高部知子の『ニャンニャン事件』の真相に耳を疑った…『積み木くずし』で話題となった女優のまさかの現在や子供に驚きを隠せない…
みなさん、こんにちは。
1980年代人気を誇り、バラエティー番組や、
ドラマに、引っ張りだこだった、
高部 知子(たかべ ともこ)さんを
覚えていますか?
「演技派女優」と称されていましたが
「ニャンニャン事件」と呼ばれる、不祥事を機に、
いつの間にか、芸能界での活動を、
停止してしまったようです。
現在は、資格を取り、人のために役立つ仕事を
していると聞きます。
今回は、そんな高部さんの、現在の仕事や
家庭について、調査しました。
まずは、プロフィールから見ていきましょう。
名前:高部 知子
ニックネーム:のぞみ
誕生日:1967年、8月25日生まれ
職業:俳優、作家、精神保健福祉士、認定心理士
大野裕研究所 認定、CBTストレスカウンセラー
東京都 認定 薬物専門講師
浄土宗 西山 深草派 教師
血液型:B型
身長:160㎝
出身地:日本、東京都、文京区
最終学歴:慶應義塾大学、文学部、通信教育課程卒業
では、高野さんの、経歴についてです。
高部さんは、12歳だった1979年に、
戦争の映画「東京大空襲 ガラスのうさぎ」で芸能界に入りました。
同じガラスのうさぎのテレビ版も好演しました。
そして、1982年に、当時、大人気だった、テレビ朝日系バラエティ番組
「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に、出演が決定しました。
萩本家の3人娘の、高校生版の長女「のぞみ」として、
高部さんはブレイクしました。
3人娘のユニット「わらべ」が出した
「めだかの兄妹」は大ヒットしました。
さらに、1983年にはドラマ「積み木くずし〜親と子の200日戦争」で
主人公の不良少女・香緒里(かおり)を演じました。
その直後に、まるで、積み木くずしの役柄、そのままのような
不祥事を起こしてしまいました。
それが、通称「ニャンニャン事件」です。
当時、15歳で、人気タレントだった高部さん。
ベッドで、裸体に、布団を掛け、煙草を咥えた様子を捉えた写真が、
1983年6月に、写真週刊誌『FOCUS』(1983年6月24日号)に掲載されました。
掲載された写真の、リラックスした表情から
交際相手との性行為の前後の写真ではないかと、見る者が多く、
また、煙草を咥えていたことから、未成年の喫煙と問題視され、
一大スキャンダルとなりました。
『FOCUS』の記事では「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の、一服である」という、
記述があり「ニャンニャン」は性的な意味合いと、結び付けられ、
当時の流行語にもなりました。
高部さん本人は、1984年の自著「ハンパしちゃってごめん」で、
写真については、遊びで撮ったもので、
性交渉もなければ、煙草は演技の練習で、実際は喫煙しておらず
咥えていただけだと、述べていました。
15歳という、若い女の子に、性行為と喫煙の疑惑が付いたのですから、
マスコミが連日報道。
問題だったのは健全な「欽どこ」の「のぞみ」役です。
爽やかで、清潔感あふれる女の子の「のぞみ」のイメージは
ガタ落ちしてしまいました。
結局、リーク側とされる人が亡くなったこともあり、
高部さんはのぞみ役を降りることに。
普通は、そこからさらに転落人生を歩む人が多いかもしれません。
しかし、高部知子さんは違いました。
通っていた、堀越高等学校の担任・北村先生だけが、
週刊誌に書かれたものは「嘘」を主張する
高部さんの話を、聞いてくれたそうです。
そして、先生との反省ノートを通して、
立ち直ることができたといいます。
それが、現在の高部さんの、現在の、仕事に
つながっているのでしょう。
大学で心理学を学び、精神保健福祉士の資格を、取得したのです。
そして、2022年現在、高部知子さんは
国内の精神医療・福祉関連施設に赴き、カウンセラーとして働いています。
認知症や依存症の患者の心に寄り添って、
ケアしてあげるという、素晴らしい仕事に、就いているのです。
精神福祉士として、メディアに出ることもあれば、
過去に出演した番組に関して、インタビューを受けることもありました。
また、浄土宗のお寺に入門して、教師までも拝命しています。
若くして、辛い思いをたくさんした高部さんは、
それを、糧にして、苦しんでいる人々の助けになりたいと
日々活動しているとのことです。
続いて、高部さんの、学歴について迫ります。
高部さんは、2000年に、慶應義塾大学、文学部の、通信教育課程に入学。
慶應の通信は、他大の通信と異なり、入学するのに、小論文などの書類審査があるようです。
つまり、誰でも入れるわけではない、ということですね。
それでも、普通課程の慶應と比較すれば、
入るのは簡単ですが、出るのは難関で、3%の修了率とも言われています。
スクーリングのレベルは、通学制と同レベルだと、言われるそうです。
日々の学習については、仲間と、切磋琢磨することもなく、
きちんと自己管理をして、課題を、提出していかなくてはいけません。
そして、卒業論文も、最後に書き上げるということで、完全に自分との戦いになるようです。
そのような地道で、キツい勉強をしっかりとやり終えて、2005年に高部さんは、
慶應義塾大学を卒業しました。
3%という、非常に少ない終了率の中の、1人になることができました。
これは、本当に素晴らしいことだそうです。
10代のうちに、に巻き込まれ、波乱の人生を歩んだ、高部さん。
プライベートでは、幸せに暮らしているのでしょうか。
2回の結婚歴があるらしく、子供さんもいらっしゃるようです。
さっそく見ていきましょう。
高部さんは、22歳の時に、幼馴染の一般男性・倉持政幸さんと結婚しました。
精神的に参っていた、高部知子さんが、5度目の自殺を図った時、
助けに来てくれたそうです。
結婚後は、夫と共に、コンビニエンスストアを経営し、
頑張って、ひたむきに、働いていたようです。
しかし、その後、夫の浮気が理由で、離婚してしまいました。
高部さんは、その後、別の一般男性と再婚しますが、また、離婚しました。
2回の離婚を経て、芸能界に一旦復帰した高部さん。
1999年には写真集「Objet D’amour」を出版したり
R-15指定映画「パラノイア」に出演するなど
体当たりの仕事を、頑張りました。
しかし、自分が思っていた道ではないと、感じていたのでしょう。
2000年には、慶應義塾大学の通信過程に、入学していますから、
その時には、既に、将来の目標を、定めていたのかもしれません。
続いて、子供さんについてです。
高部さんには、娘が2人いらっしゃるようです。。
長女は、1991年に生まれ、2022年現在31歳になります。
実は、長女に、生まれてすぐ、心臓疾患が見つかっていたことが判明しました。
0歳の時に、先天性心臓病の手術をして、無事に成功したそうです。
高部さんは、きちんと、子供の世話をしたいということで、
これを気に、一旦芸能界を、引退したそうです。
長女は、その後容体が悪化することなく、しっかり成長しています。
良かったですね。
また、次女ですが、1993年に生まれたので、2022年には29歳になります。
そして、次女も、先天性の心臓病を、持っていたということです。
子ども2人とも、心臓に病気を抱えて、生まれてきたのですから、
高部知子さんは、相当辛かったことでしょう。
10代でのスキャンダルや、子供の持病など、
辛いことを乗り越えて、精神保健福祉士になったのですね。
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