みなさん、こんにちは。 90年代半ばに 『KNOCKIN’ ON YOUR DOOR』を はじめとするクオリティの高い楽曲で J-POPシーンを彩ったL⇔R(エルアール)。 バンドの再始動が期待されるなか 黒沢健一(くろさわ けんいち)さんの 闘病の公表はショッキングでした。 私生活が謎めいていたアーティストの 一人ですが、結婚はしていたのでしょうか。 L⇔Rのメンバーや 楽曲を提供したアーティストが 口をそろえて「天才」と呼ぶ理由にも 迫りたいと思います。 また実家や出身高校 死因となった脳腫瘍についても 見ていきたいと思います。 最後まで楽しんでいただけたら嬉しいです。 まずは黒沢健一さんの プロフィールから見ていきます。 読み方 (くろさわ・けんいち/Kurosawa Kenichi) ニックネーム 黒澤健一 出身地 茨城県日立市 生年月日 1968年08月11日 没年月日 2016年12月05日 年齢 享年48歳 星座 しし座 血液型 B型 職業・ジャンル 作曲家,作詞家,ミュージシャン 音楽プロデューサー,シンガーソングライター 1997年にL⇔Rが活動を休止してからは ソロ活動のほか、複数のユニットでも 音楽活動を続けていた黒沢健一さん。 しかし2016年、48歳という若さで 旅立ってしまいました。 L⇔Rのギタリストで 実弟の黒沢秀樹さんによると 家族の見守るなか、安らかに眠るように 逝ったとのことです。 この「家族」のなかに妻子が 含まれていたか否かは 明らかにされていません。 もとより黒沢健一さんの プライベート情報は皆無に等しく 結婚や子供に関しても 手がかりがない状況です。 ネット上には「結婚していた」という 書き込みもありますが 残念ながらソースは不明です。 通夜および葬儀は近親者のみで営まれ 翌年には「黒沢健一を偲ぶ献花の会」も 執り行われましたが わかっているのはこれくらいで 結婚や子供についての確たる情報は 得られませんでした。 「結婚していた」という書き込みが 事実だとすれば 妻は一般人の可能性が高いですね。 黒沢さんは自身の私生活は 公開したくないタイプだったのかもしれません。 アマチュアバンドでコンテストや オーディションに出場していた 高校時代から、すでにコンポーザーとしての 才能を注目されていた黒沢健一さん。 19歳で契約作家としてプロデビューし 南野陽子さんら人気アイドルの 楽曲やCM曲を提供するようになりました。 森高千里さんの『気分爽快』も 黒沢さんが作曲したヒット曲のひとつ。 L⇔Rは1991年にデビューし 7枚目のシングル『KNOCKIN’ ON YOUR DOOR』が 月9ドラマの主題歌に起用されて ミリオンセラーになりました。 このタイアップは、かねてよりL⇔Rの楽曲を 気に入っていたドラマの プロデューサーからの依頼でした。 「頭からガツンとくるような曲にしてほしい」 という注文を受けてひらめいたのは 何かをコンコンと叩くようなイメージ。 ドアをノックするような音で はじまるイントロが有名ですね。 弟の秀樹さんによると この曲は健一さんが一筆書きのように 一瞬で仕上げた曲なのだそうです。 天才と呼んでしかるべき人だった と振り返る秀樹さん。 L⇔Rの名曲のなかには まだ高校生だった健一さんが 茨城の実家で書いた曲が 何曲もあるそうです。 アーティスティックな性格で 完璧主義なところもあったようで 一時期L⇔Rに在籍していた嶺川貴子さんは 「天才的天然少年」と表現しています。 レコーディングでは 「水中でオレンジをかじったみたいな音にして」 などと言い、プロデューサーやエンジニアを きょとんとさせることもあったそう。 洗練されたメロディセンスは L⇔Rとソロ活動を通じて 高く評価されていますが その一方で、この人の曲は カラオケで歌ってはいけない という声もあります。 『KNOCKIN’ ON YOUR DOOR』を カラオケで上手く歌える人を 見たことがない、と笑うのは 親交の深かった徳山秀典さんです。 同曲は、いかにもヒット曲の王道を いくようなキャッチ―な曲調だけに 多くの人は歌いやすいと 思いがちなのでしょう。 ですが、自由自在に 飛び跳ねているようなメロディが なんとも特徴的です。 素人にはハードルの高い楽曲を さらりと歌唱してしまうところも さすがという感じですね。 黒沢健一さんは茨城県日立市に生まれ 高校卒業後すぐに上京して 作曲家の仕事をはじめました。 秀樹さんが中学2年生くらいの頃 元四人囃子で音楽プロデューサーの 岡井大二さんが実家を訪れ 兄の進路について両親と 話していたのを覚えているそうです。 日立市は、茨城県北東部に位置する市で 日立製作所創業の地。 ネット上には、黒沢兄弟の実家の最寄り駅は 常陸多賀駅という 地元の方の書き込みもありますが 確認はとれませんでした。 同駅の近くには かつて黒沢楽器という楽器店があり ここが実家だと勘違いしていた地元住民も 少なからずいたとのことです。 ということは、地元の方でさえ 本当の実家の場所を つかめていなかったことになりますね。 出身高校についても同様で 「小学校が同じだった」 「中学の先輩だった」 という書き込みはあるものの 具体的な学校名は挙げられていません。 天才アーティストがどんな家庭で育ったのか 両親の職業も気になるところですが 父親は、国語の教師だった という情報がありました。 情報源は、ラジオ番組か雑誌の インタビュー記事でそう言っていた記憶が あるというファンの声です。 とかくメロディメイカーとして 注目されがちな黒沢健一さんですが 心にストンと入ってくる作詞のセンスは もしかしたら父親譲りだったのかもしれません。 黒沢健一さんが脳腫瘍の治療に 専念していることを公表したのは 2016年10月3日でした。 しかしその1年前には すでに脳腫瘍と診断されていたのです。 2015年10月のライブのリハーサル中に 黒沢さんはめまいを覚え 検査をすることになりました。 その結果、脳腫瘍が判明し 以降は入退院を繰り返していました。 病気のことはぎりぎりまで 公表を控えていた、と秀樹さん。 秀樹さんの話によると、健一さんは 脳腫瘍の前にも一度、大病を 患ったことがあったそう。 それまでは、L⇔Rの再始動について 水を向けても煮え切らない返事しか 返さなかった健一さんが、その時は 「二人と一緒にやりたいから、前向きに考えるよ」 と答えたといいます。 止まったままの歯車がようやく 動き出そうとした矢先の 脳腫瘍の発覚でした。 息をひきとったのは 病気公表からわずか2か月後の12月5日。 この年は、L⇔Rのデビュー25周年に あたる年でした。 神様は残酷ですね。 90年代を駆け抜けた 人気バンド・L⇔Rとそのボーカルで メインコンポーザーでもあった 黒沢健一さん。 L⇔Rがオリジナルメンバーで 復活するチャンスが 永遠に失われてしまったことが 残念でなりません。 しかし、今まで素敵な楽曲を たくさん届けてくれたことに 感謝したいと思います。 最後までご視聴いただき ありがとうございました。 楽しんでいただけましたか? コメントを残してくれると、嬉しいです。 チャンネル登録、高評価もぜひお願いいたします。 それでは、また。
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