん。


突然芸能界を引退した理由や、


若くして訪れた彼女の死の真相には


多数の真偽不明の情報、不可解な点や


“女子高生コンクリート詰め殺人事件”という


残酷な事件との関係が囁かれています。
 
今回は、改めて彼女の経歴や突然の引退、


そして謎の死に至る流れを調べてみました。


それではまず、飯島愛さんの


プロフィールから見ていきましょう。


まず飯島愛さんの本名は、大久保松恵さんで、


生年月日は1972年10月31日です、


没年月日は2008年12月17日で


当時の年齢は36歳でした。


ワタナベエンターテインメントに


所属していた飯島愛さんの半生は


自伝的小説『プラトニック・セックス』に


詳しく綴られています。


厳格な家庭の長女として生まれ育ち


小学生までは成績が良く、


おとなしかったという飯島さん。


しかし中学1年の頃に


精神的な支えでもあった祖父が亡くなったことから


精神のバランスを保てなくなり、


両親からのプレッシャーにも耐え切れず


非行に走るようになったそうです。


高校には、入学したものの一学期で退学。


家出同然のまま


彼氏との短い同棲生活等を経て、


文京区湯島のカラオケスナックで


ホステスとして働き始めました。


この時飯島さんは16歳になったばかりでしたが


19歳と自称して働いていたそうです。


程なく年齢詐称がバレて解雇となったようですが、


実家には戻らず、バブルで華やいでいた六本木や銀座で


“おミズの花道”を謳歌していたようです。


その後1990年末に、18歳の飯島さんは


ニューヨークへ旅行したことから


その自由さに衝撃を受け、


「いつかここに留学して英語で遊びたい」


と強く思ったそうです。


この旅行を経て、留学費用の捻出を始めたことや、


当時クラブの客が踏み倒した


売り掛負担金300万円の返済があり、


まとまったお金が欲しいという気持ちから、


1992年に18歳でAVデビューをしました。


契約は3ヶ月だったそうですが


デビューするや、その可愛らしさと


スタイルの良さ、そして何より、


彼女のトレードマークとなる


“Tバック”が人気を呼び、


たちまちAV女優として一世を風靡しました。


そんな時、お笑い芸人の


とんねるず・木梨憲武さんが


飯島さんのファンだったことから


フジテレビ系列のバラエティー番組


『とんねるずのみなさんのおかげです。』に


ハプニングゲストとしてテレビ初出演しました。


これをきっかけに、1992年2月からは


テレビ東京系列の深夜番組


『ギルガメッシュないと』の


レギュラー出演が決まるなど


徐々に活躍の場を芸能界へ移行していきます。
 
その後はフジテレビ系列


『タモリのSUPERボキャブラ天国』や


読売テレビ系列


『紳助のサルでもわかるニュース』など


様々なバラエティー番組に


レギュラー出演するようになります。


特にTBS系列の


『中居正広の金曜日のスマたちへ』や


『サンデージャポン』などは、


彼女が存在感を示した番組と言えますね。


1997年には事務所を


ワタナベエンターテインメントに移籍。


副社長だった渡辺ミキさんの助言を受けて


2000年に刊行した半自伝的な小説


『プラトニック・セックス』では、


かつて受けたリンチ被害の話や


AV出演で、性病に感染し、


中絶手術を経験した話や、


過去に整形手術の経験があった


などをカミングアウトし、


2009年までの数年間で、


170万部を売り上げるベストセラーになりました。


この作品は映画化、テレビドラマ化もされ、


飯島さんの人気は鰻登りでした。


印税収入などで、


彼女は渋谷の高層マンションに住み始めますが、


この時期から体調の異変が目立ち始めます。


健康問題は10代からあった様で、


腎盂炎と腎臓結石を


慢性的な持病として抱えていたそうです。


そのため定期的な発熱があり、


トーク番組の本番中に、


飯島さんが「早く帰りたい」と


口にすることもあったそうです。


周囲は「愛ちゃんのいつものワガママ」と


笑っていたそうですが、


実は30代になって急速に悪化した


体調不良が関係していたようです。


そんな中、彼女は2003年末から


“反エイズ・キャンペーン”に


積極的に参加していました。


自身も度々検査を受け、


陰性という結果を得ており、


性病予防の装具を開発・販売する会社を


起業したいと考えていたそうです。


この夢を実現するため、2007年3月、


飯島さんは芸能界引退を表明します。


しかし会社を共同経営するはずの人物に


資金を持ち逃げされたりと受難が続き、


2008年には、抗うつ剤の使用も告白していました。


このような告白から、


かなり深刻なうつ病になっていたことが見受けられます。


引退後、新たな夢に向かっていた飯島さんですが、


2008年12月6日、


栃木県宇都宮市で開催された


エイズ予防啓発イベントに参加したのを最後に


表舞台から姿を消し、同月24日、


しばらく音信不通なのを不可解に思った


元付き人がマンションを訪ねると


飯島さんは椅子から転げ落ちたような格好で


死亡しているのが発見されました。


警察の発表によると死因は「肺炎」でした。


報道されている部分だけをみると、


長年の病気によって、


若くして亡くなられたように思いますが、


実は飯島愛さんには、


芸能界引退や非業の死に対して、


様々な噂がまことしやかに囁かれています。


まず、飯島さんの芸能界引退に


関連性を疑われているのが


“女子高生コンクリート詰め殺人事件”です。


この事件は、


1988年11月から翌年1月の間に発生した事件で、


当時17歳だった女子高生が


不良少年グループに拉致され、


猥褻略取誘拐・監禁・強姦・


暴行・殺人・死体遺棄された事件です。


約40日間に渡り、


足立区綾瀬の加害者宅に監禁され


暴行や強姦を受け続けた末に死亡したようで、


この事件は、1989年1月に女子高生の遺体が


江東区内の東京湾埋立地に


コンクリート詰めにされて遺棄された


という猟奇的事件でした。


勿論、飯島さんはこの事件に


直接的には関わっていませんが、


飯島愛さんは以前、


この事件の主犯格の男性と


交際していたとの噂があります。


飯島さんが高校を中退した頃ですが、


同棲していた彼氏がいたようで、


その男性が、


この事件の加害者だったと言われています。


また、このことが公になった背景には


関東連合の存在があったとも言われています。


実は、飯島さんがこの男性と交際している


という情報を流したのは、


関東連合だったとも言われています。


関東連合とは、日本の暴走族で


1980年代頃から日本最大の暴走族


“ブラックエンペラー”を


母体にして結成された集団です。


この関東連合は


芸能界や著名人とも関係が深いと言われていますが、


どうして飯島さんに関する噂を流したのでしょうか。


それは飯島さんが


『サンデージャポン』出演時に


2002年の日韓ワールドカップで


韓国側が行った不正を批判したことが


関東連合の反感を買ったきっかけと


言われています。


しかしながら飯島さんの引退に


関東連合が関係しているとされる証拠を


はっきり書いているものは見つからないため、


あくまで噂となっています。


また、飯島さんの死について


最も不可解とされているのは、


金スマ出演時、占い師の木村藤子さんと交わした、


謎の会話です。


飯島さんお別れ特集の際、


木村藤子さんはゲストとして出演し、


そこで、飯島さんを霊視しました。


人の過去、現在、未来を霊視できるという木村さんは


飯島さんの引退理由である


「腎臓病の悪化」について


「嘘をついている」と断言しました。


また「あなたは病気が悪化したくらいで


芸能界を辞めるような責任感のない人間じゃない」


「あなたの問題は病気ではない。


今引退せずに頑張れば


2〜3年後には違う考えができる。


今引退してしまうと、4〜5年後、


きっと後悔することが起こる」とも


話していました。


飯島愛さんの芸能界引退を反対していた木村さんは、


飯島さんの死後、


「彼女はアクシデントがあり


色々起きていたと思うんですが、


たったひとつ、


心の落とし穴に気づけていなかったんです。


引退を決めたと言っていても、


彼女は悩んでいましたし、必死だった。


あのときにも


“絶対、考え方を変えたほうがいい!”と


私は強く引退を引き止めました。


そんな中、彼女はたったひとつの、


二文字の言葉を言ったのです。


それは私がとても残念だと思う言葉でした。


人間として残念だった。」


と発言しています。


飯島さんが言ったこの二文字の言葉というのは、


「暴露」や「復讐」ではないかと


ネット上で囁かれています。


また飯島さんの死に


動揺を隠せなかった人物がいました。


それは、2014年9月に


覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けた


歌手のASKAさんです。


同年の『週刊文春』によると、


ASKAさんは飯島さんが死去する数カ月ほど前に、


渋谷区にある飯島さんの自宅マンションで


合成麻薬「MDMA」を使ってセックスし、


その様子をビデオに撮っていたそうです。


飯島さんはセックス以外の場面でも


日常的にカメラを回して記録していたそうですが、


飯島さんの死去が報じられた際、


ASKAさんはパニックを起こして、


関係者に「やばいことになった」


「あんなものが流出すれば


俺のアーティスト人生は終わる」


と漏らしていたと言います。


ASKAさんと飯島さんの


愛人関係だったという報道は


この時が最初でしたが、飯島さんは生前


チャゲアスのコンサートを見に行ったこと、


またASKAさんの声が良いことを


自身のブログに書いていた他、


『プラトニック・セックス』


が映画化した際には、


チャゲアスが『NOT AT ALL』名義で


挿入歌を楽曲提供しており、


両者の接点は度々あったようです。


一方でASKAさんは2016年1月に


インターネット上で全20章、


9万5000字に及ぶ手記を公開し、


その中で飯島さんについても言及しています。


この手記によるとASKAさんは、


彼女を“愛ちん”と呼び、1999年の出会いから


2008年12月に飯島さんが死去する直前まで


連絡を取り合っていたこと等を明かし、


飯島さんについて、ASKAさんは、


「本当に“イイヤツ”」「大好きな友人」と書いており、


仲の良さが見受けられます。


また、飯島さんが亡くなる前年の2007年夏頃から、


飯島さんから盗聴被害の相談を受けており、、


彼女の異変を感じ取っていたとも言います。


しかしASKAさん自身もこの時期


盗聴・盗撮被害に悩まされていたと告白しているため、


「薬物依存症に特有の


被害妄想だったのかもしれない」


という証言が囁かれており、


真相は藪の中という状態でもあります。


ここまで、飯島さんの死にまつわる


いくつかの情報や、不審な点に触れていきました。


周囲の不興を買いながら


今後も明確な真相として


なんらかが解明されるのでしょうか。


まだまだ、引退の真相や死の真相には、


不可解な点が残りますので、


これからも引き続き調査していきたいと思います。


最後までご視聴いただき、ありがとうございました。


コメントを残してくれると、嬉しいです。


チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。


それでは、また。

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